海から500m 屋上から見た津波

(初回放送日:2021年9月6日)

※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

仙台市の汚水処理を行う南蒲生浄化センターの職員・菅野清司さんの証言です。
施設は海からわずか500mほど。当時52歳だった菅野さんは地震発生当時、地下の設備工事に立ち会っていました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

菅野さん)急にぐらっと強い揺れが来たので「これはまずい」ということで、すぐ上に上がろうということで階段を上って外に飛び出しまして、いったん地震が収まった感じだったんですけど、そのあとに地響きがあって、体を支えるものがないと立っていられないような揺れが発生して「これはただ事じゃない」ということで、そばにあったガードレールに同僚としがみついて、体を支えているような状態でした。私たちの職場は下水処理場なものですから、処理する設備の池がいっぱいあるんですけど、その池の壁に水が揺れてぶち当たって水柱が上がったんですよ。これはとんでもない津波が来ると。ここの2階でもまずいんで、屋上にみんなで行ける所まで高い所に上がりましょうということで、業者さんたちにも声かけて屋上に避難して様子を見ていました。

打越)施設で見た外の光景はどうでした?屋上から何が見えましたか?

菅野さん)そうですね。当然みんな海の方をじぃっと固唾を飲んで様子を見ていたんですけど、その時すごく気温が急に下がりましてね、雪が降りだしたんですよ。「寒いね」なんて言っていたら、松林の方を向いて海の方を見ていたんですけど、最初松林の下をするするするっと海水が上ってくるのが見えたんです。川を海水が遡上する状況が屋上から見えまして「ああ、来た来た来た!」っていうことで、そしたら数分も経たない間ですかね、第二波が来たんです。その第二波が来た時が印象的で、その高い松林が一瞬にして消えたんですよ。それが第二波の津波だったんですけど、真っ黒な墨汁っていうか墨を水に溶かしたような真っ黒な水が設備を全部飲み込んでいった状態で、我々の車も「あー!俺の車流された!」とかって声が色々あって、ただ運がいいことに屋上まで波が到達するような高さではなかったんで。

打越)最終的に職員のみなさんは自衛隊機で救護されたと。

菅野さん)そうです。次の日の朝にヘリに我々が乗せてもらって飛んで行ったじゃないですか。(駐屯地のある)霞目の方に。その時に、すごい天気がいい日だったんですよね。上から数人で窓の外をじぃっと見ていた。みんな無言でね、何にも語らないで。下にはもう灰色の世界っていうんですか。水がキラキラキラキラ光って、流された家屋とか色々、水浸しの家屋とか。生き物は多分いないと思うんですよね。下には。ところが七郷中学校の上空を飛んでいたんですけど、その七郷中学校のそばに来たら、地面が見えるんですよ。水に濡れていない部分が。そこが津波の末端だったんですね。七郷中学校の手前が。そこから車が動いているんですよ。「ああ、人がここから生きているんだ」って。何かこう納得できないっていうか、こっちは死の世界じゃないですか、ここから車が動いて自転車踏んでる少年とかがいたり、すごい印象的でしたね。印象的というよりショックだった。