13年前の被災地から能登へのメッセージ

今月1日発生した能登半島地震の被災地では、大切な家族を失った人、自宅に戻れない人、多くの人たちがさまざまな思いを抱えながら厳しい避難生活を続けています。宮城県でも13年前、東日本大震災が発生しました。当時、小学生だった女性が、避難生活を振り返っていま感じている思い、それは「ひとりで頑張らなくていいよ」。
13年前の被災地からいまの被災地へのメッセージです。

(仙台放送局 藤家亜里紗)

 

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“十分頑張っていると思うので これ以上、
ひとりで頑張らなくていいよと 伝えたいと思います”

宮城県東松島市の武山ひかるさん(23)です。
東日本大震災の時は小学4年生で、テストを受けている途中に大きな揺れを感じました。
武山さんは迎えに来た家族と一緒に学校から高台に逃げました。しかし、夜に車で自宅に戻ろうとしたところ、車ごと津波に入ってしまい、あわてて引き返したといいます。

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武山さんの語り部活動の様子

間一髪だった当時の避難の教訓も含めて、高校生の時から震災を伝える語り部の活動をしている武山さん。いまも宮城県石巻市で福祉関係の仕事をしながら活動を続けています。

今回、武山さんは当時10歳だった自分が震災後の避難生活で感じていたことを話してくれました。自宅が川のすぐそばにあったため津波で全壊し、仮設住宅に入居するまでのおよそ3か月間は、隣の市など3つの避難所を転々としながら、祖父母を含めた家族5人で生活していました。

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“東松島市内の避難所で 左が武山さん(当時10歳) 右が母親”

当時、被害がどんな状況なのかわからず、今後の生活を不安に思っていたという武山さん。避難所生活は不自由なことも多く、たくさんの人がいるため遊ぶこともできず、ストレスを発散する場がなかったといいます。

“何もできないからずっと座っているしかないと、
『いつまで続くんだろう』、『あの人は生きているんだろうか』、
『この後どうなるんだろうか』と、どんどん悪い方向に思考がいってしまいました”

武山さんは、母親が避難所でも祖父母の世話をするなど忙しく、睡眠不足になっている様子を見ていたといいます。そんな姿を見て子どもながらに気を遣い、ストレスを抱えた自分の気持ちを吐き出せないでいると、暗い気持ちになることもあったというのです。

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“当時は年齢的にモヤモヤした気持ちをうまくことばにすることもできませんでした。避難所で子どもは邪魔になってしまうことも多く、自分はいらない存在だと思うこともありました。たとえば夜寝る前にひと言、「大丈夫だよ」って声をかけてもらえたら当時の私は少し落ち着いたかなと思います”

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誰にも頼れなかったことで、つらい時期もあったという武山さん。自分の経験を振り返って、能登半島地震の被災地の人たちに伝えたいメッセージです。

“被災された方はもう十分頑張られていると思うので、1人で頑張りすぎず、近場で助けを求められる人や、ボランティアさんが来たら一緒に不安な事を流して欲しい。
大人がまわりの人に頼っているのを見ると、子どもも頼っていいんだと思えるので、『自分たちだけでやらなきゃ』じゃなくて、まわりの手を借りても全然いいと思います”

 


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仙台放送局記者 藤家亜里紗
2019年入局
去年7月まで石巻支局で
東日本大震災を中心に取材