【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年10月29日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「戦を生き抜く、スゴイ知恵」。激しい戦いを生き抜き勝利を収めるにはどうするか? その秘けつについて、中国の孫子は「兵は詭道(きどう)なり」と述べています。つまり、戦争とはだまし合い・欺き合いだ、というわけです。では、戦の現場で武将たちは実際にどんな策を考え実行したのでしょうか?

今の山梨を拠点に勢力を拡大し、一時はあの織田信長や徳川家康も震え上がらせた武将・武田信玄(たけだしんげん)。そんな信玄が関東の北条家と激しく争ったときの話です。

1571年、武田信玄は駿河の国(今の静岡県)で北条家と衝突しますが、この時敵方だった武将の名は北条綱成(ほうじょうつなしげ)。彼は、北条家が一躍躍進するきっかけになった「河越夜戦(かわごえやせん)」のとき河越城を守って活躍した、北条家随一の猛将でした。
この北条綱成との戦いの際、武田信玄はしたたかな言葉と態度で味方を欺き、ひいては敵を欺いた、と言います。
武田信玄のすごみを感じさせる、そのやり方とは?


駿河の国の御殿場辺りは武田と北条がぶつかった最前線でした。この地の守備を任された北条綱成は、城にこもって武田の侵攻を食い止めます。
対する武田信玄は1か月もの間、昼夜分かたず猛攻。金山の鉱夫を使って城を掘り崩す「もぐら攻め」まで仕掛けました。
ここに至って北条綱成はついに城を出て退却。入れ替わりに城に入った武田兵、目にしたのは打ち捨てられたままの北条綱成の旗でした。
武田の兵は大笑い。「なんというざまだ」

ところが、信玄はこう言いました。
「逃げ惑って旗を捨てたのではなかろう。北条綱成は次の戦を考えて一旦この城をひいたまでのこと。笑うべきではない」
そして家臣の一人に、綱成の武勇にあやかれ、と旗を与えたのです。
このやりとりを伝え聞いた北条綱成、こうもらします。
「信玄公の言葉で、我が恥はすすがれた」

と、ここまでは美しい話ですが……
実はこの話にはウラがあったのだ、という指摘があります。
この話は江戸時代中期に湯浅常山(ゆあさじょうざん)という儒学者が書いた書物「常山紀談(じょうざんきだん)」にも載っているのですが、ここで彼は、実は武田信玄のことばにはひそかなたくらみがあったと指摘します。
つまり、武勇にすぐれた北条綱成がバカにされたことを知れば全力で逆襲してくる。そうなれば防ぎきれない。だから、あえて北条綱成を持ち上げたのだ、というのです。
その通りならば、武田信玄は人より何手も先を読めた人物、実に恐るべき武将だったということになりますね。

DJ日本史「戦を生き抜く、スゴイ知恵」①

DJ日本史「戦を生き抜く、スゴイ知恵」②