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黄金世代 高原直泰のラストマッチ

~沖縄SV JFLに挑む~
  • 2023年12月22日

世界で活躍したストライカー・高原直泰

高原直泰さん

高原直泰さんは1979年生まれで静岡県出身。高校卒業後、当時J1だったジュビロ磐田でプロデビューしました。 
2002年には26得点で得点王となり、チームをJ1優勝に導いて最優秀選手にも輝きました。 
日本代表としては同い年の小野伸二さんや稲本潤一さんなどとともに“黄金世代”と呼ばれ、2006年のドイツワールドカップに出場。代表通算57試合に出場し、23得点を挙げました。 
アルゼンチン、ドイツ、韓国など海外のクラブでもプレーしてプロサッカー選手として世界を舞台に活躍しました。

初挑戦となったJFLの舞台

2015年、36歳になった高原さんは、Jリーグ参入を目指すクラブチームを沖縄に設立しました。地域の選手をみずからの手で育成するのが高原さんの長年の夢だったからです。

高原さん

子どものときからそうだったように、ただ単純にチャレンジしたい。

言葉どおり、チームは挑戦を続けます。 
沖縄県社会人サッカーリーグ3部からスタートすると2018年には九州リーグへと昇格。毎年好成績を収めていましたがもう一歩のところでJFLへの昇格はかないませんでした。

しかし昨年の全国地域サッカーチャンピオンズリーグで2位に入り、ついにJFLへの昇格を果たしました。 
全国のアマチュアリーグ最高峰のJFLは、プロリーグであるJリーグ参入を目指すクラブにとっては登竜門の位置づけ。 沖縄SVにとっても大きなステップでした。

 

しかしアマチュア最高峰で強敵揃いのJFLの闘いは厳しいものでした。 
開幕から3連敗を喫するとペースをつかみきれず、1年を通して苦しい戦いが続きます。 
28試合7勝5分け16敗の成績で、JFL挑戦初年度はリーグ最下位でシーズンを終えました。

その人の背中を追いかけて

選手・監督・代表・オーナーという、4足のわらじでチームを引っ張ってきた高原さん。 
今シーズンで選手としてのキャリアに終止符を打ちました。

その背中を追ってチームに移籍してきた選手がいます。 
安藝正俊選手33歳。沖縄に来てことしで6年になります。

高原さんと安藝正俊選手

ポジションはセンターバックで、フィジカルの強さを生かした守備と打点の高いヘディングが持ち味です。高原さんとは以前J3のSC相模原で共にプレーしたこともあり、選手として大きな影響を受けました。


高原さんがSC相模原を離れてまもなく、安藝選手も別のチームに移籍します。 
しかし、移籍先では1年で契約満了。 
現役を続けたいと考えていた安藝選手に声をかけたのが、沖縄SVを立ち上げた高原さんでした。

安藝選手

(移籍の)リリースを出した数時間後ぐらいに高さん(高原さん)から連絡をいただいて、「お前出るのか」って話をしてもらって。 
特に迷うことなく(沖縄に)行きますって。

他のチームからのオファーもありましたが、当時九州リーグに所属していた沖縄SVで高原さんとともに挑戦する道を選びました。決め手となったのは、高原さんの存在でした。

安藝選手

練習とかで、高さんに育ててもらったと感じているので、高さんのところに行けば間違いないなというのがありました。そこでプレーをさせてもらえれば成長できるという確信がありました。

ピッチ外での応援を力に変えて

プロ選手として真摯にサッカーに向き合う安藝選手ですが、生活のため仕事を掛け持ちしています。週4日、午前の練習が終わった午後の時間帯にジムのトレーナーとして働いています。
練習後でも疲れを見せないよう、お客さんには笑顔で向き合い明るい声かけを心がけています。

この仕事での出会いをきっかけに、チームを応援してくれる人も増えたと感じる安藝選手。 
応援してくれる人の存在が選手としての自分の背中を押してくれるといいます。

安藝選手

沖縄は全然知り合いもいないし最初は心配もありましたが、サッカーとか仕事を通じて触れあう人がすごく親身になって相談に乗ってくれたりとか、試合の前には頑張ってと声をかけてもらったり、試合会場に見に来てくれる人もいます。 
沖縄に来て触れあった人がすごく応援してくれるので、頑張って結果を出してみんなに喜んでほしい。

ひたむきな姿勢が呼び込んだチャンス

今シーズン序盤、安藝選手は若手選手の台頭もあり、思うように出場機会を得られませんでした。それでも「初めてJFLに挑むチームに貢献したい」と、日々準備を怠りませんでした。 
シーズン後半、レギュラー選手がけがで離脱するとスタメンに復帰し、6試合連続で先発出場。 
ホーム最終戦ではディフェンダーながら2試合連続となるゴールを決めて、高原さんの引退に花を添えました。

残留をかけた大一番

リーグ最下位でレギュラーシーズンを終えた沖縄SV。

JFL残留をかけた入れ替え戦の相手は、関東1部リーグで優勝し、全国地域サッカーチャンピオンズリーグを勝ち上がったVONDS市原。J1で活躍した選手も在籍する強豪です。

 12月3日、試合会場となった沖縄市のスタジアムには、チームを後押ししようと、600人を超えるサポーターが駆けつけました。

「JFLに上がるのに何年も苦労してやっと上がれた。
本当にことし1番大切な試合。」
「来年のJFLの最後の1枠をみんなで闘って、闘って奪う。絶対勝ちます」

追い続けた高原さんの背中、最後の戦いも同じピッチに立ちたいと準備を続けてきた安藝選手もこの一戦に特別な思いを抱いていました。

安藝選手

勝って送り出したいですよね。いま求められる最高の結果で高さんを送り出したいというのは、みんなの思いなので。 
全力で準備して思いっきり戦いたい。結果をつかみたいなと思います。

試合は前半を0-0で折り返すと、後半25分に安在選手が先制点を決めて沖縄SVがリード。 
しかし、その8分後に追いつかれ1-1のまま延長戦に突入しました。 

延長戦では、監督も務める高原選手が自身に代えてスピードのある伊集院選手を投入し、攻撃の活性化をはかります。そして延長前半終了間際、高原さんの采配が的中します。

キャプテンの秋本選手が敵陣でボールを奪うと、荒井選手のスルーパスを受けた途中出場の伊集院選手が、キーパーとの1対1を冷静に決めて追加点。

これが決勝点となって、沖縄SVは接戦で勝利をつかみJFL残留を決めました。

伊集院選手

やっぱり高さんが最後ということで、チーム一丸となって、ここまでにないくらいチーム一丸となっていました。 
自分が出たら絶対点を取ろうと思ってました。

高原さん

選手を信じて試合に送り出して、それが良い結果につながったのでよかったです。 
やっぱりここでまた地域リーグに落ちてしまうと、本当にもう全く違う景色になるんですよね。ここを乗り越えられたのはクラブにとっては大きなところでした。

高原さんが選手としてピッチに立つのは、これが最後となりました。

高原さん

選手としての最後のゲームがこういったもので良かったなと。サッカー選手になってよかった。沖縄に来て自分のクラブを作って本当によかった。

 

盟友の引退とこれから

実はこの日、高原さんと同学年で日本代表でも共にプレーした小野伸二選手も、沖縄から遠く離れた北海道の地で現役として最後の日を迎えていました。サッカー界をけん引してきた“黄金世代”の2人が同じ日に、ピッチに別れを告げることになりました。 
試合後の記者会見で、このことについて聞かれた高原さんは

高原さん

ただタイミングが同じだっただけで、それぞれがいろんなことを経験して今に至っているわけで。多分どこかで会うと思うので、その時に2人でゆっくり、まぁ小学生から知っていますから。どこかで会ったら話す機会があればいいなと思います。

優しい表情で答えてくれた高原さん。これからはクラブの代表として、経営に専念するということです。
日本が誇るストライカーの沖縄での挑戦は続きます。

高原さん

サッカーに限らずスポーツを通して子どもたちに夢をもって欲しい、そしてその夢を少しでも実現して欲しい、そのためのサポートを自分がしてあげたい、そういう夢をもって沖縄に来ました。 
これから自分のやるべき仕事がスタートするんだという気持ちをもって、またこれからやっていきたいと思います。


 

  • 木村祥太

    沖縄放送局コンテンツセンター カメラマン

    木村祥太

    2020年入局。ことしの夏に広島から沖縄に異動してきたばかり。 学生の時はサッカーに没頭していました。

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