沖縄戦当時、小学生だった男性がつづった膨大な体験記には、日本軍が戦況の悪化につれて住民を守る余裕がなくなる様子が描かれていました。「戦争が始まったら軍隊は一般人を守れない。沖縄戦がそれを証明している」。戦争体験記が今の時代に訴えることとは。

「今の沖縄は“沖縄戦の前”に似ている」

宜野湾市に住む大城勇一さん(89歳)。11歳の時に沖縄戦を経験して生き延びました。

戦後77年たち、大城さんが危機感を抱いているのは、いわゆる「台湾有事」などを念頭に沖縄で防衛力の強化が進められていることです。那覇市に司令部を置く陸上自衛隊第15旅団は「師団」に改編、日本最西端の与那国島の駐屯地は新たに地対空ミサイル部隊を配備することなどが計画されています。

大城勇一さん 
国を守るためには兵隊が必要だというふうな思想から出ているのですかね。でも、決して軍隊は国を守れない、沖縄戦では守れなかった。

2022年11月、与那国島では、沖縄県内で初めて機動戦闘車が公道を走りました。その姿を見て大城さんは沖縄戦前の様子を思い出すと言います。

「やってきた優しい日本兵たち」

大城さんは、沖縄戦当時のことを多くの人に伝えようと、戦後、2万5000文字を超える体験記をつづりました。

体験記には、沖縄戦を前に、大城さんが住んでいた南風原村(今の南風原町)に部隊が次々とやってくる様子が描かれています。

「沖縄にやってきた日本兵は、最初畑の真ん中に三角テントを建て、三角兵舎として使用していた。それでも間に合わないので地域住民の住宅が兵舎代わりに利用された」(体験記より抜粋)

大城さんの実家でも県外から来た部隊の兵士が寝泊まりしてました。日本兵とはよく遊び、好意的な印象を持っていたと言います。

「大変優しい兵隊で、私は『ユウチャン、ユウチャン』と呼ばれ可愛がられた」(体験記より抜粋)

大城勇一さん 
僕たちはその頃は小さい子どもでしたから『兵隊さん、兵隊さん』となついていた。兵隊が日本軍が、われわれを守ってくれるというふうにしか思っていなかった。

「戦場で住民は守られなかった」

しかし、昭和20年4月、アメリカ軍が沖縄本島に上陸すると事態は一変しました。大城さんの住む地域に避難命令が出たのは4月下旬。アメリカ軍から激しい爆撃を受ける一方、近くに陣地を構えた日本軍は野戦砲で反撃するなど、すでに戦場となっていました。

戦闘の合間を縫って南へ避難しようと森の中を逃げ続けた大城さん一家。戦火をしのいで休憩できた場所は、自然の洞窟=「ガマ」でした。一家が休憩していると突然、日本兵が現れました。そして、ある非情な言葉を浴びせます。

「この壕は日本軍が使うからすぐ出て行くように」(体験記からの抜粋)

大城勇一さん 
結局、自分たちの身を守るために、兵隊にとって沖縄の住民は邪魔者だった。兵隊はわれわれは沖縄を守るために来たんだから、お前らは軍の言うことを聞けと命令的でした。

日本兵への不信感が募る中、家族は戦場を2週間以上、飲まず食わずで避難しました。その時の様子について体験記では次の様に描写されています。

「死体が累々と横たわりこの世のものとは思われない地獄さながらの光景であった」(体験記からの抜粋)

避難の途中、当時17歳だった大城さんの姉が突然倒れて亡くなります。銃弾が飛び交う中、家族はどうすることもできず亡くなった姉をその場に残しました。

失意の中、何とか沖縄本島南部の海岸沿いまで避難した大城さん一家。アメリカ軍の攻撃目標にされにくい人影が少ない岩穴に身を隠しました。すでに食料も尽きていたことから、家族はアメリカ軍に投降することを話し合います。

しかし、そこに立ちはだかったのも日本兵でした。何かを察した日本兵は近づいてきて家族に向けて叫びました。

「沖縄人は皆スパイだ。捕虜に出て行くときは撃ち殺してやるから覚えておれ!!」(体験記からの抜粋)

戦場で住民をまるで敵のように扱う日本兵たち。

大城勇一さん 
戦争では人間が鬼に変わっていた。われわれも軍を絶対信じなかった。

絶望した大城さん家族は、兵士の隙を見てアメリカ軍に投降し、生き延びました。しかし、そのあと連れて行かれた収容所で母親がマラリアで亡くなりました。

当時を振り返り、大城さんは、ひとたび戦闘が始まると、兵士は住民を守る余裕がなくなると訴えます。

「戦争は始めたら終わり」

大城さんはこれまで体験記を地域の人々に配ってきました。そして2022年11月には、宜野湾市内の学校で体験記を参考にした平和劇が上演されました。

大城さんはいかに戦争を起こさないかが大切だとと言います。

大城勇一さん 
戦争は絶対にやってはいけない。戦争が始まった場合、一般人を決して守ってくれない。それを沖縄戦が十分証明している。

取材後記

沖縄戦から77年。政府は2022年末、国の安全保障の基本的な方針などを示した3つの文書を閣議決定しました。その中で新たに打ち出されたのは「国民保護の体制強化」です。武力攻撃を受ける前に自衛隊を民間の港湾や空港に展開し、住民を避難させるとしています。一方、戦闘が発生した中での住民の避難については、まだ具体的な対応策が示されていません。

はたして戦闘が行われている最中に自衛隊に住民を避難させる余裕はあるのか。大城さんが体験から語ったことは、国民保護の観点からも今につながる教訓だと感じました。