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朝ドラ「舞いあがれ!」の「ばらもん凧」

文化受け継ぐ 作り手たちの思い
  • 2022年10月28日

朝ドラ「舞いあがれ!」、みなさんご覧になっていますか?
舞台のひとつとなったのは長崎県の五島列島。
そこでヒロインが空への憧れを抱くきっかけとなるのが「ばらもん凧」です。
大きなばらもん凧が真っ青な空を舞う場面は名シーンでした。

この「ばらもん凧」、実は後継者不足に直面しています。
 


                           NHK長崎放送局 記者 池田麻由美

そもそも五島のばらもん凧って?

「ばらもん凧」の名前の由来は諸説ありますが、方言で「元気な」「勇猛な」などを意味する「ばらか」という形容詞だとされています。「ばらか」+「者」で「ばらもん」。「元気者」という意味です。最初に目につくのは鬼の顔ですが、実は「ばらもん凧」のメインとして描かれているのは鬼ではなく、鬼に正面からかみつかれた武者です。鬼の牙の下に描かれているのが武者のかぶとで、鬼にかみつかれても空へ向かって飛んでいく、勇猛果敢な武者を表現しています。

「ばらもん凧」は、その武者のように子どもにたくましく、元気に育ってほしいという願いを込めて作られ、端午の節句にあわせて揚げる風習があります。凧が風にのると「ブーン」と音が聞こえてきます。これは、凧の上部に取り付けられた「うなり」が出す音で、子どもの厄を払うといわれています。

ほかにもさまざまな祝い事の場面で贈られ、五島市に足を運ぶと、多くの店や公共施設でばらもん凧を目にすることができます。

後継者不足に直面するばらもん凧

「舞いあがれ!」に登場したばらもん凧

ドラマに登場したばらもん凧。大きさはなんと2m。
制作したのは五島市に住む久保博司さん(74)です。酒店を営むかたわら、凧を40年以上作り続けています。この凧は完成まで1か月近くかかったそうです。

作った凧を揚げてみると『あの図柄はっきりしないな』とか思うんです。
いろいろなことを考えて材料からこだわりを持って作るようになりました。
凧は飾るだけでなく、やっぱり揚げないといけない。ばらもん凧を作って揚げるには、技術や知識を持たないとうまくできないんです。

すっかりばらもん凧にはまった久保さん。
次第に作り手の後継者不足に頭を悩ませるようになりました。仲間を募ろうと、2015年、久保さんは友人と振興会を立ち上げました。しかし、当初そこに集まったのは数人の高齢者。メンバーは徐々に増えてきたものの、今でも大半が高齢者です。ばらもん凧を揚げる名所として知られる山、「鬼岳」の風景も様変わりしたといいます。

若い頃は山に上ると何十枚もばらもん凧が揚がっていたんです。山全体がうなるような感じで、山の下まで響き渡っていましたから。
今は端午の節句の時期でも十数枚ですね。
作り手が高齢の方が何名かだけなら、文化は10年・20年と続かずに廃れていく。危惧しましたね。

高齢化・過疎化が進む五島市。

2020年の五島市の人口は3万4000人あまり。久保さんが凧を作るようになった1980年には合併前の1市5町に6万人あまりが住んでいて、40年間で半分近くに減っています。40年前に13.4%だった高齢者の割合は2020年には40.8%にまで増えました。

「ばらもん凧」を作れる人も、島の人口とともに減っていったとみられています。

 

 

30代のころ、鬼岳で凧を揚げる久保さん

幼い頃から、久保さんにとって凧は身近な存在でした。
さまざまな遊びの中でも、空を見上げる凧揚げがいちばん好きだったそうです。
ばらもん凧を作る父親と祖父の背中を見て育った久保さん。凧を作り始めたきっかけは、県外から五島に戻ってきた30代のころ、父に勧められたことでした。

凧を作るのも揚げるのも大好きな久保さん。しかし、ばらもん凧を揚げることはもう難しくなっていました。去年体調を崩し、階段を上るにも酸素の吸入が必要で、ばらもん凧を揚げるのは体力面でつらいといいます。

ふるさとに根付く「ばらもん凧」の文化はどうなるのか?
久保さんたちが不安になる中、
待望の若手がばらもん凧作りに加わりました。
 

待望の若手現る

片山美希さん(34)です。
岐阜県出身で、3年前、五島出身の夫と共にIターンしてきました。

地元から遠く離れた島に引っ越すことに不安もあったといいます。
しかし「来たからにはもっと五島のことを知りたい!」
そんな思いで勉強し、地元の地理や歴史を紹介するガイドになりました。

五島のことをもっとよく知って、まだまだですけれど、いつか『ふるさと』って呼びたいと思っています。

片山さんが凧作りに出会ったのは久保さんの酒店でした。
店内に飾られたたくさんのばらもん凧。
目を奪われた片山さんが久保さんに声を掛けたのがきっかけです。凧揚げの楽しさを教わりましたが、同時に、深刻な後継者不足の悩みを打ち明けられました。

ばらもん凧に描かれている、鬼にかみつかれていて負けるかもしれないけれど、逃げ出さずに立ち向かっていくっていう武者の姿勢がすごく魅力的だと思うんです。魅力があって伝統的なのに、大事なものが受け継がれなくなるのがちょっと悲しいなと思って。それならちょっと自分で作ってみようと思いました。

未来の空にも“舞いあがれ!”

こだわりを持って作った凧を、自分で揚げる喜びを知ってほしい。
そんな思いから久保さんは、自分の凧を片山さんに揚げてもらうことに。
準備の時点で笑顔が絶えない久保さんと片山さん。
凧は夕暮れの大空へ舞いあがり、2人の笑い声が空に響いていました。

楽しいし、久保さんが作ったばらもん凧は色彩が豊かなので、すごくきれいだなって思いながら揚げました。受け継がれている『ばらもん』の意味もあるので、そういったものを大切にしつつ自分のオリジナリティーが出るものを作ってみたい。いつか自分が上手になって子ども達に教えられるようになったらおもしろいんだろうなと思います。

「ばらもん凧」の魅力を再認識した片山さん。「後世へ残そう」という思いはしっかりと受け継がれています。

ばらもん凧を作る楽しみを味わって頂ければなと思います。
文化の伝承のためには、私たちが先輩に教えてもらったことを次の世代に惜しみなく伝えないといけない。5年先10年先を見据えて後継者を育てていきたいと思っていますね。

取材後記

「ばらもん凧」が空を舞う姿は、本当にきれいでした。五島に足を運ぶと至る所でばらもん凧に出会いますが、それも、これまでに誰かがこの文化を守ってきたからこそです。将来も誰かが担っていかないと文化は根づきません。ただ、久保さんや片山さんを動かしているのは、堅苦しい使命感ではなく、「『ばらもん凧』が好き!楽しい!」という純粋な思いでした。2人が楽しそうに凧作りについて話すのを見て、この姿をさらに次の世代の子ども達が見たら、その魅了がきっと伝わるに違いないと感じました。
この記事を読んで、みなさんの地元の文化の魅力を再発見しようと少しでも思ってもらえたら嬉しいです。

  • 池田麻由美

    長崎放送局 記者

    池田麻由美

    令和2年入局
    警察担当を経て
    現在は長崎市政担当

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