イスラエルとハマス なぜ停戦できない?道筋は? 専門家解説
イスラエル軍地上部隊の侵攻が進むガザ地区。病院、学校、難民キャンプなどへの攻撃が相次ぎ、住民の犠牲は1か月で1万人を超えました。一方、イスラエル側では、一連の衝突により1400人が亡くなり、240人以上が人質になる中、「報復やむなし」という声が大勢を占めています。
何が停戦を阻んでいるのか。今まさに起きている人道危機を止めるために、日本と国際社会に何ができるのか。イスラエルとパレスチナの情勢に詳しい東京大学の鈴木啓之 特任准教授の解説で読み解きます。
(「クローズアップ現代」取材班)
極限のガザ いま何が起きているのか?
ガザ地区に対しては、封鎖が始まってからの過去17年間に大きな戦闘が少なくとも4回ありました。今回が5回目ですが、これまでとは規模と犠牲者の数がまったく違います。
ガザ地区は世界的にも有数の人口密集地域です。そこで戦闘が続けば、民間人の犠牲者は必ず出ます。今回、病院までもが被害にあっており、もしこれが故意に民間の病院に対して攻撃をしているとなれば、国際人道法に違反している可能性が高いです。
さらに、ガザ地区は、人や物の出入り、電気や水、通信なども遮断された状態になっています。
実は、ガザ地区の電気や水道などのインフラはイスラエルに依存しています。エジプトから少量の電力提供を受けているガザ南部の一部地域をのぞくと、ガザ地区の電気のほとんどはイスラエルの電力会社から買っています。唯一の例外が、ガザ地区内にある火力発電所だったわけですが、それが10月中旬、燃料不足により操業できなくなりました。
また、ガザ地区の中では安心して飲める飲料水がとれません。
海岸に近くてそもそも塩分濃度が高いうえに、汚水の処理が不十分なために地下水が汚染され、安全な飲料水を得るためには外部からペットボトルで入れるか、水道を使うしかありません。その両方がいま止まっているのです。
いまガザで起きていることは、空爆や攻撃だけでなく、社会全体が水と電気を止められた状態で、1か月近く家屋も不十分ななか避難生活をしている人たちがいる。
これは、公衆衛生上の大問題を引き起こしていす。
イスラエルがこうした形でガザのインフラを完全封鎖することは、「集団的懲罰」にあたる行為だと言えるでしょう。
イスラエルの姿勢の背景には何があるのか?
今回、イスラエル政府がこれまでにない軍事行動に踏み切った背景には、イスラエル国内の世論の高まりがあります。
イスラエルの人々の怒りは、ハマスやパレスチナだけに向いているのではありません。
「なぜハマスの攻撃を許したのか」「どうして国民を守ってくれなかったのか」という怒りが、イスラエル政府や治安当局、軍にも向いています。
これに対し、イスラエル政府は、いわば「責任を行動で示していく」必要に迫られています。
人質の家族は「先に人質を解放してほしい」と訴えていますが、一方で「ガザに対して攻撃をしないでほしい」という声は少数です。
「人質をとるような邪悪な組織にはしっかりと責任をとらせるべきだ」と考える人が人質家族を含めて多く、軍事行動に歯止めをかける存在になっていません。
軍事行動を「止める要素」がイスラエル国内にないというのが現状です。
もし停戦があるとすれば、それはイスラエル自身が「やめる」と決めるときです。
イスラエルは、自分たちの責任で行動をとるし、自分たちの責任で終わらせる。国際世論から批判を受けてもこれまでの戦闘で動くことはなかったし、これからも、少なくとも現在の政権ではその可能性は低いと思います。
影響を与える要素があるとすれば、イスラエル国内の動きです。
ひとつは、動員している予備役です。彼らをいつかは社会に戻さなければならない。ガラント国防相が作戦継続は3ヶ月程度と発言しましたが、これは過去の事例に照らしても現実的な見通しだと思います。もうひとつは、兵士や市民の死者が増えることによって、社会にえん戦感が広がること。家族の中から「戦争をやめてくれ」という声が増えていくということがあります。
徐々に短い停戦が繰り返されるようになり、停戦の時間が徐々にのびて、最後に完全停戦というプロセスをたどると考えられますが、そこまでには残念ながら長い時間がかかるだろうと思います。
なぜ国際社会は停戦を実現できないのか
いま、世界各国で停戦を求めるデモが起きています。
アメリカでは、ユダヤ系の人たちの中からイスラエル批判や停戦を呼びかける声が上がっています。しかし、それがアメリカの政策を変えるところまではつながっていません。
イスラエルをもし止めることができるとしたら、それは最大の同盟国であったアメリカでした。しかし、バイデン政権は10月8日の段階でハマスの行動を非難し、イスラエルの自衛権を完全に擁護し、その姿勢を現在まで崩していません。バイデン大統領とブリンケン国務長官がイスラエルを訪問した際にも、明確にイスラエルに対しての連帯と哀悼の意を示した上で、自衛権を強く支持し、「止め役」としては動きませんでした。
このメッセージは、イスラエル側からみれば「アメリカはイスラエルの行動を支持している」、ほかの国も「アメリカはイスラエルの側につく」と理解したわけです。
けれども、多くの民間人がガザ地区で犠牲になる事に関しては、アメリカとしてもやはり抵抗感がある。だからこそ、人道回廊の設置や支援物資の搬入を求め、限定的に実現しているわけです。でも、今起きているのはそこまでです。
アメリカが今回の事態に関して、イスラエルにお墨付きを与えてしまったということは深刻にとらえる必要があります。もし、アメリカがこれ以上民間人の犠牲が出ることを許さない、人道危機状態を解消することを目指すのであれば、それは「停戦」しかありませんが、そこに踏み込めてはいないと思います。
もうひとつは、世界の大国の間で対立軸が出来てしまっていることです。
「アメリカ」「ロシア」「中国」といった対立軸によって、国連安全保障理事会の機能がほとんど失われている状態にあります。その問題はウクライナ危機でも表面化しましたが、今回、より如実になっています。イスラエルはアメリカの重要な同盟国ですが、究極的にはアメリカ本国の問題ではない。ロシアも大きな権益があるわけでもない。大国の間に落ち込んで、リーダーシップを発揮すべき国がいないということが、今回の問題の背景にあると思います。
解決への道筋はないのか 国際社会・市民ができることは?
しかし、だからといって、国際社会が何もしないわけにはいかないと思います。
まず、「民間人に対しての暴力は、どの対象に対してであろうと許されないことである」という原則は曲げてはいけないと思います。すべての当事者に対して、民間人に向けられた武力行使の停止を求めていく必要があります。
そして、イスラエルの責任と同時に、ハマスについても、イスラエル国内で1400人を殺害した責任を問うていく必要があります。
いま問われているのは、国際人道法や国際規範を、すべての当事者に等しく適用するという原則を国際社会としてしっかりとおし進めていけるかどうかです。
そして、国連の場で決議を出していくことも1つの方法です。
アメリカやイギリスなどヨーロッパ諸国の現在の姿勢や中東諸国などで顕著に示されている拒否感を見ると、国際社会が一丸となって働きかけをすることは難しいかもしれません。しかし、国連総会の場で、たとえ拘束力はなくても、多数の総意として懸念を示し続けていくことには意義があります。
日本、そして、私たちにできることは?
日本政府は、中東和平について3つの柱を掲げて、30年間、パレスチナ、イスラエルに対して外交を展開してきました。
①両当事者との信頼関係を日本が作り、
➁対話のチャンネルが開かれるよう最大限努力をし、
③パレスチナ社会に対して経済的な支援を行うことです。
この姿勢は現在の事態を受けても堅持されていると言えるでしょう。
両方と交流がある存在として、日本外交、日本政府が働きかけを行うことは重要です。
実際、イスラエルとの経済関係は2010年代に入ってから格段に拡大し、いま、イスラエルと日本の政財界のつながりは、過去に例がない規模になっています。日本に対してのイスラエルの期待は大きい。
そして、パレスチナ社会の側で言えば、JICA(国際協力機構)やNGOを通して、日本は顔が見え、親近感のある存在です。イスラエル、パレスチナ両者に対して少なくとも相手に届く立場にあるのですから、日本は停戦を求めているというメッセージを出し続けていくことが必要だと思います。
今年は、日本がパレスチナ難民を支援する国連機関のUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への拠出金を出し始めて70年になります。
1953年といえば敗戦からまだわずか8年で、当時の日本は国連にも加盟していませんでした。それでも世界の重要課題としてパレスチナ難民の支援に日本として関わっていくという姿勢を、当時の政府は打ち出したことになります。そうした長年にわたる関与というのは、パレスチナ社会でもしっかりと認識をされています。
ひとりひとりの市民にもできることがあります。
国際機関や日本の国際NGOなどの支援団体が、現地での長年にわたる活動をもとに、SNSなどで盛んに情報発信を続けています。寄付の宛先なども、そうした機関や団体のウェブサイトで確認することができます。
一番忘れてはいけないのは、私たちの声や支援も、イスラエル・パレスチナにとっては国際世論のひとつだということです。
わたしたちには、その世論として責任を果たすことが期待されています。
人の命が失われていく、市民の生活が脅かされていくことを私たちは容認できない、到底諦めることができないということを行動で示していくことが重要です。