危険運転致死傷罪 遺族が見つめた24年
「1999年4月1日、満3歳のお誕生日おめでとう!」
誕生日ケーキのろうそくを吹き消す幸せそうな親子。
この7か月後、幼い姉妹は飲酒運転のトラックに命を奪われました。
「命の重みを反映する法律であってほしい」という遺族の切実な訴えはその後、社会を動かし、悪質な運転をしたドライバーを厳しく処罰する「危険運転致死傷罪」の制定につながりました。
その「危険運転」の罪が適用されない事態が今、各地で相次いでいます。
法律の行方を見続けてきた東名高速事故の遺族は現状をどう受け止めているのでしょうか。
(「クローズアップ現代」取材班)
「危険運転致死傷罪」きっかけとなった事故
「危険運転致死傷罪」は、故意に危険な運転をして人を死亡させたり、けがをさせたりしたドライバーを処罰するため2001年に設けられました。
危険運転にあたる行為として▽飲酒運転 ▽制御困難な高速度での走行 ▽赤信号の無視 ▽あおり運転のような「妨害行為」などが処罰の対象とされています。
刑の上限は懲役20年で、懲役7年の「過失運転致死傷罪」と比べ大幅に重くなっています。
「危険運転」の罪が出来たのは、24年前の悲惨な事故がきっかけでした。
1999年11月28日。日曜日の午後の出来事でした。
東京・世田谷区の東名高速道路で、家族4人が乗った乗用車が飲酒運転のトラックに追突され、炎上。運転していた井上郁美さんは自力で脱出、助手席にいた夫の保孝さんは大やけどを負いながらも救助されましたが、後部座席に乗っていた奏子ちゃん(かなこ・当時3歳)と周子ちゃん(ちかこ・当時1歳)の幼い姉妹が亡くなりました。
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亡くなった姉妹の母親 井上郁美さん
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「子どもらしく、起きている間はずっと動き回っていて、ずっと何か悪いことをしようとしているようなとても元気な子たちでしたね。生きていたら奏子が27歳、周子が25歳。立派な大人、社会人になっていたはずです」
なぜ“過失”でしか裁けないのか
事故の後、トラックのドライバーは常習的に飲酒運転をしていて、当時は直前に酒を飲んで泥酔状態だったことが明らかになりました。
しかし、当時は悪質な運転を厳しく処罰する法律はなく、交通事故はすべて「過失」によるものとして扱われていました。
このため、ドライバーは業務上過失致死傷などの罪で懲役4年の判決が確定しました。
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亡くなった姉妹の母親 郁美さん
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「判決を聞いて愕然(がくぜん)としました。司法に携わる人たちの物差しは私たち市民の物差しと尺が違うんじゃないかと思いました。この先70年80年と生きられたはずの娘たち2人の命が懲役4年で引き換えられ、帳消しになってしまうんだって。交通事故の被害者の命が本当に軽く見られていたわけですよね」
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亡くなった姉妹の父親 保孝さん
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「悪質で危険な運転をしている加害者がいて、悲惨な事故が起きているにもかかわらず、なぜ交通事故は過失でしか裁けないのかと率直に思いました」
もっと人の命の重みを反映する法律であってほしい。
その思いを胸に、井上さんたちは悪質な運転を取り締まる法律の整備を求める署名活動に取り組みました。井上さんたちの思いに賛同する声は全国に広がり、最終的に37万筆を超える署名が集まりました。
そして、2001年11月28日「危険運転致死傷罪」を新たに設ける法案が成立。
事故からちょうど2年後、亡くなった娘たちの2回目の命日でした。
悲惨な事故で繰り返されてきた法改正
遺族の声を受けて出来た「危険運転致死傷罪」。
悪質な運転を取り締まる法律は、その後も悲惨な事故をきっかけに見直しが繰り返されてきました。
2006年の福岡市東区で飲酒運転の車に追突された乗用車が橋から転落し、乗っていた幼い子ども3人が死亡した事故。飲酒運転の発覚を逃れようとしたドライバーが現場から逃走し大量の水を飲んでごまかそうとしていたことが明らかになり、井上さんたちは「“逃げ得”を許してはならない」と遺族たちが始めていた署名活動に協力。飲酒運転やひき逃げの厳罰化、飲酒運転などの発覚を免れようとする行為を処罰する法の創設につながりました。
2011年に栃木県鹿沼市でクレーン車が小学生の列に突っ込み児童6人が死亡した事故や、2012年に京都府亀岡市で小学生の列に車が突っ込み10人が死傷した事故などで危険運転致死傷罪の適用が見送られることが相次ぎ、2014年に「自動車運転死傷行為処罰法」が施行。条件が厳しいと批判が出ていた「危険運転致死傷罪」はそれまでより幅広く適用できるようになりました。
さらに、2017年に神奈川県の東名高速道路であおり運転を受けて停止したワゴン車が後続のトラックに追突され一家4人が死傷した事故などをきっかけに妨害目的で車を停止する行為も処罰の対象に追加されました。
少しずつ進んできた法改正。その影には必ず事故の被害者や遺族の存在がありました。
井上さんたちはこうした遺族を支え、ともに声を上げ続けてきたのです。
“残された課題” 猛スピード運転
こうした中、井上さんたちが今、強く危機感を抱いているのが「猛スピード運転」です。
制限速度を大幅に超える運転で人を死傷させても危険運転の罪に問えない事態が各地で相次いでいるからです。
その1つが、おととし(2021年)大分市で起きた事故です。
会社員の男性が運転していた車が交差点を右折しようとした際、県道を法定速度の3倍を超える時速194キロで直進してきた乗用車が衝突し、男性は死亡しました。
検察は当初、猛スピードで運転していた当時19歳の被告を「危険運転」ではなく「過失運転」の罪で起訴しました。
「危険運転致死傷罪」では、“進行を制御することが困難な高速度での走行”が処罰の対象とされていて、これまではスピードを出しすぎてコントロールを失い、車線から外れた場合などに適用されてきました。いくらスピードを出していても車線内を走行できていれば多くの場合、適用されないと解釈されてきたのです。
講演のため大分を訪れていてたまたまこの事故のことを知った井上さんたちは、いてもたってもいられず、すぐに事故の現場を訪れ、その後遺族とも連絡をとって危険運転の罪への変更を求める署名活動に協力したといいます。
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郁美さん
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「とんでもない話だと思いました。私たちの感覚では時速194キロなんて制御できる速度ではなく危険運転が適用されて当たり前だと思うのですが、司法の物差しだと『まっすぐ運転できていたから危険運転ではない』とはじかれてしまう。法律家と私たちの間にある物差しの尺の違いというのは、いまだに完全には解消されていないと思います」
検察はその後、遺族の声や再捜査によって、起訴内容を「危険運転」の罪に変更し、裁判に向けて争点を整理する手続きが行われています。
宇都宮市でもことし2月、バイクに乗っていた男性が時速160キロを超える車に追突されて死亡する事故があり、20歳の被告は過失運転の罪で起訴されました。
大分や宇都宮の事故の遺族は「猛スピード運転での事故に危険運転を適用してほしい」と訴え、この夏、被害者の会を結成。井上さん夫婦もメンバーに加わり、ともに署名活動を行うなどして現状を変えようと取り組んでいます。
2人を突き動かすもの
20年余りに渡って、ほかの遺族たちとともに走り続けてきた井上郁美さんと保孝さん。
その活動の原点となっているのが、かつて署名とともに全国から寄せられた2000通以上の手紙です。
寄せられた手紙
「奏子ちゃん、周子ちゃんの生前の姿をTVで拝見しましたが、本当にかわいい限りで、残された方々の気持ちを想うと涙が出てきます。少しでも力になれれば、それから今後悲しい思いをする人をひとりでも減らすことができればと思います。」
「おふたりの無念さを思うと胸が痛みます。私たちの署名が良い意味で物事の解決や変化に役立てれば幸いです」
「突然の見ず知らずの者からの手紙、無礼をお許し下さい。今回、この署名を集めるにあたり、そのなかの1人が『僕はあの署名をしたから、もう絶対飲酒運転はしないんだ』と言っていました。この署名は、ただ名前を書いたものでなく、1人1人の心からの願いと誓いです」
「法律の行方を見届ける」その“覚悟”について、郁美さんはこう語ってくれました。
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郁美さん
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「危険運転致死傷罪は国民が動き、声を上げて、署名という形が後押しをして実った法律です。被害者だけでなく、その後ろにいる被害者ではない人たちの思いもある。だからこそ法律ができて終わりではなく、その後きちんと使い続けられるために、私たちがずっと見守り続けなければいけないと思っています」
※「奏子ちゃん」のお名前の漢字に一部誤りがあり、修正しました。大変申し訳ありませんでした。(2023年10月25日追記)