みんなでプラス メニューへ移動 メインコンテンツへ移動

みんなでプラス

“21世紀の戦争のリアルを伝えたい”【現代アーティスト・アレフティナさん】

ウクライナを代表する現代アーティストのひとりアレフティナ・カヒーゼさんは、軍事侵攻を受けた率直な心情を、飾らない絵とことばで発信し続けています。描いているのは戦争への戸惑い、ロシアの友人に対する複雑な感情、ペットへの謝罪…。ジャーナリストとは違う、キーウに暮らす市民の目線から見た“戦禍の日常”です。「どうか私たちの感じていること、考えていることに耳を傾けてほしい」と日本の人々に訴えかけています。

欧州メディアで注目 等身大の声を伝える“レジスタンス・アート”

アレフティナさんは1973年にウクライナ東部のドネツク州で生まれ、首都キーウ近郊に拠点を築いて作品を発表してきました。
ロシアによる脅威が迫る中で、夫は領土防衛部隊に参加。
アレフティナさんはSNS上で連日作品を公開するようになりました。

作品のひとつでは、ロシアを頭が3つある“怪物”に見立てて描きました。
右の頭は天然ガスを吐き、手にはユーロやドルなどの資金を手にしています。
まん中の頭はチャイコフスキーの音楽をかなで、左の頭でウクライナを攻撃しています。
戦禍にある人々の心境を素朴なタッチで伝えるアレフティナさんの作品は、「レジスタンス・アート=抵抗運動の芸術」としていまヨーロッパ各国のメディアに注目されています。

アレフティナさん

「もう1か月どこにも出かけていません。ずっと自分の工房にいて、すべて周囲で起きていることを描いています。自分で実際に見たもの、事実にしたものしか描きません。時には作品が矛盾した内容であることも、皮肉を交えていることもあります。でもそれが、ここにいる人たちの感じていることなのです」

海外の報道で初めて“戦争が起きるのか”と知った衝撃

アレフティナさんは、今回の軍事侵攻はぎりぎりまで実感がわかなかったといいます。
戸惑いが現れているのが、侵攻直前の2月14日に描いた作品です。

絵の右側に描かれているのは迫るロシア軍。
左には各国からの“軍事支援”の贈り物と、海外にいる友人が「大丈夫?」と口々に気遣う声。
間に挟まれたアレフティナさんは「何をすればいいかわからない」というように呆然としています。

実はこのとき、西側諸国では「軍事侵攻が2日後にも始まる」と伝えられていました。
ただ、周囲はいつも通り平和で、当初国外の友人から心配されても何の話をされているのかすらわかりませんでした。

アレフティナさんは海外メディアの報道で初めて戦争が起きるかもしれないと目にして、ショックを受けていたのです。「戦争が始まると信じるべきか、あるいはそういう考えを持たない方がいいのかも判断できなかった」と振り返っています。

その10日後、ロシア軍が現実に侵攻してきました。
アレフティナさんが暮らす村は、キーウから西に30キロほど。
戦争はいやおうなく、身近に迫ってきたのです。

アレフティナさん

「その日、私たちは飼い犬がほえている声で目覚めました。2階へあがったときに爆発が見えました。朝5時に爆撃された空港は私たちの家にとても近く、炎が見えるほどでした。それが24日の朝でした」

ジャーナリストではなく アーティストだからこそ伝えられる戦争の実感

作品には、次第に激しくなる戦火が色濃く映し出されていくようになりました。
1週間後に描いた作品では、地下シェルターにいるアレフティナさんが描かれています。

「あなたは避難するつもりなの?一番近いのはモルドバだと思うけれど」という相手に対し、「一番の近道は戦争を止めること…」と叫んでいます。

3月26日、自宅から900メートルの場所で大きな爆撃がありました。

「私はロシア嫌いではないしロシアの友人もいるけれど、そのリストはほんのわずか。ほかの人と友だちになるのは難しい…」とつぶやいています。

そして4月3日。キーウ近郊の町ブチャで、ロシア軍が撤退した後多くの市民が殺害されているのが見つかります。

描いたのは、大きな赤い丸の下に「ブチャ」。
右にいる「私」との間は、「車で47分」と書き込みました。

身近に迫る戦争の影。
犠牲になっていったのは人間だけではありませんでした。
アレフティナさんが作品に描き込んだのは、飼い犬の姿と「犬たちよ、私たちを許して」という謝罪の言葉です。

アレフティナさん

「爆撃があまりに激しいため、3匹飼っている犬はほえて攻撃的になっています。何が起きているか理解できないのです。
犬だけでなく、魚、カメ、猫、ニワトリ、皆に許しを請わなければいけません。避難した隣人の飼っていたニワトリや金魚に餌をやっているのですが、ニワトリたちはストレスで卵を産まなくなってしまいました。金魚は爆撃による停電で酸素を作る機械がとまり、1匹を残して死んでしまいました。
アーティストとして、私は責任を果たさなくてはいけません。ジャーナリストとは異なる伝え方です。ジャーナリストはニワトリや金魚について語る時間はありません。アーティストとして、この21世紀の戦争がいったいどんなものなのか伝えたいのです」

抵抗の原点は“しなやかに戦った母親”

「アーティストとしての責任を果たす」と話すアレフティナさん。

友人たちから何度も国外への避難を勧められても、ウクライナにとどまって“等身大の戦争”を伝え続ける決意は揺らぎません。

原点にあるのは、ロシアの圧力と向き合い続けた母親の姿でした。

母親は、アレフティナさんが大学進学を機にキーウ近郊に移ってからも東部ドネツク州で暮らし続けました。
ところが2014年、ロシアの支援を受け親ロシア派の武装勢力が一方的にウクライナからの独立を宣言。ウクライナ政府と激しい衝突を繰り返すようになったのです。
ドネツク州ではロシアの国旗が掲げられ、監視所も設置されたといいます。

アレフティナさんは母親のもとを自由に訪ねることもできなくなってしまいました。

それでもアレフティナさんの母親は、紛争が長引き、親ロシア派と親ウクライナ派の間で対立が深まる中で立場や思想にとらわれず、以前と変わらない日常を送り続けようとしました。 

2019年に母が亡くなるまで、アレフティナさんは母親の体験を作品に描き「戦禍の中で生きるとはどういうことなのか」を表現してきたのです。

アレフティナさん

「母親とは毎日連絡を取るようになりました。母が語った内容はごくごく普通の暮らしです。戦火のただ中にいて、今のウクライナととてもよく似た状況に置かれていました。
母は戦争前と変わらない“平和的な人間”であり続けようとしました。占領下で暮らしながらウクライナ寄りの立場にたち、誰にでも手を差し伸べました。それが、彼女が私にとってのヒーローになった理由です。戦争が人を大きく変える中で、彼女は変わらなかったのです」

<左側は闘争の犠牲になった女性とその両親、右がアレフティナさんの母親>

母親の日常に根ざした作品の数々は大きな反響を呼び、ドイツではアニメーションや演劇にもなったそうです。

ウクライナ全土がロシアに侵攻された今、アレフティナさんも母と同じように、銃を握って戦うわけではなくても決して服従せず、作品を発信することでしなやかに抵抗し続けようと考えています。

私たちは最後に、日本にいる私たち伝えたいことはなにかと尋ねました。
アレフティナさんが強調したのは「つながること」の意義でした。

アレフティナさん

「私たちに耳を傾けてくれることが、大きな助けになります。どうか私たちのいうこと、考えていること、感じていることを信じてください。耳を傾けることから信頼が生まれ、信頼が生まれると私たちのことを知ることができます。それが私たちの必要なものを知る手掛かりになるのです。ウクライナ人は、自分たちが必要なものを伝える強さを持っています」

アレフティナさんの作品は、現在ウィーンの芸術祭ビエンナーレをはじめ各地で公開され大きな反響を呼んでいます。

みんなのコメント(0件)