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“情報”が消えた街で 【マクシムさん・マリウポリのテレビ局員】

東部の要衝・マリウポリではロシア軍の侵攻後、インフラ設備が破壊されました。人々に情報を届けるためのテレビ局もその例外ではありませんでした。そんな中、マリウポリのテレビ局で働いていたマクシム・グラボブスキーさんは、「ある方法」で人々に情報を届けようと活動をつづけていたと言います。
(4月4日放送・クローズアップ現代で取材)

マリウポリのジャーナリストとして

マクシムさんは、「ドンバス」「シグマ」という2つの地元テレビ局でジャーナリストとして働いていました。2月24日のロシア軍の侵攻直後、上司から電話がかかってきたときのことをこう振り返ります。

マクシムさん

「編集長から電話があり、私たちは今後の仕事の方法について話し合いました。情報を迅速かつタイムリーに伝えるべく、急いで特別番組を放送しなければならなかったからです。当時は刻々と状況が変化していましたし、人々に何が起きているかを伝えることが非常に重要でした」

〈スタジオに出演するマクシムさん(奥) 侵攻前の仕事風景〉

地元のジャーナリストとして、人々に情報を届ける使命を負っていると感じていたマクシムさん。しかし、その思いもすぐに挫かれてしまいました。ロシア軍が電力や通信設備への攻撃を始めたからです。

マクシムさん

「当然ながら、ニュースを放送することはできませんでした。テレビ局の信号を送る通信塔の電源が切られていたからです。
私たちは最後の最後まで仕事をしようと努めました。出勤してくる同僚はほとんどおらず、最終的には私一人になりました。もはやテレビで放送することはできませんでした。
ただ会社ではまだインターネットが通じたため、SNSなどを通してニュースを投稿しようとしました。しかし、その後、インターネットも完全に失われ、電気も消えました」

“通信”ができなくても、“ビラ”で情報を届ける

〈マリウポリの街 マクシムさんが撮影した写真〉

通信環境が最大の生命線であるジャーナリストにとって、まさに手足をもがれたような状態となっていました。しかし、このままじっとしていられない。自分にできることはないかと考えたマクシムさんは、街のボランティアセンターを訪ねました。そこでは避難している人々に情報を届けるためのビラの準備が進められていました。
マクシムさんは、街の市民に聞き込みをし、どこで水が手に入るのか、どの店が営業しているのかなどの情報を得て、それをビラで届ける活動を始めました。

マクシムさん

「私たちは避難所を訪れ、ビラを食料と一緒に配りました。そこには1000人を超えるたくさんの人々がいました。
このビラで、水や食料を得るにはどこにいけばよいか、マリウポリやウクライナの全般的な状況はどうなっているのか、命を守るにはどうしたらよいか、さらには軍用機の音を聞いたり、軍用ドローンを見たりしたら、どう行動すればよいのかについて、情報を発信しました。それが少しでも人の役に立てばと考えたのです」

〈水を求める人々〉

しかし、その活動も長くは続きませんでした。3月17日、ロシア軍がボランティアセンターを砲撃したため、それ以上の活動ができなくなったからです。

街を離れることを決意したマクシムさん。せめて街の状況を記録しておこうと、スマートフォンのバッテリーが限られる中、街の被害状況を撮り続けました。

ジャーナリストとして出来ることを考え続ける

いまはマリウポリから300キロ離れたドニプロという街で避難生活を送っていますが、地元のジャーナリストとして、マリウポリのためにできることは何か、考え続けていると言います。

マクシムさん

「(テレビ局の)同僚たちはバラバラになってしまっています。経営陣たちは、編集部の継続および再開へ向けて、働く準備ができている人たちを集めようと試みています。私も今後に向けて何かできないか、自分にできることは何かと考えています。いまそのための準備を進めています」

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