ザポリージャ原発 “核爆発を覚悟した”【マクシムさん・ザポリージャ】
ウクライナ東部にある、ヨーロッパ最大規模のザポリージャ原発。ロシア軍の攻撃を受け火災が発生したというニュースが入った2日後、近くに住むマクシム・テレシチェンコさん(43)にオンラインで話を聞くことができました。
“核爆発を覚悟した”という緊迫した心境と、まだ幼い子どもたちへの思いを明かしてくれました。
核爆発を覚悟し「ヨウ素剤を準備した」
マクシムさんは、妻と2人の子どもとともにザポリージャで暮らしてきました。
私たちがSNSへの書き込みを見てコンタクトをとると、すぐに返信をくれました。
ふだんは広告関係の仕事をしているといいますが、今は軍や病院への物資や食糧の供給、避難民の受け入れ準備など、ロシア軍と戦う人々の後方支援にかけずり回っています。
自宅があるのは、ザポリージャ原発からわずか30キロ。
ロシア軍が原発を攻撃したというニュースを聞いたときのことを、厳しい面持ちで話してくれました。
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マクシム・テレシチェンコさん
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正直なところ、攻撃によって核爆発が起きると覚悟しました。非常に怖かったです。
子どもたちは何もわかっていませんでしたが、妻は恐怖でただ泣いていました。
“私たちは原子力災害の震源地にいるのだ”と誰もが理解していました。すぐに被ばくする可能性があるのに、自分や子どもを守る方法がないことを理解していたのです。
私たちはすぐにヨウ素剤を準備し始めました。なんとか子どもたちを守りたかったのですが、残念ながらヨウ素剤を除いては、他に手段はありませんでした
家族を避難させ “自分は最後まで戦う”
その後もザポリージャの街に向かって、ロシア軍が南から日に日に迫っていました。
「いずれ市街戦になるだろう」という悲痛な思いを抱いたマクシムさんは、話を聞いた翌日の3月7日、家族を国外に脱出させることを決断。
家族は3日間かけてポーランドに避難しました。
マクシムさん自身はひとり残って、生まれ育ったこの土地を最後まで守る決意だといいます。
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マクシム・テレシチェンコさん
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私たちはここに9世代にわたって住み続けています。1600年、1700年代という時代から私たちはここに暮らしてきたのです。私は祖先を裏切ることはできません。私が自分の土地を去って放棄したと言うことはできません。
自分の祖先に「すみません、私は逃げました」とは言えません。絶対にできないのです。ですから、私たちは最後まで戦います
子どもが絵を描かなくなったー
マクシムさんが今気にかかっているのは、2人の子どもたちの心の傷です。
長男のルスランさんと、下の娘イーラさん。
中でも11歳のイーラさんは日本のアニメが好きで、いつかアニメを理解したいと日本語を学んでいたといいます。アニメを描く練習もしていました。
しかしロシアの侵攻以来、イーラさんは絵を描くのをやめてしまったといいます。
この戦争が子どもたちにどんな影響を与えているのか、マクシムさんに尋ねました。
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マクシム・テレシチェンコさん
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子どもたちは怯えています。日常が乱されてとても緊張しています。以前のように生活することができず、学校にも音楽教室にもプールに行けず、外に出ることもできません。普段口にしていた食べ物を買うこともできません。
そして、彼らはこれが誰との戦争であるかを理解しています。これはロシアとの戦争だということです。自分たちの国がロシアによって攻撃され、罪のない人々がロシアによって殺されていることを子どもたちもわかっているのです。
彼らはロシアの人々と正常にコミュニケーションをとることができなくなるでしょう。もし軍事行動が停止したとしても、この紛争は20年、30年、40年たっても解決されることはないでしょう。
“兄弟国”とも呼ばれてきたロシアとウクライナ。
プーチン大統領は去年発表した論文で「精神的、文化的結び付きは何世紀にもわたって形作られてきた」と強調していました。
しかしプーチン大統領が引き起こした軍事侵攻は、ウクライナの未来を背負う子どもたちの心に取り返しのない傷を残してしまったのだと、マクシムさんの言葉から感じました。
「国際報道2022」でも「ウクライナからの声」を連日発信しています