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相撲は“人生”である 人生の3分の2は相撲とともに!

5歳のときにだっこをしてくれた「お相撲さん」
のちの推しとなる小野川親方(元 北太樹)です。

この出会いをきっかけに、その後の人生は相撲一筋に。

相撲名鑑で漢字を覚え、相撲の歴史をきっかけに歴史検定を取得し、進学する中学は国技館がある「両国」に!

人生の節目には常に「相撲」があった…
相撲とともに歩んできた人生が彼女にもたらしたものとは?

(#教えて推しライフ 取材班)

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24時間相撲漬け 進学先も両国にした中学生

15歳にして、相撲推し歴10年の小西伶奈さん。
こちらが相撲を観戦するときのスタイル。

番付表から作ったというオリジナルのかばんにポシェット、そして力士の浴衣の生地で作った帽子(推し力士のサイン入り)を着用!

さらに、学校の登下校でよく聴いているというのが、大相撲が開催される朝に叩かれる「寄せ太鼓」です。 

ちなみに、進学する中学校も「両国」にある学校の中から、決めたという徹底ぶり。

伶奈さん

国技館が日常の景色、毎日見るものになっていることが誇らしいです。場所中はのぼりが立っていて見た目も鮮やかですし、登校するときは、親方や警備員さんが木戸口、チケットをもぎる台を出してたり、いろいろ準備されている姿が見えて。下校中は、国技館に入っていくお客さんや相撲が終わって部屋に帰る力士の方とかいっぱい見られるんです。

推しは優しくだっこしてくれた“北太樹”

猛烈に相撲を愛する伶奈さんが、初めて力士と出会ったのは5歳のころ。

家族で両国にお出かけしたときに、偶然出会った力士にお母さんが記念写真のお願いをしました。

そのとき優しく対応してくれたのが、北太樹関(現 小野川親方)。

(左:5歳の伶奈さん 右:北太樹関)
伶奈さん

お相撲さんって優しいんだって思いました。このときのことは覚えています。よく知らないお相撲さんが優しくしてくれて、「こっちおいで」って言ってだっこしてくれたっていうのは覚えています。

母・美和子さん

まさに神対応で驚きました。すごい大きな体のお相撲さんが、とても小さい娘に腰をかがめて呼んでくれたのが神様みたいに見えて、すごい光景見てるなと思って。ひょいって持ち上げて、優しく写真撮らせてくれたんですよね。

翌日テレビ中継を見て、だっこをしてくれた力士が「北太樹」というしこ名だと知った伶奈さん。

その次の日には「相撲名鑑」を購入。

ボロボロになるまで読み漁り(よみあさり)、気づいたときにはお母さんよりも相撲に詳しくなっていったといいます。

母・美和子さん

娘に「これってどういうこと?」って質問するとサラっと答えるんですよ。「おおお、すごい、いつの間にか勉強している、覚えている!」という驚きと吸収力の速さに驚きましたね。

それから、東京・両国で場所が始まる度に北太樹関を見るために相撲を見にいくように。

北太樹関の魅力は?と聞くと…

伶奈さん

四股(しこ)の形が足先、つま先までピンと伸びていて、見ていてとても感動します。あと、立ち合いの前の仕切りで手をついたりする場面の所作がキレイでした。速攻相撲が得意なんですけど、見ていて飽きない勝負をされていたので、そういうところもとても好きでしたね。

しかし、あまりにも好き過ぎてテレビで取組を見るときは…

伶奈さん

緊張しすぎて取組が見れなかったときもあって、部屋の隅っこにいって、目と耳をふさいだりなんかもして、勝負が決まったあとに戻ってきてリプレー映像を見ていました。

時には、あまりの緊張で取組を見ることが出来ず、お母さんに「勝敗」を聞き、勝てば喜び、負ければ泣いていたくらいのめりこんでいたそうです。

現役引退…そして親方になっても“推す”

5歳で出会ってから、ずっと大好きだった北太樹関。

しかし小学3年生のとき、玲奈さんは衝撃的なニュースを聞かされます。

それが…「北太樹 現役引退」

母・美和子さん

静まりかえっていましたね。静かな夕飯を迎えました…。

娘は泣くこともできないぐらい悲しかったみたいで。でもその反面、北太樹関はその当時ちょっと調子が悪くて幕下にも下がってたので、「親方、やっと楽になるね」と、少しほっとしたようなところもありました。

伶奈さん

自分もあんまり緊張しなくて済むって。部屋の隅で耳を塞ぐこともないのかあって思いました。

しかし、現役引退後も愛は冷めませんでした。

引退後は、小野川親方として山響部屋で後進の指導にあたることに。

すぐに気持ちを切り替えた伶奈さん、これ以降は「小野川親方推し」として活動するようになりました。

テレビ中継で解説をするときは、それを聞きながら相撲鑑賞を。
親方になってから出演しているYouTube動画は欠かさずチェック。
(中継の解説とは打って変わってふざけた親方の一面が見れるため、おもしろいんだそうです)

両国の国技館で本場所があるときは、国技館の売店でグッズを売っている親方に会いに行き、話をするように。
(国技館では、親方たちが売店の店員をしているので直接会うことができます)

漢字も歴史も…すべては相撲から学んだ

そして毎年続けてきた「夏休みの自由研究」も親方仕様に…!

小学1年生の頃から毎年相撲について研究し、「大相撲の歴史や決まり手」など、主に現役の力士についてまとめてきたのですが、小野川親方がふだんどんなことをしているのか知りたくて、引退した後に作ったのが「親方編」です。

伶奈さん

こちらでは、親方とは何か、親方の説明をざっくりして、年寄名跡っていう親方が名乗る名前の一覧があるんですけど、それを全部書き出しました。

100以上ある親方の名前を書きだすことで、難しい漢字もたくさん覚えました。
さらには、相撲の歴史を調べるうちに日本史にも興味を持ち、「歴史検定」も取得。

そして夏休み明けには、作った自由研究を必ず親方に見せに行き、褒めてもらうのがうれしかったという伶奈さん。

10年も親方を推すわけには、「その距離の近さ」があるんだといいます。

伶奈さん

距離感で言えば、たまに会ってすごく優しくしてくれる親戚のおじさんなんです。見守ってくださっている感じもするし、いて当たり前、いないのが考えられない存在ですね。

母・美和子さん

小野川親方の言うことは親よりも聞くので(笑)、「伶奈ちゃん勉強頑張って」とか「テスト頑張って」とか応援してくれていたので、すごく力になる存在ですね。

これからもずっと応援しますか、伶奈さん?

伶奈さん

はい、死ぬまで応援します。親方が日本相撲協会を退職されたあとは、長生き頑張ってっていう応援のしかたをしたいです。

取材を終えて

伶奈さんは、「これからは自分で縁を作っていきたい」と最後に語っていました。
母・美和子さんが偶然声をかけたのが、小野川親方。
その「縁」がきっかけでいまの自分と相撲の関係が生まれたからです。

自分の好きなことだと、集中力が上がったり、その分野の知識が豊富になったりと…そういう経験は誰しもあるのではないでしょうか。
彼女は、常に人生の真ん中に大好きな「相撲」を据えて生きてきました。
漢字を覚える、歴史に詳しくなる、中学校を受験する、一見かけ離れていることかもしれませんが、相撲を愛する気持ちで一歩を踏み出し、人生が好転していく。

学校でも仕事でも、ちょっと推しと絡めて考える、その発想の転換で見える世界が変わってくるのかもしれないなと思いました。

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