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新選組 土方歳三を推し続けて14年のワタシが中継番組で伝えたかったこと

「好きなことを仕事にする」
それができれば、幸せなことだと思います。

私は入局2年目ディレクターの池田佳恋です。私の推しは、新選組"鬼の副長"こと土方歳三!小学生のころから憧れの存在で、部屋には特大ポスターを貼っています。

そんな私にとって「聖地」だった土方歳三資料館が、先日惜しまれながら長期休館することになりました。「記録に残さなくては」と現場からの中継を提案した私。

しかし、一方で、いちファンの立場で土方さんに関する取材を行うことにためらいもありました。

推し活ではなく、取材を通じて「土方歳三」と向き合った1週間。そこから見えてきたのは、多くの人に愛される推しと支える人の努力でした。

(おはよう日本ディレクター 池田佳恋)

※2022年11月5日放送「おはよう日本」の内容を元に記事を作成しています

「休館は突然に…」全国 土方歳三ファンが受けた衝撃

ことし2月、私にとって衝撃的なツイートが回ってきました。 
それが…こちら。

土方歳三資料館公式ツイッター「長期休館のお知らせ」
資料館公式twitterのお知らせ

東京・日野市にある土方歳三の生家。その跡地に建てられた資料館では、約70点の遺品や史料が展示されています。

社会人になり、東京に住むようになってから、かれこれ20回以上足繁く通った、私の「聖地」でもあります。

そこがまさか休館になるなんて…。このツイートを見たときは、心にぽっかりと穴が空くようでした。

土方歳三資料館
土方歳三資料館

土方歳三や新選組に関するものは明治に処分されてしまったものも多いですが、生家では大事に守り残してきました。

中には、新選組の名を一躍有名にした「池田屋事件」で使用したという、鎖帷子(くさりかたびら)も。槍で突かれたとみられる穴も残っています。

「池田屋事件」で使用したという、鎖帷子
「池田屋事件」で使用したという鎖帷子(くさりかたびら)

多くの人が目当てにやってくるのが、愛刀の「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)です。
函館での戦いで亡くなるまで使用され、土方歳三の最期を見守ったと伝えられています。
さやの部分には無数の刀傷があり、激しい戦いに身を置きながら指揮をとっていたことがうかがえます。

土方歳三の愛刀「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)
土方歳三の愛刀「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)

土方歳三は、多くの小説や映画、マンガなどの題材として取り上げられたこともあり、新選組の中でも屈指の人気を誇ってきました。

実は「人気がありすぎて」休館することに…

資料館が休館するのは人が来ないからではありません。ファンの聖地となって多い日には来場者が1日1000人を超え、対応できるキャパシティーを超えてしまったのです。

土方歳三資料館に並ぶ観光客
土方歳三資料館に並ぶ観光客

資料館を運営してきたのは、土方歳三の兄の子孫です。現在6代目の土方愛(ひじかた・めぐみ)さんが28年続けてきました。

開館日の対応だけでなく、コロナ禍による予約制のイベントなども行ってきましたが、一時休館することを決意しました。

土方愛さん

「ずっと個人で運営していて対応が難しくなっていました。一度休館して今後の体制を整えたいと思っています。全国から来てくださり、歳三さんが愛されているのを感じています。さらに資料館のおかげで新選組の子孫の方も来て、研究では見つからないような発見もありました。時代を超えて多くの人たちの絆をつないでくれていると思いますので、今後も前向きに準備を進める予定です」

ディズニーランドより土方さん!追い続けた私

人気がなくなって休館するのではない…とはいえ、私は複雑な気持ちで過ごしていました。しばらくはSNSを断ち、公式からのお知らせや館長の土方愛さんが行っている音声配信も聞けずにいました。

オタクとして、わきまえているつもりでしたが、土方さんにもっと近づきたいという欲望は果てしなく、一番に存在を感じられる聖地に行けないことに自分でもびっくりするほどショックを受けていました。

私は土方歳三のことを「土方さん」と尊敬と親しみを込めて呼び、ずっと人生の指針にしてきたからです。

土方歳三が主人公の『燃えよ剣』

好きになったのは小学生の頃。親の影響で、幼稚園の頃から大河ドラマを見るなど、もともと歴史が好きでした。

経緯を詳しくは覚えていないのですが、ある日背伸びをして手に取った司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』を読んで、主人公である土方さんの「刹那的で苛烈な生き方がかっこいい!」と熱狂しました。

難しい漢字や大人な描写も出てくるのですが、読み始めたら止まらず、上下巻を一夜にして読み切ってしまいました。初めて読んだその日から、私は土方歳三の虜になりました。

その後も、常に教室の自分の机にしまって、テストや持久走などやる気が出ないときに開くというのが私の習慣でした。

筆者の小学生のころの自由研究
筆者の小学生のころの自由研究

それからは、夏休みになると図書館にある新選組関連の本を読みつくしました。自由研究のテーマも、もちろん新選組の刀。調べたわけは「新選組のかっこよさをみんなに教えるため」です。

福岡の実家の玄関には土方さんの特大ポスターを飾り、一礼して学校へ行くのが日課。

ちなみに実家だけでなく、いま一人暮らしの部屋にもポスターは貼ってあります。中学生になって生徒会長をつとめたのも、土方さんが行動の指針。

『鬼の副長』として恐れられながらも、新選組の強化に努めた土方さんがお手本でした。土方歳三資料館を初めて訪れたのも、中学生の家族旅行でした。

親には「東京ディズニーランドよりも資料館に行きたい!」と訴えたそうです。

高校、大学と進むにつれ、応援団やバンド、アルバイトなど世界が広がります。その頃になると、土方さんがいち早く西洋式の服装や武器を取り入れ、「自分に合う戦い方を選び取り入れる」という柔軟さにひかれていきました。

私は、小学生の頃からオタ活を家族だけでなく友人にも見せてきました。友人は、初めは引いている様子ですが、一貫した姿勢に理解をしてくれているようで、土方さんがテレビに出ているときに連絡をくれたり、全国にある新選組関連の名所を見つけたときに写真を送ってくれたり、お土産を買ってきてくれたりと、推し活に協力してくる大変ありがたい存在です。誕生日に土方さんをまねて送ってくれたチャットは記念に残しています。

推し活が家族や友人の支えで成り立っていることを実感しました。

友人が土方さんをまねて誕生日にくれたチャット
友人が土方さんをまねて誕生日にくれたチャット

『燃えよ剣』をバイブルとして土方さんの“厄介オタク”になってしまった私は、日々の生活から人生の大きな選択まで、土方さんに恥ずかしくない生き方をできているか、自分で考えて決めたことに対して責任を果たしているかを心の中の土方さんに問いかけてきました。

土方さんや新選組関連の情報は書籍や番組などでできる限り履修してきたつもりですが、土方さんのエピソードが史実なのか創作なのか、もはやわからなくなっています。

もちろん史実をアップデートしていくことも大事ですが、歴史上の人物だからこそ、自分の解釈を楽しむことができるとも思います。

土方さんの魅力を一言で表すとすれば、『激動の時代に、信念を貫き最期まで戦い抜く生き様が魅力』。

どの角度に掘ってもかっこいい、絶対的な生き様に、日々奮い立たされています。

百姓出身から武士を志して新選組をまとめ、新選組幕府が滅びた後、賊軍のそしりを受けても、北へ向かい箱館で亡くなるまで戦うことを決めた土方さん。 

前例なき道を進み続ける、その絶対的な決断と行動に、どうしようもなく惹かれてしまうのです。

筆者の土方歳三グッズ

中継で伝えたい「土方さん」の意外な魅力

休館と聞いて、いま私ができることは何だろうと思ったとき提案したのが、土方歳三資料館を中継することでした。

中継で何を伝えるのか、上司から何度も問われました。熱意を込めたプレゼンを何度もし、周りの後押しもあり採択されました。

ファンに恥じない内容を担保するというプレッシャーもありながら、地元の方にも、初見の方にも、楽しんでもらえる中継にすることが、ディレクターとしてやるべきことだと考えました。

一方、それでも、いちファンの立場で土方さんに関する取材を行うことにためらいもありました。歴史に詳しいわけでもない自分が、中途半端な覚悟で立ち入っていい世界ではないと考えていたからです。

ただ休館前、もう最後になると思ってうかがうと、地域の方などさまざまな方の協力のもとで成り立っている資料館が尊いと感じる気持ちが強くなりました。

中継をしたいと思い切って土方愛さんにお願いをして、快諾いただいたのです。

資料館入り口にある竹
資料館入り口にある竹は土方歳三が植えたとされる

ファンが取材して改めて感じた資料館のありがたみ

企画が決まって放送まで取材したのは、数日という短い期間でした。しかし、取材をするなかで、ファンとして通っていたころとは違う気づきがあります。

ファンや子孫が集う愛のあふれる資料館の運営を多くの方が支えているということです。開館やイベントの運営を手伝うボランティアさんの存在や地元の方の理解。そして、そんな愛される資料館の館長、土方愛さん。

全国から目当ての方が来る開館日を28年継続するには、このご時世も相まってプレッシャーもあったのではないかと推測します。改めて計り知れない努力のうえで成り立っていた場所に感謝しています。

実際に中継をするとなってから、私にとって大きな挑戦でした。土方さんの魅力とはなんなのか。土方さんの魅力をどうすれば伝えられるか。土方さんに恥ずかしくない放送が本当に出せるのか。

まさに土方さんに見られているような場所から伝えることになったのですから。悩んだあげく、私が最初に紹介することにした資料がこちらです。

土方歳三の句集
土方歳三の句集

土方さんが、京都へ向かう前にまとめた「句集」です。

「しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道」という恋の詩も書かれています。剣に生きたイメージ強い土方さんですが、趣味で俳句を詠んでいて、ロマンチックな面もあったのです。

もともと故郷や仲間を大事に思う人間味のある人だったから、新政府軍に追われた時にも、隊士たちは「赤子が母を慕うように土方さんについて行った」と伝えられているのではないか・・・。

そんな側面を伝えられればと思いました。

寄せられたメッセージ

放送では、池田屋事件で使われた鎖帷子、愛刀の和泉守兼定を紹介。そして最後に紹介したのが、全国のファンから寄せられたメッセージでした。

「子どものころから、ずっとここに来るのが夢でした」

「中学生の頃に土方さんを好きになって、追いかける気持ちで京都にも進学しました。今もこれからも土方さんが頑張る理由になっています」

「28年間本当にお疲れ様です。大切な友人と一緒にたくさんの思い出を作った大事な場所でした」

土方さんにエネルギーをもらってきたのは私だけでないということ、こんなに大きな輪に広がっていること。テレビで見ていたみなさまに、そして空から見ている土方さんにも伝えられればと思ったのです。

“激動の時代、最後まで戦う決意”

就職活動で「土方さんのようになりたいんです!」と大真面目に話した私。2年後に土方さんのことを伝えているとは思ってもみませんでした。

コロナ禍に社会に出て、報道の現場で情報の海にもまれている自分にとって、どのように生きていくべきかいつも迷い、探し続けている最中です。

こじつけではありますが、幕末に生きた名もなき人たちも同じだったかもしれません。土方さんのように激動の時代で信念を貫き、最後まで戦い抜くことだけは忘れないでいようと思います。

左から土方愛さん、黒田アナウンサー、筆者 ディレクター池田

休館から1か月…土方歳三資料館のいまは?

資料館ではこのあと、史料を今後も良い状態で保存するために記録をとって修復し、次の世代へ残す体制を検討するそうです。各地で個人が運営する資料館をどう存続するか課題になる中で、土方愛さんは今後のモデルケースになれるよう模索したいと話していました。

休館からおよそ1か月がたとうとしている中、土方さんにいまの気持ちを聞きました。

土方愛さん

「土方歳三資料館が長期休館に入り、しばらく経ちました。まずは無事休館までの全ての開館日を無事に終えることができホッとしております。また改めて長期休館に際し、皆様のお寄せくださった惜しむお声を思い出し、お手紙などを読むにつけ、この休館期間をみのりあるものにしようという思いが湧いてきました。来週より大掛かりな資料整理が始まります。資料整理は地道で気の遠くなるような作業が続くのですが、次世代へと新選組の歴史を引き継ぐためにも頑張りたいと思っております!」

休館を知り悲しみに暮れた時期もありましたが、取材を経て、守り継いでくださった皆様の存在と資料館の将来を守るための期間であることがわかり、オタクとしては、むしろ一生推していくことができるのだと希望に変わりました。

土方さんは28歳で京都に上り、その後新選組を結成しました。資料館は28年の歴史で人々をつなぎ、エネルギーを与えてくれました。

私は28歳まであと数年、自分で考えて決めたことに責任を果たし、信頼される人になりたい。竹林を抜ける風に吹かれながら、そんなことを考えました。

土方歳三の銅像と筆者
土方歳三の銅像と筆者

担当 #教えて推しライフの
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みんなのコメント(3件)

感想
笠松
50代
2023年3月10日
私も「土方さんに恥ずかしくないか」って、土方さん(の写真)に見守ってもらってきました。でも最近ちょっと忘れがちだったので、この記事で思い出させてもらいました、有難うございます!
土方歳三記念館、行ったときのドキドキを思い出しました。今後もファンが資料に触れられるようにして下さっているんですね。今までもこれからもずっと感謝です!
感想
ジャスミンティー
女性
2022年12月26日
私も中学生の頃から新撰組や土方さん
沖田さんなどの佐幕派が好きでそこからのご縁で英語に興味を持ち果ては古典芸能にまで趣味が広がり
日本について深く知ることが出来ました
彼らより長く生きてしまったけど
彼らにも土方さんにも感謝しています
私の全ての出発点は新撰組であり土方さん
です。今求職中ですがそれを思い出して
また頑張ろうと思えました
体験談
青人草
30代 女性
2022年12月26日
池田さんの情熱に圧倒され、素晴らしいと思いました。それと同時に、一方で私は恥ずかしいそして残念な思いをしました。それは池田さんのように人生を推し活に燃やせなかったことであり、推し活を周囲に明かせなかったことでもあります。
私は小学生時代から某新選組所縁の人物を推していましたが、その人物のホームと言っていい土地にも関わらず理解を得られませんでしたし、外部からは歪な郷土愛だと思われショックを受けました。今思えば、土方歳三と違ってその人物は純粋に推す方々に恵まれなかったのかもしれません。かくいう私も否定的意見に飲まれて活動を中止した時期があります。
土方歳三が愛され、人も史料も集まる。とても素敵なことだと思います。それだけに、その芝生は青く輝いて見えました。