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沖縄戦 私が歌い続けて、語り継ぐ

6月23日、沖縄戦から78年の「慰霊の日」。
ある歌が響き渡ります。

「悲しい過去を乗り越えた
 昔の人の叫びを聴こう
 晴れ渡る未来(さき)を創るため
 歌い続けて語り継ごう」

歌を届けるのは、糸満市出身のシンガーソングライター、石嶺愛莉さん(27)。
子どものころに祖父母から聞いた沖縄戦の話が忘れられず、その記憶をオリジナルの歌を通して語り継いでいます。

石嶺さんが、全国で活動する同世代の語り部に伝えた思いとは。

石嶺 愛莉さん(いしみね あいり・27)
沖縄県糸満市出身。2016年から沖縄県内でシンガーソングライターとして活動。祖父母から初めて沖縄戦の話を聞いたときに感じた戦争の“むごさ”や“怖さ”が忘れられず、絶対に戦争を起こしてはいけないという強い気持ちから、歌で沖縄戦の歴史を伝承している。
宗像 涼さん(むなかた りょう・24)
福島県富岡町出身。小学6年生のとき、原発事故により県中心部にある郡山市に避難。2019年、20歳のときにすでに避難指示が解除されていた富岡町に戻り、「ふるさとを忘れないでほしい」 と地元のNPOで語り部として働き始める。
稲福 政志さん(いなふく まさし・25)
沖縄県那覇市出身。観光や修学旅行で沖縄に来た人などを案内。大学生のときに祖母から沖縄戦の話を聞いて衝撃を受け、県内外の人に沖縄戦について語り始める。聞いてくれる人が興味・関心を持てるようにワークショップを取り入れるなど、工夫をしながら語り部の活動を行っている。

得意な“歌”で過去の歴史をつないでいきたい

民謡居酒屋で歌う石嶺さん

シンガーソングライターとして活動する石嶺さん。毎週、地元の民謡居酒屋で沖縄戦をテーマにした歌を歌うなど、県内外の人に戦争を語り継いでいます。ことしは東京やハワイで行われたイベントでも歌を披露するなど、活動の場を広げています。

石嶺さんと待ち合わせた稲福さんと宗像さん(糸満市・平和祈念公園)

今回石嶺さんが対話したのは、福島県富岡町出身で東日本大震災の経験を伝える語り部活動を行う宗像涼さんです。那覇市出身で沖縄戦の記憶を語り継ぐ稲福政志さんが、2人をつなげました。

稲福さん

今回宗像さんが沖縄にいらっしゃるということで、ただ語るだけ、現場に連れていくことももちろん大事なんですけど、ちょっと“新しい伝え方”を宗像さんにも知ってほしいなと思って、石嶺さんをご紹介させていただきました。

石嶺さん

沖縄はもう本当に「唄」の島だったり「踊り」の島だったりするので。沖縄独特なのかなとも思うんですけど。ここで沖縄戦が起きた過去をつないでいく、それを途絶えさせないようにしなきゃと思って、自分はお話が苦手なので、話すよりも歌のほうが得意なので歌ったほうが伝わるかなと。

宗像さん

なるほど。自分の得意なことをやろうと。

石嶺さん

石嶺さんは、祖父母から初めて沖縄戦の話を聞いたときの戦争の“むごさ”や“怖さ”は今も忘れられないといいます。

戦場に駆り出された祖父の父親。周りの友人が次々と殺されていくのを目の当たりにしながら何とか生きて帰ってきたものの、足を撃たれ銃弾は亡くなるまで残ったままでした。

「祖父母から伝えられた“記憶”を途絶えさせてはいけない」

石嶺さんは強い思いに駆られたといいます。

石嶺さん

自分のおばあちゃんに久しぶりに会ったときに、「沖縄戦のときは本当に大変だったんだよ」という話とか生々しい話も聞いたりして、「でも今は幸せだよ、これが続けばいいね」みたいな感じでおばあちゃんたちが話すんですよね。そういう話って自分たちが伝えていかないと次の世代には伝わらないと思うし、自分のおじいちゃんおばあちゃんとかは戦争を体験しているけど、その世代ってどうしても今はもうどんどん少なくなっているから、直接戦争を体験した人の話を聞けるのって自分たちの代ぐらいが最後なのかなと思ったりしたら、どうにか伝えるために動かないといけないなと思って、自分ができる範囲、やっぱ歌しかないと思って歌を作りました。

宗像さん

いやあ、すごいですね。

慰霊の日を思って作った曲 「水無月の花」

歌を通して沖縄戦を語り継ぐと決めた石嶺さん。
慰霊の日をイメージして作ったある曲への思いを語りました。

石嶺さん

昔から沖縄の歌を聴くことが多くて。県内で唯一沖縄の踊りや三線を勉強できるコースがある高校に入学したのをきっかけに、より昔の歌を勉強するようになって。沖縄の歌には平和の願いという歌があるなど、結構沖縄戦に関連する歌が多いことを知りました。それで、6月23日「沖縄の慰霊の日」によくライブで歌ったりしていて、自分もいつかこういう曲を作りたいなってずっと思っていて、できあがったのが『水無月の花』という曲です。

石嶺さんは2人を前に、「水無月の花」を披露しました。

「水無月の花」 

作詞:石嶺愛莉 作曲:名嘉太一郎

風に誘われ 懐かしいにおい

また 今年もこの季節がきた

月桃の花 咲き乱れ

胸に手を当てる 耳を傾ける

南を向き目を閉じて 心から祈るの

悲しい過去を乗り越えた

昔の人の叫びを聞こう 

晴れ晴れな先を進むため

歌い続けて語り継ごう

風に誘われ 夏の日の匂い

また 今年もこの季節がきた

水無月の昼 涙は枯れ 

耳を傾ける 胸に刻みこむ

摩文仁の壁 触れながら心から祈るの

悲しい過去を乗り越えた

昔の人の叫びを聴こう

晴れ渡る未来(さき)を創るため

歌い続けて語り継ごう

南を向き 目を閉じて心から祈るの

悲しい過去を乗り越えた

昔の人の叫びを聴こう

晴れ晴れな未来(さき)を進むため

歌い続けて語り継ごう

歌い続けて語り継ごう

風に誘われ 懐かしいにおい

また今年も この季節がきた

宗像さん

いやもう…すごい。もう歌唱力もすごいし心に響くしもう…これは石嶺さんだからこそできると思いました。

石嶺さん

これがいつかいろんな世代が歌ってくれて、この歌をきっかけに何か少しでも慰霊の日だったり戦争のことだったりを考えるきっかけになってほしいと思っています。本当に微力かもしれないけどそうなったらいいなと思って作りました。

宗像さん

いやぁ、だってすでに僕に伝わっているので。微力でもやろうとするというのはすごい、ここで終わらせちゃいけないというのもやっぱりどこでもそうだと思うんですけど、これを歌で下のもっと違う世代にも伝えていくというのはすごい素敵だなと。

石嶺さん

本当に嬉しいです。

宗像さん

沖縄に観光に来た人が石嶺さんの歌を聴いて、沖縄であった出来事とかを歌を通じて感じて帰っていくという形。それも1つの伝承ですね。すごい素敵なこと。こういうふうにオリジナルの曲を作って発信していくというのは、ちょっと福島では見たことがなかったので、こういう伝え方もあるんだなって。

稲福さん(左)宗像さん(中央)石嶺さん(右)

歌を聴いた人を傷つけたくない… 作詞の悩みや葛藤も

石嶺さんが作った「水無月の花」。実はあえて直接的に戦争に関することばを入れることはしませんでした。

そこには、できるだけ多くの人に聴いてもらい、歌い継いでもらいたいという石嶺さんの思いが込められています。

石嶺さん

ずっと自分の曲を作りたいと思っていたけど、ずっと行動できなくて。自分の歌なんて恥ずかしいから作らなくていいやって思っていた時期もあったけど、自分にできる形でやっていかないと後悔するだろうなと思って、やっと重い腰を上げて。この曲は自分で歌詞を書いて作った曲なんですけど。本当にもうめっちゃ時間がかかって。歌詞を書いていくにあたって、自分のことばの引き出しが少ないことに泣いたりとかして…。

宗像さん

へぇー。

石嶺さん

そんなに深く歌詞の中では、戦争がありましたとか歌っていないけど、ちゃんと読み込んでいったら戦争に関連するワードを入れていて。ここの場所(平和祈念公園がある地域)を摩文仁(まぶに)というんですけど、この摩文仁の壁、礎に触れて泣いている人がいたりとか、もうこれ以上何も戦争とかも起きないでほしいと思いながら毎年6月23日に来て手を合わせる人がいたりとか。そういうようなことを要所要所に入れて歌っている。

宗像さん

今ちょっと歌詞を読んだけれど、戦争とか何も書いてないけどそういうことがあった、泣いている人もいるんだという文面がこれで僕は今伝わってきて。本当に心に響くような素敵な歌だなと思います。

石嶺さん

戦争に関して直接的なことを書いてしまうと、沖縄戦を思い出して聴けない人もいるので。それはすごく悲しいことだな、聴いてもらえないのは悲しいことだなと思って。ニュアンスだけでも伝わるだろうというワードを入れることを意識しました。

6月23日、沖縄の慰霊の日の正午に糸満の平和の礎がある場所に向かって皆拝むんですけど。それを分かりやすく言うよりかは『南を向いて目を閉じて心から祈るの』って、これだけでもたぶん、あ、ここを思い浮かべられたりするんだろうなとか考えながら。本当にいろんな人に聞いてもらいたいなと思いながら1年ぐらいかけて作った曲なんです。

宗像さん

歌詞を読んでみると一文ずつ全てに意味が込められていると思いました。歌詞の最初の『この季節が来た』というのは沖縄の人にとってはもうそのときが来たと。過去にあったその季節が来たと感じるんだなと。そして最後は『歌い続けて語り継ごう』という、歌で語り継いでいこうというのが、そこも僕の中ではこういう伝え方もあるんだなと思いましたし、『過去を乗り越えて』というのも、過去の悲しいままで終わらせないでまた先の未来に進んでいこうというのもやっぱ必要なことだなって感じました。

石嶺さん

ありがとうございます。『歌い続けて語り継ごう』と言っているけど、続けるということがたぶん一番難しいことかなと思っていて。

宗像さん

そう…それはどこでも抱える問題かな。

石嶺さん

続けていくことに意味があるから。悩むこともあるかもしれないけど、続けていければ一番いいのかなと思います。自分も含め。

宗像さん

そうですね。いや、すごいいいお話が聞けました。僕は基本的に語りはしゃべりだけなんです。しゃべりと場所を案内することをやっていて。今回沖縄に来て、歌で伝える人や実際に場所にご案内している人の思いがあることが知れましたし、いろんな語りとか伝承、継承の方法というのを知れて、僕自身の心境としてはものすごい経験というか、いろんなことが聞けてすごい良かったなと思ってます。

石嶺さん

こちらこそです。ありがとうございます。

宗像さん

お会いできてとてもうれしい。本当に福島にもぜひ来ていただきたい。

石嶺さん

はい、行きたいです。

稲福さん

行きたい。

宗像さん

実際に被災地に来ていただいて。そのときは僕も自分の地元をご案内できればいいなと思っています。

石嶺さん・稲福さん

ぜひお願いします。

(対話 2022年11月)

全国の語り部たちの対話。特設サイトはこちら☟

この記事の執筆者

福島放送局 アナウンサー
武田 健太
福島放送局 ディレクター
佐野 風真

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