子どもの頃の被害と生きるために
先日、名古屋で開かれたフラワーデモのスピーチの場に初めて立った女性がいます。名古屋在住のなみさんは、小学生のときに父親から性虐待を受けました。被害から長い苦しみの歳月を経て、ようやく前向きに生きようと思えるようになったという なみさん。きっかけとなったのは性暴力を受けた当事者との語らいや、全国各地で毎月11日に行われているフラワーデモでした。
性暴力によってもたらされる「痛み」とともに生きるサバイバーたち。日々複雑に揺れ動く感情と思いを抱えながら、自分の人生をどう取り戻そうとしているのか、一人の女性の語りからヒントを探ります。
(名古屋放送局ディレクター 朝隈芽生)
「触るぞ」と言われて…
なみさんが性虐待を受けたのは小学校低学年のとき、加害者は実の父親です。性虐待が行われたのは、両親となみさん、そして幼い弟の4人で就寝中のことでした。母親は病気がちな弟の世話にかかりきりのことが多く、なみさんは常に寂しい気持ちを抱えていたといいます。その気持ちを紛らわせるかのように、父親に身を寄せると、父親からは「そういう風に近づいたら触るぞ」という言葉が返ってきたといいます。
「まだ、小さかったので、父親の言う『触るぞ』の意味が分かりませんでした。分からぬまま、わたしは『いいよ』と、答えてしまいました。自分が『いいよ』と言ってしまったことに、強い自責感と、自分の身体がひどく汚れたような嫌悪感がありました」
当時、なみさんは幼いながらも父親から受けたことを誰にも話すことは許されないと思ったといいます。それでも、勇気を出して母親に打ち明けました。すると、母親は「体を触るのをやめてあげて」と父親に伝えてくれたものの、父親は「コミュニケーションの一環だろ!」とどなり、母親と なみさんを委縮させたといいます。
「その時の、お母さんの諦めてしまったような顔は忘れられません。わたしも、諦めるしか方法がないと思いました。諦めることは、母親を守ることでもあるように感じてしまいました。母親を守ることは、深い孤独と絶望との引き換えでした」
それ以降、母親が なみさんの性虐待の訴えに向き合ってくれることはなくなり、なみさんも性虐待のことについて口を閉ざすようになりました。
沈黙の時を経て、ようやく自覚した「怒り」
なみさんが再び性虐待の経験に向き合うようになったのは、被害から長い年月が経過した2年ほど前です。きっかけは、自分と同じように、性暴力を受けた経験のある人たちとの出会いでした。子どもの頃に被害を受けてからずっと、性虐待のことを「つらい」と思うことさえ禁じていたという なみさん。しかし、名古屋で開かれていた性暴力被害を受けた人たちが集まる自助グループにつながり、当事者の人たちと話す機会を得たことで、「つらい」という気持ちを認めてもいいんだと思えるようになったといいます。なかでも なみさんにとって大きかったのが、自助グループを通じて出会った ある性暴力サバイバーの女性が結婚や出産を経て幸せに生きている姿を目の当たりにしたことでした。
「それまで自分が被害に遭った年ごろの女の子と接することも難しく、結婚や出産は自分にとってタブーだと思っていたけど、いろんな生き方を見て “自分も幸せになってもいい”と思えるようになりました」
さらに、なみさんは、名古屋で行われたフラワーデモにも参加。参加者たちがスピーチする様子を聞くうちに、だんだん性虐待を行った父親や 最後まで守ってくれなかった母親への怒りを自覚しはじめたといいます。そして、去年の夏。なみさんは母親に長文のメッセージを送りました。性虐待を受けた子どもの頃、助けてくれなかったことで抱いた諦めや無力感が何をもたらしたかということ。そして、もう今後は関わりを持たず、実家にも帰らないという宣言でした。
人との縁を切らなくて済むように
そうしたなか、なみさんは新たな試みをはじめようとしています。それは、近親者から性虐待を受けた当事者のための自助グループ。実の親から性虐待を受けた人だけが集まる自助グループが身近に欲しいと感じていた なみさんは「名古屋にないなら、自分でつくってしまおう」と、立ち上げを決意したといいます。グループの名前は「きらず」。きらずとは「おから」を指す言葉。なみさんはこの名前について込めた思いについて次のように語ってくれました。
「性虐待を受けた自分自身を切り離さなさなくてもいいように、人との縁を切り離さないように名付けました。また、おからが卯(う)ノ花や、おからドーナッツのように いろいろな料理に調理されるように、性被害の過去を持ちながらでも、なりたい自分になれますようにとの願いを込めています。」
「他人と自分と縁を切らなくてもいいように」との願いは、何よりも なみさん自身の経験から、強く感じていることです。これまで親しい友人にも、自分が性虐待のサバイバーであるということを言えずに、一時は罪悪感やうしろめたさを抱え、人と疎遠になりがちだったという なみさん。自助グループを通して本音で話せる味方を得ることで、人との縁を「きらず」に自分らしい人生を歩みたいと考えています。
また、なみさんは「本当は親とも仲良くしたかった」と話してくれました。親との連絡を断ってから半年、今では母親ともう一度話したいという気持ちになることもあるといいます。もし、機会が訪れるなら関係を修復することができればと願っています。
“聞き手” から ”語り手”へ
そして、ことし1月、なみさんは初めてフラワーデモで自身の思いを語りました。スピーチにあたっては、何か月も前から話す文章を考え、当日、約80名の参加者の前に立ちました。なみさんが身につけていたのは花柄の着物。「お守りになるように」と友人がこの日のために用意してくれた、特別な衣装です。
愛知県内では、父親が当時19歳だった実の娘に性的暴行をした罪に問われた裁判に多くの注目が集まっています。名古屋のフラワーデモでも この事件に関心を持つ多くの人たちが、なみさんの言葉に真剣に耳を傾けました。なみさんはスピーチで、フラワーデモをきっかけに性暴力に抗議をする気持ちがわき上がってきたこと、性被害者が罪悪感を抱えて生きざるを得ない社会を変えたいという思いを語りました。
「安心して話せる場所がここにあるということ、そのことは被害者にとって、被害体験を自分から切り離し、被害を過去に変えて、人生を歩み直していくうえで必要なことだと思います。(中略)まだまだ、回復の過程ではありますが、悲しみだけで過ごしていた時間が少なくなっていくにつれて、社会の構造に疑問を持つようになりました。性被害の当事者が性被害に遭ったことに対して、罪悪感を持たずにいられるような社会になること、性被害をうけたことを相談された人が、被害の最小化や “無かったこと”にしない社会の雰囲気を作ることを望みます。」
性虐待のサバイバーとしてできること、そして、自分がやりたいことは何なのか、考えながら過ごしてきたという なみさん。「誰も助けてくれない」という孤独感を抱きがちな性虐待の被害者の気持ちを誰よりも理解できる自分だからこそ、スピーチで「1人じゃない」というメッセージを伝えたかったといいます。それは、かつてのなみさんがフラワーデモで受け取ったメッセージでもありました。
スピーチを終えると、なみさんは参加者の中にいた知人たちに駆け寄り、笑顔で言葉を交わしていました。フラワーデモや自助グループなどを通して出会った人たちや、なみさんにとって大切なこの日を見届けようと集まってくれた古くからの友人たちです。去年、ようやく性虐待に遭った過去を友人たちに打ち明けることができたという なみさん。「応援してほしい」という なみさんの気持ちを尊重し、フラワーデモに駆けつけてくれた仲間たちに、感謝の気持ちを述べていました。これまで自身の被害について周囲に打ち明けるなかで、性虐待を受けたことによる罪悪感や恥、孤独感が伝わらずに、一時はもどかしい思いや悲しい気持ちにさいなまれることもあったといいます。それでも、自助グループを立ち上げようとしたり、フラワーデモでスピーチしたりしながら、周りの人たちとの向き合い方を今も模索しています。
取材の最後に、なみさんは自分のいまの気持ちを次のように表してくれました。
「性虐待はとてもつらいできごとだったけれど、悪い思い出として ふたをするだけではなく、性虐待の被害に遭ったことで出会えた人がいたこと、できた経験があることを前向きにとらえたいと思っています。」
取材を通して、なみさんが悩んだり迷ったりしながらも人生を模索する姿は、性暴力被害に苦しむ他の誰かにとっても希望の光になりうるのではないかと感じました。被害者は決して“弱い”存在であり続ける必要はなく、むしろ そういった人たちの“強さ”に、私たちはもっと目を向けていくこと。それが、性暴力のない社会へのヒントになりうるのではないでしょうか。
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