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三度の腎臓移植 歌に乗せて

  • 2023年10月16日

10月は厚生労働省が定める「臓器移植普及推進月間」です。
えひめ移植者の会で会長を務める野村正良さんは、過去、3度の腎移植を経験しました。
愛媛ご当地ソング振興会の発起人でもある野村さんは、その時の経験を歌にして、このたび披露しました。その思いに迫ります。

(松山放送局アナウンサー 都倉悠太)

過去三度の腎臓移植を経験

えひめ移植者の会 野村正良会長

えひめ移植者の会の会長、野村正良さん、74歳。
これまで三度の腎臓移植を受けています。
一度目は、脳死または心停止の人から提供を受ける「死体腎移植」
二度目は、親族や配偶者などの健康な人から提供してもらう「生体腎移植」
そして三度目は、腎臓病を患う人の腎臓を修復するなどして提供してもらう「病気腎移植」

異なる三つのケースを経験し、いまも健康な人は、全国でも稀有な例だといいます。

「今はもう、幸せです。透析をしていた時代は、本当にもう、いつ死ぬかわからないような状況だったので。移植で、劇的に健康になりまして、それ以来3回の移植で、33年間。本当に毎日、元気で、いい生活をさせていただいてます。移植のおかげですね」

新聞社勤務時代の野村さん

野村さんは23歳の時に慢性腎炎を患い、39歳で最初の腎臓移植を経験。亡くなった方からの腎臓提供を受けました。手術後、休職していた新聞社の仕事にも復帰しますが、病気が完治したわけではありませんでした。

「腎臓の拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤というのを飲みました。この薬はどんどん発展していますが、当時はまだ、拒絶反応がなかなかうまく抑えられなかったので、移植を受けた腎臓が、だんだん劣化していくんですね。移植してから12年目に、ダメになってしまいました。12年も持っただけでもいいほうなんですけど」

野村さんと妻・久美子さん

そこで、妻の久美子さんが、自分の腎臓を提供してくれました。健康な近親者が、2つある腎臓の1つを提供する、生体腎移植でした。

「最初の移植の時は、血液型が違うと移植ができなかったんですけど、2回目の時には、血液型が違っても移植ができるという時代になってきていたので、家内が、提供してあげるということでね、ちょっとかわいそうだったんですけど、背に腹はかえられないみたいな感じで、いただいたんです」

ところが、この移植は成功しませんでした。

「事前には、兄弟の腎臓ぐらい相性がいいというお話だったんですけど、やってみるとね、1週間でもう、移植した腎臓が拒絶反応で、ダメになったんです。すぐ取り出さないといけないということで、1週間後に取り出したんですよね。腎臓の大きさが影響したかもしれないです。家内は小柄だったので」

3度目の移植はこの直後に行いました。同じ病院に腎臓病で入院していた方の腎臓を、移植してもらいました。

「医師からは、成功率は半々だと。ダメもとで、病気腎移植をやってみないかと言われました。私としてみれば、透析時代に死ぬ思いをしていますので、2年でも3年でも(病気の腎臓が)持てばラッキーだと。それ以上もったらもっといいなと思って、即お願いしたんです。ところがどうですか、それが現在まで20数年ですけど、全く問題なくきれいに修復してしまって、全く正常な腎臓に変わってしまった。私を支えてくれているんですね。本当に不思議なんですけれど」

好きな音楽で、生活に活力を

”デューク野村”として歌手活動も

3度の腎臓移植を経て、健康な体で日常生活を送れるようになった野村さん。
愛媛ご当地ソング振興会の発起人でもあり、現在は事務局の運営を担当しています。
歌うことが健康を保つ秘訣になっていた野村さんは、その後、「デューク野村」という名前で歌手活動を始めました。結成したバンドで、「ふたりの松山」など、愛媛県のご当地ソングを10曲以上、作詞作曲し、コンサートで披露。自作のCDも作るなど、精力的に活動しています。

腎移植の経験を歌にかえて

自宅で歌の練習をする野村さん

実は、野村さんには、長い間、人前で披露できていない歌がありました。
そのタイトルは「この喜び伝えたい」。
こうして健康な生活が送れるのは、腎臓を提供してくれたドナーの方のおかげであり、闘病生活を支えてくれたすべての人に感謝する気持ちをつづった歌です。
8年前に作詞、作曲したものの、納得がいくまで試行錯誤を繰り返し、コロナ禍もあり、なかなか発表出来ないでいました。

「自分はドナーの方のおかげでいま元気なんだよと。どなたかわからないけど、その人のおかげで、元気でいまもあるし、これからもあるんだという気持ちを込めました」

この曲には、4年前に亡くなった妻・久美子さんへの思いも込められています。
2回目の移植で腎臓を提供してもらい、長年の闘病生活も献身的に支えてくれました。

苦しいときも 泣きたいときも 前を向いて生きてきた
あなたのおかげで あすが見えた
命の贈りもの ありがとう

2番の歌詞は、まさに妻・久美子さんにささげたものでした。

8年越しに自作の歌を披露

10月9日の総会で、「この喜び伝えたい」初披露

10月9日。
松山市内で、4年ぶりにえひめ移植者の会の総会が行われ、腎臓移植体験者の講演がありました。
野村さんは、この場で、未発表の移植ソングを発表したいと考えていました。

バンド仲間の協力もあって、1番から3番までのフルコーラス。移植ソングを作り始めてから、8年。ようやく日の目を見ました。

初披露を終えて安堵の表情の野村さん

「気持ちをね、ドナーの方に特にわかっていただけたらいいなと思いますね。移植者は感謝しているんだよという気持ちをストレートに出していますんで。患者さんの交流と、移植が少しでも前進するように、(臓器提供への)協力活動を患者の立場でやっていきたいと思っています」

取材後記

腎臓の移植を待つ人の平均待機期間は、16年1か月(2020年のデータ)です。
2021年に腎臓移植を待っていた人が1万3738人いたのに対して、翌2022年に移植を受けられた人は198人。率にしてわずか1.4%しかありません。
移植により助けられた野村さんは、ドナー(臓器提供者)が少ない状況を少しでも改善したいと、臓器移植の周知、理解を促進し、ドナーを増やすための活動を続けています。8年越しに発表した移植ソングもその活動の一環です。取材を通して、臓器移植は私たちみんなの問題だという認識を持つことが大切だと感じました。

  • 都倉悠太

    松山局アナウンサー

    都倉悠太

    2015年入局。青森、鹿児島を経て2023年春、松山に。担当番組「ギュッと!四国」。四国の朝に活力を!と意気込む。

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