富士山の歴史探訪 「河口湖観光」を貴重な映像で振り返る
- 2024年04月01日
富士山の麓で育まれた歴史を過去の映像で振り返るシリーズ「富士山麓ヒストリー」
世界文化遺産・富士山の構成資産の一つ「河口湖」です。昭和初期の貴重な映像からさまざまな出来事を乗り越え国際的な観光地になるまでの歩みが見えてきました。
(取材・映像制作 小林哲也)
戦前の河口湖は夏しか人が訪れず
まだテレビがなかった時代。NHKアーカイブスには個人がフィルムで撮影した映像が提供され、保存されていました。推理小説家の江戸川乱歩が河口湖を訪れた際、一行が撮影したという貴重な映像も。周辺を馬や船で移動する人々が映っています。
当時の河口湖は生活に余裕がある人たちが夏のひとときだけ訪れ、今のようなにぎわいはなかったといいます。
戦前は河口湖が避暑地だったので旅館業は夏だけ来るお客さんを相手にしていた。当時は車が少なく対岸には船で渡っていた。
戦後の復興とともに観光地化
戦後の復興とともに、都心などから河口湖に自然を求めて訪れるようになります。
遊覧船は超満員の人気でした。
河口湖周辺を周遊する観光ヘリも登場。
旅行が一般的になってきた。お子さんがいると夏休みに絵日記書くために旅行しなきゃという時代で河口湖だけでなくて一つの旅行ブームがあった。
アクセス向上と好景気でレジャー客押し寄せる
昭和40年代には首都圏と富士北麓を結ぶ
中央自動車道・河口湖ICや河口湖大橋が開通。
交通アクセスが飛躍的に向上しました。
経済大国に向かう高度経済成長期の好景気も相まって、
河口湖にはレジャー客が押し寄せるようになりました。
こちらは東京・青梅を出発した
お見合い列車「キューピッド号」
出会いを求める男女の終着点も河口湖でした。
経済大国を目標に国民全体が目的があった。アメリカに追いつけ追い越せという時代。急に所得が上がったし、すべて大きいことがいいことだという時代だった。
突如として自然の脅威が襲う
昭和50年代には台風の影響で
2年連続で湖が氾濫する被害がありました。
「富士山」世界遺産登録が追い風に
災害などを乗り越えた河口湖。
平成25年富士山が世界文化遺産に登録され
構成資産の一つに選ばれました。
国際的な観光地となり外国人観光客が急増し
今では一年を通して大勢の人々が訪れています。
たくさん観光客が来ればいいんだという時代じゃなくて、いかに継続して観光地として生き抜いていくか。一番は富士山が大事なので自然を壊さないように 住民全体でお客さんを迎え入れる雰囲気になってほしい
編集後記
30代の私にとって過去の映像は驚きの連続でした。河口湖周辺の風景は大きく変わりましたが、観光客の笑顔は今も昔も同じでした。戦争や様々な災害・コロナ禍などを経験した外川さんの「観光は平和で成り立っている」という言葉が私は非常に身に染みました。ぜひ冒頭にある本編映像を見て、思い出話に花を咲かせてほしいと思います。