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山梨 清里 デザイナー・中野シロウさんが仕掛ける街の再生

#金曜やまなし 【総合テレビ】金曜午後7:30~放送
  • 2024年02月05日

デザインの力で街をよみがえらせる

1980年代から90年代初頭にかけて「高原の原宿」と呼ばれ、多くの若者でにぎわった北杜市清里。 現在、ブームは去り、駅前にはメルヘンチックな外観の空き店舗が立ち並んでいます。
そんな街に惚れこんで2020年に移住してきた、ひとりのデザイナーがいます。

デザイナー・中野シロウさん

その名は、中野シロウさん。大手企業と組んでさまざまなヒット商品を世に送り出してきました。移住から3年の間に、駅周辺の空き店舗5棟を購入し、自らのデザインでリフォーム。企業に売却してテナントを誘致するなど、これまでに億単位の金額を投じながら、街をよみがえらせようとしています。

中野さんは横浜出身で、清里とは縁もゆかりもありませんでした。ところが、2020年冬、たまたまドライブで通りかかった時に、その街並みに強く惹かれ、移住を決めたといいます。

中野さん

清里駅前は80年代の雰囲気がそのまま残っている。こんな街は他にはない。

清里の人たちと積極的に交流

自らを”よそ者”と自覚する中野さんは、清里の人たちとの交流を大切にしています。 

中野さん

街のルールというか、以前から住んでいる方の考え方とか、そこはある程度くみ取りながらやっていかなきゃダメですよね。

時には、地元の人たちと酒を酌み交わしながら、街作りについて語り合うことも。ある人は、中野さんの取り組みに、次のような期待を寄せています。

中野さんはバブルの頃に飛びついてきた人たちと同じに見えるかもしれないけど、こうやって新しい清里を提案してくれるっていうのは、ものすごく大事なこと。何かきっかけがないと清里は変わらない。

「高原の原宿」 ブームが残したものは?

地元の人たちの間には、ブームに沸いた当時への苦い思いがあります。
1970年代半ばまで、のどかな酪農と農業の村だった清里。 女性雑誌に取り上げられたことで、年間200万人以上が訪れる人気観光地に。 ペンションが次々に建ち、清里駅前はパステルカラーの街に作り変えられました。タレントショップや、ファンシーグッズを売る店が並び、街には観光客があふれる……。そんな急激な変化は、清里の人たちの生活も大きく変えました。

観光案内所のスタッフの白倉徳三さん。 かつて、若者に人気の喫茶店を営んでいました。

白倉徳三さん
白倉さん

ブームという観光の大きなモンスターに振り回された。ゆっくりお客さんとお話しをするどころじゃなくて、次から次へとお客さんをさばいていく感じだった。経営的・金銭的にはよかったが、内容的に反省はありますね。

白倉さんは、ブームの終焉と体調を崩したことなどが重なり、20年ほど前に店を閉めました。

駅前でレストランを経営していた矢野嘉彦さん。ブームに乗り1990年代初めころに、5000万円かけて店を建て替えた経験があります。

矢野嘉彦さん
矢野さん

清里まんじゅうからぬいぐるみまで、何を置いても売れた時代だった。あの頃の清里が、そのまま続くとしか思っていなかった。

しかし、客足は次第に減り、やがてローンの返済が滞るように。 10年ほどで店を手放し、その後は工場などで働いて、生計を立てたといいます。

当時からブームに警鐘を鳴らす人もいました。喫茶店を経営していた舩木上次さんは当時、若者たちのリーダーとして、白倉さんたちとともに清里観光振興会に青年部を発足。新聞を作り、清里の自然や歴史など本来の魅力を発信するとともに、ごみを拾ったり、牧草地を守る看板を立てたりするなど、美化にも取り組みました。舩木さんは、当時を次のように振り返ります。

舩木上次さん
舩木さん

ブームは、乱開発だと思っていた。清里の人たちは、本来はまじめな農業者、開拓者だった。そこに身の丈以上のお金が入って浮かれてしまった。その時に自己投資したり、地域づくりを考えたりしていれば、あんな風になることはなかったと思う。

新しい清里土産づくり

中野さんは2023年3月、観光施設「清泉寮」と協力して、かつて自らが商品化を手掛けた「赤毛のアン」のアニメキャラクターを使い、清里オリジナルのお土産を作ろうと動き始めました。

「赤毛のアン」と清里高原のイメージをかけ合わせて作った新商品

「ここでしか買えないものは興味を持ってもらえる。新しいお客さんが来て、また清里全体の活性化にもつながる」と、清泉寮側も期待を寄せています。

いつもエネルギッシュな中野さんを支えているのが、長女のさくらさん。 父と同じ、デザイナーの道に進みました。今は、中野さんとともに、「赤毛のアン」の関連商品のデザインを手掛けています。

長女・さくらさん

 父は目標でもあり、尊敬しつつも、ずっと敵みたいな感じですね。

復活に向けて新たなスタート

2023年3月中旬、中野さんがリフォームした店舗の一つが、オープンに向けて動き出しました。中野さんの街づくりに共感した東京の会社が、ここで学習塾を運営したいと手を挙げたのです。

学習塾オープンに向けた話し合い

塾をきっかけに、清里の中心部に子どもの姿が増えればと、街の人たちも期待しています。

舩木さん

中野さんの考えていることはよく分からない。でも、分かるようなことはやってほしくない。俺たちが分かるようなことをやったから、清里は衰退しちゃった。 俺たちが分からないことをやってもらわないと、清里はよくならない。

白倉さん

どうしたら清里がよくなるか、ずっと考えてきたけど、何も思いつかなかった。外から入って来た人の視点で見てもらうことで、清里は復活するかもしれないなっていう感じを受けましたね。

中野さんだけではなく、清里の人たちも新たな歩みを始めました。

白倉徳三さんは、約20年ぶりに、自分の喫茶店を再オープン。

白倉さん

ずいぶん古い建物だが、いい店だなって自分でも思うし、開けてあげないと店もかわいそう。

かつて自分の店を手放した矢野さんは、2022年12月、駅前のカフェの店長として雇われ、久しぶりに清里に戻ってきました。夏に向けて新メニューの開発に余念がありません。矢野さんの店には、ときどき中野さんがコーヒーを飲みにやってきます。

矢野さん

中野さんのお店だけがにぎやかになるんじゃなくて、私も置いてかれないようについていかなくちゃ。今の清里はどん底のような状態だけど、一番底辺を知っていれば、今度は上に行くしかない。これから上がっていこうとする清里に関われるワクワク感があります。

一方、中野さんは、東京の広告会社とともに、宿泊施設や飲食店を紹介するホームページを制作しようと取り組んでいます。目指す街は、どんな街なのか。

中野さん

駅前に来たら人があふれていて、店も全部開いていてにぎやかな街、楽しい街。おもしろいものがいっぱい売っているねっていう街にしたい。

一体、中野さんはこの街の何なのか――。その問いに、中野さんこう答えました。

中野さん

住人ですよ。 要するに一住人で、同じような志がある人がいたら一緒にやる。それだけです。

2024年2月現在、中野さんが手掛けた店のうち、学習塾や古着店がオープンしています。これまで長く空き店舗だった建物に、久しぶりに灯がともりました。中野さんはこのほかにも、別の店を開ける計画を進めており、街はさらに変わっていきそうです。

長かった冬が終わり、清里に春が訪れようとしています。

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