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清里 ”高原の原宿”と呼ばれた街の再生は (取材後記)

#金曜やまなし 【総合テレビ】金曜午後7:30~放送
  • 2024年02月05日

清里、そして中野シロウさんとの出会い

私が清里の取材を始めたのは、2022年3月のことでした。清里に移住したデザイナー・中野シロウさんについて紹介する記事を読み、興味を持ったことがきっかけです。駅前の空き店舗5棟を購入し、新たなテナントを誘致しようとしている……。
ブームが去った街で、縁もゆかりもない移住者がなぜそんなことをしているのか。実際に会いに行いくことにしました。

中野さんは、これまでに15万点以上のデザインを手掛けてきたヒットメーカー。その仕事は、インスタント食品やお菓子のキャラクター、交通系ICカードなど多岐に及びます。

自宅を訪ねると、おもちゃや映画グッズ、古着など3万点のコレクションが所せましと陳列されていて、圧倒されました。これらは中野さんのアイデアの源なのですが、空き店舗を購入できるだけの経済的な裏打ちがあると納得させられました。
そして、中野さんは清里ならではの魅力を熱く話してくれました。

中野さん

80年代の街がそのまま残っているところは珍しい。まるでセットみたい。清里の街は、駅前の一部分がさみしくなっただけ。うまく仕掛ければ、きっとよみがえるだろう。

とはいえ、取材を始めた頃には具体化している動きはありませんでした。その後、私はたびたび清里を訪れ、取材を重ねてきました。

なぜ清里ブームは終わったのか?

九州出身の私が初めて清里を訪れたとき、目を奪われたのが駅前の街並みです。個性を競い合うようなメルヘンチックな外観の建物の数々。中野さんが言うように、そこには80年代の雰囲気がそのまま残っています。

かつて「高原の原宿」と呼ばれ、多くの若者を引き付けた清里。ピーク時には年間200万人以上の観光客が訪れたといいます。なぜ、このような街並みができたのか、そして、どうして空き店舗ばかりになったのか。私は中野さんだけではなく、清里の人たちにも話を聞きました。

もともと清里は、のどかな酪農と農業の村でした。清里の人たちによると、1970年代半ば頃から、女性雑誌に取り上げられることが増え、若い女性客が訪れるようになったといいます。高原を散策し、牛乳を飲んでソフトクリームを食べ、おしゃれなペンションに泊まる……。こうして、清里といえば「メルヘン」というイメージが作られました。駅前の街も客層に合わせてメルヘンチックな建物に作り変えられ、いつしか「高原の原宿」と呼ばれるようになったのです。

1980年代~90年代初頭の住宅地図を調べると、土産物店だけではなく、タレントショップやホテル、立体迷路、さらにはパチンコ店もありました。当時のブームを物語るように、NHK甲府放送局では1980年代後半から93年頃まで、毎年清里で大型連休のにぎわいを取材していました。放送で紹介した過去の映像は、この頃、撮影されたものです。

それから30年。東京から進出してきたテナントは撤退し、パチンコ店も閉店しました。清里の人たちの中にも、バブル当時の投資を回収できずに負債を抱え、街を離れた人もいるといいます。では、なぜ、清里のブームは終わりを迎えたのか。当事者たちの分析はさまざまです。

・バブル崩壊後の景気の冷え込みで、観光客が減った
・旅行形態の多様化に対応できなかった(※海外旅行が増えたことも要因)
・他の観光地との差別化に失敗した
・一つの店が閉まると客足が減り、それがさらなる閉店につながる「負のスパイラル」に陥った

しかし、明確な原因は分からないという人が多いようでした。突然始まり、いつの間にか終わっている……。それが“ブーム”というものかもしれません。当時のにぎわいを「夢だった」と形容する人もいました。そして、夢から覚めた後、残ったのが今の街並みです。

清里再生は始まったばかり

清里の人の中には、メルヘンチックな外観の空き店舗を苦々しく思う人もいます。インターネット上では「廃墟」などと言われ、動画投稿サイトで頻繁に取り上げられているからです。清里の観光をけん引してきた観光施設の経営者、舩木上次さんは次のように話しています。

舩木さん

清里の人たちは、原宿みたいなものがメルヘン、パステルカラーがメルヘンだと錯覚してしまった。偽物のメルヘンだから、好きになれない。全部取り壊して、新しいものを生み出すという考え方になってしまう。

かつての清里の街並み

しかし、中野さんは、このメルヘンな街並みにこそ価値を見出しました。外観は生かしつつ、中身を新たなものに入れ替えようというのです。舩木さんら清里の人たちにはそれが新鮮に映ったようで、「ほかの人の着眼点と全く違う」と驚いていました。

ただ、中野さんの取り組みは始まったばかりです。購入した空き店舗に学習塾を作り、飲食店など別のテナントを誘致する計画だといいます。いずれの建物も、中野さんがこれまでに培ってきた仕事上の人脈を生かし、県外の大手企業などと交渉しているそうです。中野さんは清里における自分の役割について、こう話しています。

中野さん

東京のいろいろな会社がここに来てくれるとおもしろいし、ハブとなってつなぐ部分はあるでしょうね。僕しかつながっていない会社が多いですから。住人として、同じ志を持つ人と一緒にやって、街がにぎわったらいいですよね。

そして、一度は清里を離れた人たちの中にも、店を開ける人が現れています。空前のブームから30年。清里にこれからどんな街が現れるのか……。取材を続けたいと思います。

  • 那須 大暉

    甲府局 ディレクター

    那須 大暉

    2021年入局。人口減少や防災などをテーマに取材してきた。

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