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奄美復帰70年 歴史の空白埋める写真

  • 2023年12月12日

 

戦後、アメリカ軍の統治下に置かれた奄美群島が日本に復帰してことし12月で70年。今回、復帰前の奄美の人々の暮らしぶりを撮影したカラー写真が鹿児島大学の調査で新たに見つかりました。復帰前の姿をカラーで記録した写真は極めて珍しく、“歴史の空白”を埋める貴重な史料として注目されています。見つかった写真が今に伝えるものとは何なのでしょうか。

(奄美支局・庭本小季記者)

鮮明によみがえる統治下の記憶

今回、見つかったカラー写真はおよそ600枚。

この中には、当時の人々の暮らしぶりが垣間見える写真も少なくありません。
校庭に集められた子どもたちは、ほとんどが靴を履いていません。

生き延びるために食べていたというソテツの実を海辺で干す女性たち。

舗装されていない道路、そしてその両側に粗末なつくりの店が立ち並ぶのは、今の奄美市名瀬の「銀座通り」です。

「銀座通り」の近くに住んでいた才田一男さん(85)は、当時の様子をはっきりと覚えていました。

当時の写真を見せると、食べるものもなかった子どものころの記憶がよみがえると言います。

 

才田一男
さん

金がないから、母親からお小遣いももらえるわけないから通って見るだけ。食べ物に困ったというのが、腹減ったというのが一番問題だった。子どもは毎日毎日ひもじい思いをしていた。飢えてひもじさのために亡くなった人がいるということは聞いたことがある

本土との交易が絶たれ、食糧はアメリカ軍からの配給が頼り。
深刻な食糧難に陥り、人々の暮らしは困窮を極めました。

「銀座通り」の後ろにある山。

当時の写真では斜面が段々畑となっています。飢えをしのごうと、多くの人たちが山を耕して芋を栽培していました。才田さんの母親も、家族の命をつなぐため山に通っていたと言います。

 

才田一男
さん

広い庭を持ってる人があまり多くないから。とにかく山を持っている人の畑を利用して芋を作っていた。芋は実も食べられるし茎も食べられるので非常に貴重な食料だった

撮影したアメリカの文化人類学者

写真を撮影したのは、
アメリカの文化人類学者、ダグラス・ハリング。

文化や歴史を調査して軍に報告するため、1951年9月から半年間にわたって奄美大島を訪ね歩きました。

ハリングがアメリカ軍に提出した調査報告書が鹿児島県立奄美図書館に残されていました。

この中に、人々の暮らしぶりを記したくだりがありました。

「奄美の人々は貧困のどん底にある」
「栄養源は限られていて、ソテツが非常食となっている」

一方で、ハリングは、アメリカ軍の統治下にあっても、集落の五穀豊じょうを願う「ノロ」の祭りや、無病息災を祈る伝統行事「浜下り」など、独自の風習を守りながら強く生きる人々の姿もとらえていました。

そして、アメリカ軍に対し、次のように提言していました。

「奄美の人々は歴史的・心情的・文化的に変わらず日本人である」
「復帰に向け速やかに行動に移すよう勧める」

専門家は、ハリングの現地調査がその後のアメリカの政策決定に影響を及ぼした可能性もあると指摘しています。

原口泉
教授

当初は「奄美は日本とは違う」というアメリカ政府の方針で民俗学研究が進んだが、「日本の原型で日本との共通のものを認める」という方向で微妙に転換していったことが記録と写真からうかがわれる

苦難の歴史を忘れないで

写真が撮影された翌年、奄美群島は日本復帰を果たします。

復帰から70年。才田さんは奄美が歩んできた苦難の歴史を忘れてはならないと考えています。

才田一男
さん

島の大きな歴史だからね。だからそれを認識した上で、絶対忘れたらいかん。頭の中にずっと残しておいて。この70年を生かすような復帰100年にしないといけない。そんな思いがすごくする

復帰前の奄美を写したカラー写真は、12月23日から奄美市の市民交流センターで展示されるほか、奄美大島以外の奄美群島でも巡回展が予定されています。

取材後記

日頃奄美で取材をする中で、これまで復帰前後の時期を写したモノクロの写真は何度も見てきました。今回、発見されたカラー写真を初めて見たとき、人々の生活の営みが生き生きと感じられたのはもちろん、奄美が日本に復帰した70年前がより近いものに感じられました。生活の様子は違えど、ところどころに今も奄美に残されている文化が見てとれたからです。

ただ、写真がすべてを映し出しているわけではありません。写真には写されていない当時の暮らしを名瀬の街に詳しい才田一男さんにお伺いしました。穏やかな語り口調で当時を振り返る才田さんですが、物資が途絶え、生活が困窮を極める中でもっとも強い記憶は、命をつなぐために山に通った母親の姿なのだといいます。毎年12月25日に行われる復帰の記念式典にも欠かさず参加している才田さん。最近は、復帰の記憶が薄れてしまうことにも危機感を募らせているのだといいます。

今回見つかった写真と共に、より多くの人に奄美の歴史を伝え続けて行かなくてはいけないと思いを新たにしました。
 

  • 庭本小季

    奄美支局記者

    庭本小季

    2020年入局 岐阜県出身 事件事故や防災などの担当を経て現在は奄美支局

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