馬毛島半年 ベテラン漁師“あきらめに似た思い”
- 2023年07月28日
アメリカ軍の空母艦載機訓練の移転先として、馬毛島で自衛隊基地の建設が始まってから、7月12日で半年となりました。馬毛島とともに生きてきた人たちは、変わりゆく島の姿をどう感じているのでしょうか。馬毛島沖で70年以上漁を続けてきたベテラン漁師は“あきらめに似た思い”を語りました。
(鹿児島放送局 金子晃久)
一変した漁師としての人生
種子島に住む、押川登さん(88)です。10代のときから島で漁師を続けてきました。
夕方、港に戻ってきた押川さん。実はいま、漁はほとんどしていないといいます。
漁には出られない。ことしは馬毛島のほうは漁が禁止になったから。
いまはもう“警戒船”1本。
押川さんが海に出るのは、基地建設が進む対岸の馬毛島沖でのパトロールのため。漁協からの依頼で“警戒船”の仕事を請け負っているのです。馬毛島ではことし1月、防衛省が自衛隊基地の工事に着手。これに伴って、周辺海域での漁業が禁止されました。長年続けてきた漁ができなくなった押川さん。胸の内では、この状況を受け入れられずにいるといいます。
やっぱり漁師がいいよ。魚がとれるほうがうれしい。
とれてたらやるよ。網でも何でも持ってるから。
忘れられない家族との思い出
豊かな漁場として知られ、かつて「宝の海」とも呼ばれた馬毛島沖。そんな馬毛島に若いころ移り住み、20年以上を過ごした押川さん。島での家族との思い出は、いまも色あせることはないといいます。ご自宅にうかがい、大切にしているアルバムを見せてもらいました。
種子島に戻ってきてからも、毎日のように素潜り漁に出かけるなど、押川さんにとって、馬毛島はずっと身近な存在でした。アルバムをめくりながら、押川さんはこう漏らしました。
最高や。
こういう時代が一番良かった。
当初は計画に反対も・・・
しかし、基地建設で漁師としての人生は一変しました。当初は漁ができなくなるとして反対していましたが、工事が進む中、いまはあきらめにも似た思いだといいます。
私も最初は反対だったよ。でもよく考えるとそういう時代になってきたから、あきらめるより手がない。もう馬毛島のいまの仕事がいいんじゃないか。
馬毛島とともに生きてきた押川さん。変わりゆく島の姿を複雑な思いで見つめています。
昔から見れば全然変わっている。寂しいな、やっぱり。昔から見れば。
基地建設には賛成じゃなかった。いい島やったもんな、馬毛島は。
これが自衛隊基地になっていろいろと変わってくる。
もう私にはわからないよ。
取材後記
“警戒船”の仕事から戻ったあと、私は押川さんとともに砂浜に向かい、夕日が沈む馬毛島を見つめながらインタビューしました。最後に、「馬毛島がこれからどうなってほしいと思いますか」と尋ねると、押川さんはしばらく考えたあと、「私にはわからないよ」と答え、笑顔をみせました。今回の取材で最も印象に残った瞬間です。
長年続けてきた漁をやめざるをえなくなったこと、家族との思い出が詰まった島の姿が少しずつ変化していくことへの複雑な思いが、そのひとことに集約されていると感じました。
地元の種子島漁協によりますと、押川さんのように“警戒船”など、基地建設に関係する仕事をしている組合員は、全体のおよそ2割に上っています。漁から離れる人が増える中で、島の基幹産業である漁業の衰退が懸念されています。