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江別市出身 山本智大選手 “2回目の五輪に向けて”

バレーボール男子日本代表 パリ五輪への決意
  • 2024年4月19日

やる気!元気!渡邉美希です。パリオリンピック開幕まで3か月あまりとなりました。大会出場を目指す道内出身の注目選手をご紹介します。バレーボール男子の日本代表で、リベロとして活躍する山本智大選手です。3年前の東京オリンピックを経験した山本選手は、パリに向けて2回目の大会出場を目指すだけでなく、大きな目標を掲げて臨もうとしています。

江別市出身の山本選手 持ち前のプレーでファン沸かす

笑顔が印象的な山本選手。江別市で生まれ育ち、高校時代は、とわの森三愛高校でプレーして全国大会にも出場しました。現在は、Vリーグ1部の強豪、パナソニックパンサーズに所属しています。日本代表には、2019年に初選出され、東京オリンピックの日本代表にはリベロとして唯一、メンバー入りしました。

山本選手の持ち味は、プレーの予測と、粘り強さを生かした守備力です。中でも、スパイクなどを受けるレシーブの「ディグ」は、ボールの勢いを吸収する高い技術でボールを拾ってチャンスにつなげます。

3月9日・10日に旭川市で行われたV1の試合

(ヴォレアス対パナソニック)

山本選手は、プロになって初めて故郷でプレーしました。会場には、山本選手の家族や知人など、およそ200人の応援団が駆けつけました。山本選手の名前がコールされたり、持ち前のプレーを発揮したりすると、大きな拍手が送られていました。

日本代表の守りの中心に

山本選手は、日本代表でも守りの中心になってきました。去年10月に開催されたパリオリンピック出場をかけた予選では、日本のピンチを何回も救い、勝利に貢献。日本は2008年の北京オリンピック以来となる自力でのオリンピック出場権を獲得しました。

山本選手
「決めた瞬間、めちゃめちゃほっとしました。うれしいという気持ちよりも、『よかった~ほっとした!』という気持ちが一番でした。印象に残っている試合は、エジプトに逆転負けしてしまった2試合目です。チームが悪い雰囲気になりましたが、その負けをきっかけに1人1人がさらに、ギアを上げて試合に臨めました。敗れはしたものの、出場権をつかんだ大きなきっかけになったかなと思います」

渡邉
「試合中、相手の流れの中でも山本選手らしくチームを引っ張る姿が印象的でした」

山本選手
「何としても相手のサーブやスパイクをセーブすることが一番ですが、チームを盛り上げて、暗い雰囲気の時には『大丈夫、絶対俺たちならできる。自分たちを信じて』と声をかけていました。プレー以外でも貢献したいと強く思いながら、コートに立っていました」

山本選手の守備力について、日本代表のチームメートも大きな信頼を寄せています。

日本代表・パナソニック所属 西田有志選手
「本当にチームを明るくしてくれて、気さくに話してくれます。山本選手は跳び抜けてディフェンスのレベルが高いので、ものすごくチームが助かりますし、これが本当の日本のリベロだなといえる選手です」

日本代表までの軌跡

日本のトップ選手となった山本選手。しかし、道内でプレーしていた頃は、その姿を全く想像していなかったといいます。

山本選手がバレーボールを始めたのは、小学1年生の時。幼いころから経験者の両親に教わりながら、自宅でも手作りのコートで風船バレーをするのが日課でした。

父・忠文さん
「物心ついたときからバレーボールをやっていたというか、今の子供たちがゲームに没頭するのと同じように、バレーボールに没頭していました」

母・伸子さん
「必死でした。体も小さかったので、小さいころは狙われたりするので。好きなバレーボールで生活をしていきたいと、小さいころから言っていたので、今の活躍を見ていて幸せだなと思っているし、誇らしく思っています」

そして、中学時代は、父親が監督を務めていたチームで、アタッカーとして力をつけましたが、中学3年生でリベロに転向しました。

山本選手
「当時は165センチくらいで、これから上で戦っていく中で、この身長では無理だと思ったので、リベロに転向しよう決断しました。今、こうして活躍できているのは、中学時代に基礎となる父の指導があったからだと僕は思っているので、非常に感謝の気持ちでいっぱいです」

とわの森三愛高校では、リベロとして着実にレベルを上げて、全国大会にも出場。日本代表のチームメートである石川祐希選手との対戦は特に印象に残っているそうです。

卒業後は、日本体育大学へ。もともと道外の大学に行く予定はありませんでしたが、高校時代の恩師、山田和弘さんの後押しもあり、進学を決めたといいます。1年生から出場機会をつかみ、才能が開花しました。Vリーグでも成長を遂げて、2019年に初めて日本代表に選ばれました。山本選手は日本代表にたどり着くまで、多くの指導者や仲間との出会いに感謝するとともに「自分が貫いてきたスタイルは崩さなかった」と振り返っていました。

いいプレーはポジティブな思いから

誰よりも声を出し、笑顔でコートに立つ山本選手。明るい性格で、まさにチームの元気印となっていますが、実は、数年前までは、真逆の性格でした。変わるきっかけになったのは、悪い試合を繰り返し経験して、原因を振り返ったことだといいます。

渡邉
「試合だけでなく、練習やウォーミングアップ、休憩中も笑顔ですよね」

山本選手
「やっぱり何事も楽しむことが大事かなと。いい時も悪い時もありますが、ネガティブになってしまうと、いろいろなことを考えたり、プレーにも影響したりすると思うので、バレーボールに限らず、“楽しむ”ということを頭の片隅に入れて過ごしています」

2回目のオリンピックへ 強化したのは

前回の東京オリンピックで日本の予選リーグ突破に貢献した一方、山本選手が見つめ直してきたのは『ディグ』でした。得意なプレーですが、再び、世界を相手にするために磨きをかけてきたのです。

山本選手
「練習をしていく中で、どういうとり方が一番いいとか模索しながらやっているし、年々体の動きが変わってくるので、何が自分の中でフィットしているのか確かめながらやっています。今の方がよくなっているので、年を重ねるごとに成長しています」

技術と自信を高め、29歳で出場を目指すパリオリンピック。2回目の大舞台に向けて意気込みを聞きました。

山本選手
「東京大会はコロナで無観客というのもあったので、オリンピックらしいオリンピックは経験していないと思っています。大勢の観客の前で試合をしてメダルを獲得したいと思っています。北海道の皆さんにいいニュースを届けられるように頑張りたいと思いますので、皆さん応援してください」

山本選手、ありがとうございました。

 

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