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アイヌの権利回復にかけた生涯 記者が見た差間正樹さん

  • 2024年2月13日

北海道浦幌町のアイヌ民族の団体の会長を長年務めてきた差間正樹さんが2月6日に73歳で亡くなった。差間さんたちが所属するラポロアイヌネイションの人たちは、国と道を相手取り、地元の川でサケを採る権利を求める裁判を続けていて、その判決を4月18日に控えての訃報だった。(釧路放送局  佐藤恭孝)

先祖にふるさとで眠ってほしい

差間さんと初めてお会いしたのは10年あまり前、差間さんたちが、道内の大学などに保管されている先祖の遺骨を返還するよう求める裁判を準備されていたころだった。墓地から研究用として遺骨を掘り出し、長年慰霊もせずに保管していた大学に対して「先祖に静かにふるさとで眠ってもらい、私たちが慰霊する、この一連の流れをじゃましないでほしい」と、一語一語、かみしめるように話されていたのが印象的だった。

差別体験と40代での決断

その後、ご自宅で長時間のインタビューをさせていただく機会があった。その中で差間さんは、両親がアイヌだということを隠していたこと、中学時代に暴力的ないじめを受けて、劣等感に悩み続けたこと、大学入学前に戸籍を見た時、祖父母がアイヌの名前だと気づいた差間さんが「この人は?」とたずねても、母親は何も言わなかったことなどを淡々と話された。

父親の跡を継いで、漁業者として生計を立てた差間さん。自身がアイヌだと公言するようになったのは40代になってからだった。何がきっかけになったのかとたずねると、しばらく考えてから「もう隠すのが嫌になってね。面と向かって俺はアイヌだと言ったら、相手の対応が変わったんだ。嫌がらせもされなくなった」とホッとした表情を見せた。その決断にいたる葛藤の重さを感じさせる表情だった。

遺骨返還からサケ漁の権利確認へ

その後の差間さんの活動は見事だった。北海道や本州との大学との裁判、和解を通して、先祖の遺骨の故郷への再埋葬を実現した。一連の儀式が終わった墓地で、「一区切りですね」と話しかけると、すぐに「次はサケ(の裁判)をやりたいんですよ」と返され、少なからず驚いた。「儀式に使うサケですか?」と問うと、苦笑しながら「そんな小さい規模じゃない。昔みたいにサケ漁をもう一度、私たちの生業にしたいんです」。夢物語のように感じたが、差間さんは本気だった。

浦幌での国際シンポを実現

2020年に先住民の権利「先住権」を根拠に、地元の川でのサケ漁の権利を求めて提訴。明治政府による同化政策の違法性など、歴史問題の認否を避ける国や道を相手に法廷闘争を続ける一方で、去年5月には北米や北欧、オーストラリアなどの先住民を、ふるさとの浦幌町に集めて、先住民の権利を考える国際シンポジウムを開いた。
その取材にうかがったのが、差間さんとお会いした最後になった。海外のゲストも参加する伝統儀式の準備にあわただしい中、私の顔をみて、いつになく笑顔で「忙しい中、すいませんね」と話しかけられたことを鮮明に覚えている。盛りだくさんの行事、取材への対応と、精力的に動かれていた差間さん。東京の日本外国特派員協会での記者会見もこなされ、シンポジウムは国内外に大きなインパクトを与えた。しかし、その時の無理が体調を崩す一因になったとすれば、残念としか言いようがない。

私が知る差間さんは、優しく穏やかな、でも、いい加減な取材を見透かされるような、強くて怖い人だった。亡くなるのがあまりに早すぎた。でもこれからも、差間さんが敬愛した先祖とともに、ふるさとの仲間たちを熱心に見守り続けておられると思う。

2024年2月13日

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