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29歳のサラリーマンから学ぶ「充実した1年の過ごし方」

  • 2023年12月28日

2023年もそろそろ終わり。26歳の私は12月になった途端、「やばい」という言葉が口癖になっていた。今年は悔いなく過ごせたと、胸をはって言えない自分がいるからだ。もっと頑張れた余地があったのではないかと思い、残り1か月でどうにかしなければと焦るのである。けれど、ひと月などで挽回できるようなものではなく、そのまま来年を迎えるのがお決まりのパターンだ。だがこの1年、まったく収穫がなかったわけではない。

私は普段、「ローカルフレンズ滞在記」という番組の制作班でweb担当として働いている。ある日、番組の関係者を介して知り合ったのは、充実感に満ち溢れている、自分より3つ年上の方だった。それほど年も離れていないのに私とは一体なにが違うのだろう。理由を探るべく、その方を取材することにした。この記事では、取材を通してわかった「充実した1年の過ごし方」について紹介する。来年の年末こそ「充実していた」と思って年を越そう。

充実感あふれる方はサラリーマンだった

取材をお願いしたのは、札幌のお隣・江別市に住む奥平啓太さん(29)。平日はフリースクールや学童で働いている。ずっと教育の仕事に携わりたかったという奥平さん。

「やりたい仕事につけている」。もちろんこれも充実感の大切な要素であると思う。けれど啓太さんは仕事の傍ら、さらに町づくりのための活動を行っていたのだ。

様々な場所を旅した20代前半

いつも笑顔で誰に対しても優しい奥平さんは、かつて世界1周を3回経験した冒険家でもあった。大学は、江別から車で5時間ほどの距離にある釧路にある学校に進学した。学生時代は自転車で日本を縦断したり、休学をして世界1周もしたりしたという。卒業後は旅行会社に就職し、北半球と南半球を回ったそうだ。

そんな長い人生の旅行を終え、6年ぶりに再び江別に帰ったとき、家族との時間がとてもハッピーに感じたと話す奥平さん。世界中を回っているときには、しんどい時もあったからだ。孤独で寂しく、よくお腹も壊す。恐怖さえ感じた。

奥平さん
「遠くにあるものがすごく気になっていろんなものを探していったけど、逆に自分が育った町、近くに何かあるんじゃないかなってすごく気になって」

地元を離れたからこそ、「ふるさとにあるもの」へ目が向くようになった。

ふるさとには、幼なじみとの思い出があった。幼稚園や小学校で出会った仲の良い3人の幼なじみだ。だれかがボケると、ほかの3人がすばやい突っ込みをいれ、また別のだれかがボケるとまたみんなで突っ込む。全員がボケで全員がツッコミ。一緒にいると家族のように気を遣わずにいられる、そんな友人だ。

4人は「シン・エベツ」というチーム名をつけた

4人はそれぞれ、まったく違う仕事をしている。写真の左から、建築会社で働く筒渕裕太さん、お寺の副住職をする石堂郭成さん、フリースクールの先生をしている奥平さん、札幌で公務員をする佐藤広陸さん。そして彼ら全員が江別ではない場所に住んでいた。海外や大阪、そして室蘭に岩見沢。4人の中で一足早く北海道に戻ってきた奥平さんに続き、お寺の修行を終えたり転勤をしたりして、全員が近い距離で暮らすようになったのだ。そして再び江別で集まるようになった。昨年、28歳になる年だった。

写真撮影も楽しそうなみなさん

幼なじみたちとの再会

奥平さんたちは4人で何度も集まるうちに、このメンバーで何かをやりたいと思うようになったという。そして出した答えは、「町づくり」だった。

奥平さんには、町づくりをしたいと思う明確な理由があった。

20代後半になって再び江別で過ごすようになってから見えてきたのは、子どもの頃に遊びに行っていた催し物の裏には、必ず作っている人がいたことだったという。しかし同時に、その作り手が少なくなってきている実感もあった。奥平さんが生まれ育った「条丁目」という地域では、かつて足を運んだ町のお祭りやお店、自分が通った小学校でさえもなくなってしまっていた。

町を元気にするために一緒になにかやらないか。そう幼なじみの3人に話すと、みんなが賛同してくれたそう。そうして話し合った結果、町づくりのためのイベントやることに。20代後半になり、社会人経験もそこそこ積んでいた。イベント開催への道筋は想像ができた。

まずは、筒渕さんの親が所属する「江別市かわまちづくり勉強会」――「条丁目地区」をより明るく元気にするために勉強したり意見交換をしたりする場――に参加することから、地域に関わっていった。
そしてついに、自分たちで主催するイベントの準備が整った。イベントの内容は、キッチンカーや古着屋、子ども向け探求学習のコーナーなど計10以上のお店の出店や弾き語りライブや中学校の吹奏楽部などのステージ。大きなイベントになった。

出店するお店と弾き語りライブの様子

こだわったのは、イベントの中に日常を映し出すこと。元気がなくなったように感じていた、ふるさとの日常を底上げしたいという気持ちが込められている。奥平さんたちは日常の象徴として、日々の生活にかかせない「洗濯」をブースとして出すことにした。イベント当日は私も現地にお邪魔したのだが、会場は石狩川と千歳川に挟まれた風通しの良い場所で天気もよく、絶好の洗濯日和だった。

最初に洗濯ブースに来たのは、5歳くらいの男の子だった。服に食べ物をこぼしてしまったからと、Tシャツを洗いたいという。たらいの中でゴシゴシと洗濯をしていき、力いっぱいシャツをしぼる。正真正銘、自分で洗ったTシャツだ。それを干し終わったとき、男の子はとても誇らしげだった。

私はこの光景を見ながら、少年にとって今日の体験は楽しい思い出として刻まれたのではないかと思った。奥平さんたちが幼少期に江別で過ごした日々を思い出すように、この子も大人になったときに、この日のことを「楽しい思い出」として思い出すのではないだろうか。なんだか次世代へバトンが繋がる瞬間を目の当たりにしたような気がした。

奥平さんから学んだ「充実した1年の過ごし方」とは

イベントの来場者は約3300人を超え、大盛況のうちに幕を閉じた。

けれど開催までの道のりはすべて順調だったわけではない。洗濯ブースは前例がなかったようで、役場の申請に時間がかかった。それが響き、イベントの告知自体がギリギリになってしまったそう。それでも1週間前にチラシを刷り、近隣の小学校や中学校にも行き、2500枚を配りきった。イベント前には新聞社からの取材を受け、江別市の情報サイトにも掲載してもらうなど広報活動を続けた。そうした努力の結果が3300人という来場者数だったのだ。

イベントが終わって1か月たつ頃に再び取材をすると、まだゴールテープを切って倒れこんでいるような気分だという。それくらい全力だったということだろう。奥平さんは、信頼できる幼なじみと町づくりのために奔走した達成感があるから充実感で満ち溢れていたのだ。

充実した1年を過ごす方法があるとすれば、「信頼できる仲間と共に、使命とも言える目標に向かって活動し、やりきること」なのかもしれない。それは奥平さんのように本業の傍らであったり、仕事であったりしてもいいはずだ。

年末になり焦っていた私も、取材を通して考えが変化した。今年は仲間をみつける段階であり、自分にとっての使命を探す時期だったと考えれば、それほど悪い年ではなかったような気がしたからだ。番組を通していろんな方に出会い、とにかく道内のいろんなところに足を運んだ1年だった。これはきっと充実への一歩だとも言える。そうやって焦らずに1年1年、充実の度合いを高めていけたらいい。来年はより良い1年になりそうだ。

「ローカルフレンズ滞在記」制作班 鬼塚菜々

ローカルフレンズ滞在記のHPはこちら

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