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横山知伸さんが歩んだ道

  • 2024年1月29日

年明けから、辛い出来事が続いていますが、個人的にも悲しい別れがありました。北海道コンサドーレ札幌の元選手で、アカデミーコーチも務めた横山知伸さんが、1月4日、再発した脳腫瘍のため38歳で逝去されました。

横山さんに取材させていただき、お話を聞いた思い出は、私にとっては濃く大切な時間でした。取材者として感じた横山さんの人柄や、歩まれた道、そして感謝の思いを伝えたいと考え、おととし、ほっとニュース北海道で横山さんの特集をした内容をもとに、つづることにしました。 

サポーターから愛される選手として

東京都出身の横山知伸さんは、早稲田大学卒業後、川崎フロンターレやセレッソ大阪、大宮アルディージャでプレーし、コンサドーレには2017年に加入しました。闘志を前面に出すプレーで、その年、J1残留にも大きく貢献。明るい性格でチームや多くのサポーターから愛される存在でした。

しかし、コンサドーレからロアッソ熊本に移籍した後の2018年の年末。思いがけない出来事が横山さんを襲います。突然、体にけいれんが起きて病院に搬送されたのです。

検査の結果は脳腫瘍。腫瘍はこぶしほどの大きさでした。

横山さん
「何のことかよくわからなかったですね。現実逃避じゃないですが、生きるか死ぬかみたいな。最初はサッカーのこととかあんまり考えてなかったですね」

手術で腫瘍を取り除いた後も、放射線治療を受けるなど、病気と向き合う日々が続きました。

そんな苦しい状況の中、病と闘う横山さんの支えの1つは、選手やサポーターからの励ましでした。Jリーグの試合では、サポーターから横山さんを応援する横断幕が掲げられました。

横山さん
「2019年の開幕戦を見に行ったのですが、横断幕が出ていて泣きそうでした。その試合の後、仲間から“ロッカールームにきていいよ”って言われて、みんなで写真を撮ったこともうれしかったです。クラブも募金活動もしてくれて頭が上がりませんでした。ピッチに戻りたいな、という気持ちになりました」

手術から9か月後の2019年の秋。つらいリハビリを乗り越え、当時J2のFC岐阜に加入しました。しかし、試合復帰までは至らず、その後、引退しました。

指導者として再びコンサドーレに

引退後もサッカーに関わりたいと考えていた横山さんに声をかけたのは、コンサドーレのGMを務める三上大勝さんでした。

三上GM
「横山は選手時代から北海道のためにコンサドーレのために、選手として何ができるのかということを体現してくれた選手でした。また、彼のプレーヤーとしてのキャリアの中で、簡単に言うといい時、悪い時、苦しい時、いろんな経験をしている中で、それぞれの中での自分の生かし方ということもすごく理解をしている、それがクラブの大きな力に間違えなくなるのではないかなと思い、声をかけました」

横山さん
「引退して何しようかなと不安がありましたが、声をかけられてうれしかったし、チーム、人のために頑張ろうという気持ちになりました」

(横山さんがコンサドーレのクラブハウスに戻ってきたときの様子です。
スタッフや選手から笑顔で歓迎されていました)

“選手に寄り添う”コーチに

2020年、横山さんはプロを目指す若い選手を指導するフィジカルコーチとして戻ってきました。横山さんにとって初めてのコーチ業。意識しているのは、『選手に寄り添うこと』だと教えてくれました。

練習では、とにかく選手との距離感が近く、サッカーの話だけでなく、冗談も交えながら、選手からも気軽に話しかけていて、まるで、兄弟のような関係性でした。

横山さん
「選手たちは、サッカー仲間という感じですね。人によってはふざけているのではないかと思われるかもしれないですが、練習前から少しリラックスできるような声掛けはしています。なれあいは良くないので、たまには厳しい声掛けもしていますよ。選手が成長していけるように、厳しく寄り添っていきたいです」

また、みずからの経験をもとに、けがをした選手やコンディションの上がらない選手には、特に目をかけていました。

北海道コンサドーレ札幌 U18 DF3荒木健斗選手 (当時高校2年)
「気持ちの面でつらかった時があったのですが、結構言葉をかけてくれたので大きな存在です。話しやすいので、何でも聞くことができて、さらにわかりやすく教えてくれます」

番組ではご紹介できませんでしたが、横山さんは、フィジカルコーチとしての学びも惜しまず行っていました。トップチームの練習に何度も通ってメニューを細かくノートに書いて研究したり、アスリートの体に関する資格の勉強をしたり、常に選手の成長を考え行動されていました。インタビューでは、コーチとしての目標を力強く語ってくれました。

横山さん
「選手のためになることをして、トップチームで活躍するような選手に携わりたい。その恩返しをコンサドーレのためにしたいです」

渡邉
「クラブに対しての思いは何かありますか」

横山さん
「恩人ですね。あまりチームには貢献できなかったですが、力になりたい。あと、北海道の力ってすごいと思っています。アウェーもすごい声援をサポーターが送ってくれて。北海道が日本を引っ張っていくのではないかと期待しています」

横山さんとの出会い “気遣い”

私が横山さんと最初にお会いしたのは、2019年の秋でした。NHK岐阜局に勤めていた時に、当時J2のFC岐阜に横山さんが、シーズン途中に加入。移籍への思いを聞くため、取材させていただきました。そして、取材の日。「お疲れ様です。熱い中、お待たせしてすみません。よろしくお願いいたします!!」と横山さんの明るい挨拶からインタビューがスタートしました。サッカーのこと、移籍のこと、ご家族のこと、そして病のことなど、丁寧に話しをしてくれました。また、ピッチの上では、ベテランにもかかわらず、とにかくがむしゃらに戦う姿勢を見せて、走る姿がありました。特に印象に残っているのは、J2残留をかけた東京ヴェルディとの試合。横山さんに出場の機会はありませんでしたが、誰よりも早くベンチから出て、下を向く選手たちに対して、声掛けと拍手で鼓舞していました。個人としても悔しさがあったと思いますが、仲間を思う気持ちがあふれ出ていました。

その後、横山さんは、現役を引退。またピッチに立つ姿が見たいと、寂しさを感じていましたが、再び北海道でお会いすることができました。変わらない明るい挨拶、インタビューにも丁寧に答えてくれる姿勢は、現役時代と変わらない姿でした。スタッフにも気配りをしてくれた横山さんのおかげで、笑顔が絶えない取材現場でした。横山さんからもらったエネルギーを大切に、これからもコンサドーレの取材を続けていきます。
横山さん、ありがとうございました。

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