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己を見つめ、弓を引く ~豪州人弓道家の挑戦~

  • 2024年3月14日

「弓道を通して、より良い人間になることができる」。そのことばには、単に矢を的にあてるだけではない、弓道の奥深さがありました。日本最古の武道ともいわれる弓道の魅力を、このように語るのは、帯広市に住むオーストラリア人の弓道家です。弓道の何に魅了され、どんな思いで弓を引いているのか。高校時代に弓道に打ち込んだ私(記者)が取材に出かけました。

(帯広放送局記者 青木緑)


“まあまあです”

帯広市郊外にある「帯広の森弓道場」。2月の平日の夜に訪ねてみると、20人ほどの日本人に混じって弓を引く長身の外国人男性の姿がありました。グレゴリー・スチュワートさん(58)。道着を身につけ、りりしく立つその姿に息をのみました。

ことしに入り、肩に違和感があったため、練習を少し休んでいたというスチュワートさん。矢を放ち終え、「調子はまあまあです」と、はにかみながら流ちょうな日本語で話す姿に好感を持ちました。


空軍兵士から弓道家に

空軍時代のスチュワートさん(20代)

スチュワートさんの前身はオーストラリア空軍の兵士。新しい仕事に挑戦したいと、2005年に英語の指導助手として来日しました。

初めに勤務したのは、北海道十勝地方北部の士幌町。自然豊かな十勝の山々にほれ込み、登山やスキーにのめり込んだといいます。一度は道外に移ったものの、再び北海道に戻り、帯広市に定住しました。弓道を始めたのは、来日当初、日本の武道を体験したいと、たまたま見学したのがきっかけでした。以来、20年近く弓を引き続け、すでにベテランの域です。

グレゴリー・スチュワートさん
「道場が静寂で平穏な場所だということが、弓道が好きな理由の1つです。ここに来ると聞こえるのは弦音(つるね)だけで、仕事のこと、交通渋滞のこと、日々のストレスを、すべて忘れることができます」


ひたすら弓を引く

スチュワートさんの練習はほぼ毎日。1日約3時間みっちり取り組みます。弓道に打ち込んだ私の高校時代よりも熱心な姿勢。どんな練習をしているのか見せてもらうと、まず向かったのは、的の前ではなく、藁を束ねて米俵のような形にした練習道具「巻藁(まきわら)」でした。

2メートルほどの距離から繰り返し矢を放つこの練習。スチュワートさんは、気になっているという手首の角度や腕の動きなどを意識して、鏡を見ながら念入りに確認しています。動作を繰り返すこと30分以上。スチュワートさんの熱の入れようが伝わってきます。

グレゴリー・スチュワートさん
「弓道では矢を的にあてればいいというものではありません。完璧なフォームで的にあてることが重要なんです。的の前に立つと、誰でも、的にあてることに意識が向いてしまいがちですが、巻藁の前では、自分のフォームに集中することができます」


“8つの基本”

弓道には、基礎となる「射法八節(しゃほうはっせつ)」という動作があります。矢の的中だけでなく、弓を構える前の姿勢から矢を放ったあとの姿勢までの8つの動作は、昇段審査でも重視される基本中の基本なのです。


取材も修行のひとつ?

矢を放つため、的の前に立ったスチュワートさん。視線の先にある的を見つめる表情は、会話する時の気さくな表情とはまったく異なります。堂々としたたたずまいに、私も思わず正座して姿勢を正し、静かに見守りました。高い身長にあわせて特注で作られたという弓から放たれる矢は、一段と迫力を感じさせます。

私たちが少しでも迫力のある映像を撮ろうと、許可を得てスチュワートさんをすぐ近くからカメラで撮影し、的の真横にも小型カメラを設置していた時のこと。矢が的をはずれ、スチュワートさんに「私たちのせいで集中できないですよね?ごめんなさい」と、おそるおそる聞いてみました。すると、「自分のせいです」とスチュワートさん。昇段審査では多くの審査員がじっと見つめる中で冷静に弓を引かなければならず、高い精神力が求められます。取材のカメラが入ることはむしろ精神を鍛える修行になるのだといいます。

ひたむきに取り組むスチュワートさんを、この道場で10年以上、一緒に稽古を続けている弓道の先輩は高く評価しています。

帯広弓道協会 松下卓見会長
「ものすごく熱心です。歩き方や座り方まで、日本人よりもよく練習しています。なかなか意志が固くないと、彼ほどの練習はできません。このまま頑張って練習していけば、きっといい結果が出ます」


母国に弓道を広げたい

今、スチュワートさんが、自身の練習と同じくらい熱心に取り組んでいるのが、弓道の普及です。3月上旬、帯広市の弓道場に、4人のオーストラリア人の姿がありました。
現地で弓道に取り組んでいる人たちです。スチュワートさんはたびたび、オーストラリアから弓道家を招き、講座を開いているのです。オーストラリアの弓道人口は150人ほど。本格的な弓道場はほとんどなく、体育館などで、正式な道場よりも短い距離で矢を放つ練習をするのが一般的だといいます。スチュワートさんは、こうしてオーストラリアの人たちを招き入れることで、基本の動作から道具の手入れ方法まで、こまかく丁寧に指導し、母国の弓道レベルの向上を目指したいと考えています。

日本の弓道場に来ることができ目を輝かせる4人に、スチュワートさんは、お辞儀の角度や道場内での歩き方、それに体の動きと呼吸との合わせ方など、丁寧に指導します。

オーストラリアからの参加者
「オーストラリアではふだん、巻藁の練習しかできないので、本物の道場に来ることができワクワクしています。指導のおかげで細かな基本を学ぶことができたので、集中的に練習していけば、矢をもっと遠くに、もっと強く放つことができるようになると思います」

帯広の弓道場のメンバーも、自然と指導に加わります。弓の構え方や道着の身につけ方まで、身振り手振りでアドバイス。そこに言語や国籍の違いは関係ありません。弓道場のメンバーにとって、スチュワートさんの存在は、世界が広がる機会になっているといいます。

弓道場のメンバー
「私は英語はできませんが、弓は形で教えてあげることができるので、日本の弓道の美しさを私もオーストラリアの人たちに教えてあげたいと思っています」


弓道が教えてくれた“人生にとって大切なこと”

20年ほど前、“運命的な出会い”をした弓道。スチュワートさんは、人間として成長するためのあらゆることを学んだといいます。

グレゴリー・スチュワートさん
「弓道は人生のためになることをたくさん教えてくれます。プレッシャー下でも冷静でいること。忍耐力。自分自身を分析する力。目標を定める力。謙虚さ。人への思いやり…。
オーストラリアの人たちにも、こうしたことを弓道から学んでほしいと思っています」

そんなスチュワートさんの夢は、いつか母国で本格的な弓道場を開くこと。ただ、北海道を愛すが故に、こんな思いを語る場面も。

グレゴリー・スチュワートさん
「まだオーストラリアに帰るには早いかな。北海道が好きすぎて、しばらくは離れたくありません。特に十勝の粉雪が大好きなんです」

日本の文化と自然を心から愛し、豊かな人生につながっているというスチュワートさん。道場で正座して臨んでくれたインタビューは、日本語で「ありがとうございました」とお辞儀して締めくくりました。弓道で己を見つめ、日本とオーストラリアの架け橋を作る。
単に矢を的にあてるだけのスポーツではない弓道の奥深さを改めて知った取材でした。

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