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北海道のジャズ喫茶どうなった?

  • 2023年6月6日

皆さんから寄せられた疑問に答える「シラベルカ」。 今回寄せられたのは音楽に関する疑問です。 

『高校時代からずうっとジャズファンでした。今から40年以上前は北海道でもたくさんのジャズ喫茶がありました。しかし、最近はすっかり見かけなくなりました。ちょっと難しい本を読みながらとんがったジャズを聴ける店は絶滅したのでしょうか?』
(幕別町在住 60代男性  ケイさん)

結論からいいますとジャズ喫茶は絶滅していません。しかし、 投稿者の方にお話を聞くとなじみのお店が次々と消えてしまったとのこと。今回は道内のジャズ喫茶事情について調べてきました。


北海道でも流行したジャズ喫茶

レコードと大きなスピーカーでジャズを聞くことができる「ジャズ喫茶」。
本場・アメリカから遠く離れた日本でも、気軽にジャズを楽しめる場所として、1960年代から全国的に大流行。
北海道でも例外でなく多くの若者たちがジャズ喫茶に集いました。


ジャズ喫茶は文化発信の拠点

当時の様子に詳しい研究者がいると聞いてお話を伺いました。

20年前から道内各地のジャズ喫茶を調査し、本などで紹介している畔田俊彦さんです。
聞くと北海道はジャズ喫茶の文化がとくに根づいている地域だとわかりました。

北海道教育大学 非常勤講師  畔田俊彦さん
「東京や関西と比べると基本的にジャズライブが非常に少ない。ですから自分たちで企画して色々な人を呼んでという動きになっていったんですね。その中核となったのがジャズ喫茶だった。喫茶店のオーナーさんなどが連携してあの街この街とツアーを組むのは、結構北海道多いですね」


ジャズ喫茶がライブ会場に

道内各地のジャズ喫茶のマスターたちが、国内外の有名ミュージシャンを招待し数多くの演奏会やライブを企画・運営しました。

ジャズ喫茶がライブ会場になることもあったそうです。

Bossaマスターの髙橋久さん

札幌市内のジャズ喫茶”Bossa”のマスター髙橋久さんも数々の演奏会を運営した一人です。

「携わった演奏会の数は大体300回以上。岩見沢、八雲、網走、旭川、帯広とつながりがあり、連携してコンサートを開きました。やっぱりものすごい盛り上がりで、ほぼ満員のツアーもありました」

ジャズ喫茶”Bossa”が会場のコンサート


ファンたちの熱意がレコードを生んだ

地域のファンたちの熱意からレコードが生まれた例もあります。
1965年から続く根室のジャズ愛好会「ネムロ・ホット・ジャズ・クラブ」は、1976年に世界的なジャズドラマー日野元彦さんのコンサートを実現させました。
その熱気あふれるライブの様子を収録したのが“流氷”です。
タイトル曲は日野さん自身がファンたちの情熱に応えようと、北海道の情景をイメージして作曲したといいます。
レコードは国内外で人気を博し、今でもファンの間で愛されている名盤です。

さらに創立メンバーの一人、谷内田一哉さんはクラブの活動拠点として1978年に根室にジャズ喫茶”サテンドール”を開店しました。

谷内田さんは亡くなられましたが、現在は弟の豊彦さんがマスターを務めています。

畔田さん
「時代の功績としては非常に大きく、今でも日本の名盤の一つと言われていますね」
「もう市民挙げてやっているというところがすごいですね。地域のジャズ喫茶というのは、文化交流センター的な意味合いが多かったと思います」


ジャズ喫茶、なぜ減ってしまったの?

北海道のジャズ文化の中心にあったジャズ喫茶。なぜ減ってしまったのでしょうか。

畔田さん
「やはり最盛期っていうのは大体60年代から70年代なんですけれども、今は当時、最盛期のころから見るともう半減以下ですね」

減った理由は主に、
✅CDなどのオーディオ機器が登場し、家庭でも音楽を楽しめるようになったこと
✅ロック、ポップなど、他のジャンルの音楽の流行
✅主な客層であった学生・若者の減少 
などが挙げられます。


再び注目されるジャズ喫茶

最盛期よりは数が減っているジャズ喫茶ですが、今再び脚光をあびています。

1961年札幌市で先代のマスター、樋口重光さんが開いたジャズ喫茶”JAMAICA”。
現在は妻のムツ子さんが店主を務めています。

JAMAICA 店主  樋口ムツ子さん

札幌市にある老舗ジャズ喫茶では最近常連客以外の客層が広がり、若い利用客や外国人観光客が増えたといいます。

フランスからの観光客
「壁一面のレコード!他のどこでも見ることはできないでしょう。本当に素晴らしいです」

ジャズ喫茶の再流行の背景には様々な理由がありますが「JAZZ CITY」代表・編集者の楠瀬克昌さんによりますと、
✅SNSでの魅力の発信
✅レトロなオーディオ機器の流行
✅ジャズがテーマの人気アニメの影響
✅海外でのジャズ喫茶の流行 
などの理由があるそうです。

JAMAICA 店主  樋口ムツ子さん
「音楽を聴いて楽しかったとか、良かったなと思っていただくことが一番の私たちの喜びです。(若い世代の中から)1割の人でも。これをきっかけにジャズに興味を持って下さればいいなと思います。聴いて下さる方がいる限り、頑張ってやっていきたいです」


海外に広がるジャズ喫茶

ジャズ喫茶の人気は国内にとどまりません。海外でのブームについて教えてくれたのはジャズ喫茶事情に詳しい「JAZZ CITY」代表・編集者の楠瀬克昌さん。
書籍やSNSなどで国内外にジャズ喫茶文化を紹介し、ジャズ専門誌への寄稿もしています。

「日本発祥のジャズ喫茶に影響を受けた、音楽を楽しむための「リスニングバー」が、今海外で続々とオープンし、ここ10年の間に少なくとも50軒の店舗が誕生しました」

そのうちの一つがドイツのベルリンにことしの春、開店したリスニングバー”Bar Neiro”です。
日本語の「音色」からお店の名前をつけたそうです。

楠瀬さん
「ジャズ喫茶は以前”Jazz-cafe”と訳されていましたが、最近では 海外メディアでも”Jazz-Kissa”という言葉が登場するようになりました。欧米でジャズバーやジャズカフェといえば生演奏が一般的とされています。そのため、高級オーディオでレコードやCDを静かに鑑賞する日本独自のスタイルが、新鮮と受け止められています」

最盛期に比べてその数こそ減ってしまったものの、道内の各地域においてジャズ文化の発信地として大きな役割を担い、今では国内外で再び脚光を浴びていることがわかりました。
ケイさん、投稿を寄せて下さり本当にありがとうございました。

今回の取材を通して、ジャズ喫茶に関わるみなさんのジャズ文化への情熱や愛情を強く感じました。
中でも、JAMAICAの店主・樋口ムツ子さんの「色褪せない情熱を60年間持ちながらも、それをお客さんに押し付けず自然にやっていったのが今も受け継がれている。」という言葉が印象に残っています。
ジャズ喫茶の楽しみ方は時代とともに変わっても、これからもその魅力は世代を超えて受け継がれていくのだろうなと感じました。

こちらの記事でも「北海道の昔と今」について紹介
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