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札幌市中央区南三条西十丁目 1000番地

  • 2024年3月26日

2024年3月31日。今日、札幌の町外れからひとつの酒場がなくなる。
移ろいゆく土地と人々の姿を記録した。

ほっかいどうが #15
「1000番地」
2024年3月31日(日)午後10:45~11:00<総合>

※北海道ブロック
NHKプラス2週間の見逃し配信あり

2024年3月31日

夜10時45分。水色のトタン葺きの長屋の一軒「居酒屋くっちゃん」では、この日、
営業時間をすぎても、常連客たちは帰るそぶりを見せなかった。
大皿の料理はほとんど平らげられ、客たちは名札のついた200本の焼酎瓶を、分かち合い飲んでいた。
あと1時間あまりで、店は閉業しようとしていたー。

1ヶ月前

夕方4時55分。開店前の「居酒屋くっちゃん」の引き戸を勢いよく開けて最初の客が入ってきた。
店主の澤野瑞代は、ニシンの煮付けの仕込みをさっき終えたばかりで、
冷蔵庫のチェックをしている不意をつかれた。
「お客さんまだ5時前なんですけどねー。」
つっけんどんに言ったあと、微笑んだ。
「5分ぐらいいいでしょ?」
「まあ座んなさい。ビール飲む?」
そうだな…と言いながら客は、コの字のカウンターのドン突きに陣取ると、
コートも脱がず、手ずから自分の名前入りの焼酎瓶を取った。
「おでんのしみた豆腐と、あとちょいちょいってつけて380円でどうだい?」
「いいね。それ。」
「入れたボトルは3月までに全部飲み干すよ。あと1回入れなきゃね。」
「1回とは言わず!」

ひとり、またひとりと客がやってきた。19時前にはほぼ満席となった。
グラスが次々に空き、酔った客につがれて、店主も酔った。
酔いが深まるにつれ、カウンターをぐるり取り囲み、誰彼の境なく話が始まり、店主と客らの声が入り混じる。

マカロニサラダ……年金暮らしだからって…やもう結構もう結構……はいよマカロニ!…ママこっちおかわり……トイレ詰まった!…お兄さんおひとりさまですかあ?…西10丁目1000番地…まったく家で新聞ばかり読んでるわけにいきませんよ…ホントに31日まで?…カイロスやったー!飛んだ……更地にされて…ママきのこ天ぷらもらえ…マンション建つらしいよ…ママちゃんあたし31日誕生日…あーー!落ちたーー!……油きのう変えてないからダメ…ここ昔は金玉通りっていってね…じゃあマカロ…次の店決まったの?…2380円……ママお会計間違えてない?…1000両箱の1000番地ってね……あボトル代忘れてた!……

1年前

スーツを着た男が「くっちゃん」の引き戸を開いた。何度か見た顔だ、と澤野は思った。
男は丁重に挨拶をし、2、3の前置きをしたあと、名刺を渡した。
札幌の不動産会社の社員だった。入居者を気遣う落ち着いた声音で、かつ単刀直入に言った。

「物件の売却に伴い所有者様が変わりましたので、
 来年の3月いっぱいでお立ち退きいただくことが決まりました。
 つきましては、その条件についてお話致したく、伺いました。」

「来るものが来た」 澤野は思った。
3年前に大家がガンで亡くなった頃から予想はしていた。
折しも札幌の不動産の活況を伝えるニュースも目につき始めていたところ。
1000番地がウン十億で売りに出されているだの、界隈で一番高いマンションが建つだのと
客が夜ごと噂話を持ってきたが、確かめようもなかった。
閉店後、いつものように扉に南京錠をかけて、背後を振り返ると、
街灯に照らされて、雪の積もった駐車場が長屋を取り囲んでいた。
今となってはこの小さな酒場だけが1000番地に残っていた。
「しょうがない。しょうがないね。」 他の言葉が浮かばなかった。
「しょうがない、しょうがないしょうがない―。」

98年前

1000番地に一棟の長屋が建てられた。木造亜鉛葺き。27坪5合。
大正当時、どこにでもあった、簡素な住宅だった。
その頃、都市札幌は、人口拡大の一途をたどり、外へ外へと拡大していた。
周囲の農村を飲み込み、更地とされた場所は、都心部に比べ地価が安く、
主に職工や商店主、労働者等が移り住んだ。

1000番地もまた、そんな土地のうちの一つだった。
その昔、ひとりの元会津藩士が、国家建設をめぐる内戦に敗れたのち、屯田兵となってこの地にたどり着いたというが、その後、所有者は転々とし、すでに開拓の記憶は薄れてかかっていた。
しかし、札幌に組み込まれたのちも、そこには都市の外部にあった名残が残り続けた。
日没後、狸小路から西へ進むうち、次第に人気は減り、やがて灯火も消え、夜闇が濃くなった。
999番地、1000番地、1001番地…暗がりの中、どこまでいっても長屋が建ち並んでいた。

13年前

澤野 瑞代は初めて1000番地を訪れた。 50歳だった。
それまで雇われ店長をしていた居酒屋の客からある日、
「良い物件があるの知ってるの。独立したらどう?」とそそのかされた。
倶知安町の自衛隊員だった父が生前言っていた「一国一城の主」になれという言葉が頭をよぎった。

大家に案内され、カラオケ居酒屋「しの」が閉店となったあとの空き屋に入ると、
あまりの年季の入りぶりに面食らい、思わず笑いがこみあげた。
「うちは引き戸も水道もすぐ壊れるんだ。何にもしてあげられないけど、それでもいいかい?」
品の良い顔立ちの大家に、まるで度胸を試されるかのように聞かれたが、すでに意思は固まっていた。
ふつうの居酒屋がいい―。カウンターをちょっと高くして。メニューは380円にしよう。
ニシンの煮付け、マカロニサラダ、磯辺揚げ。大きな壁棚をつくって、そこに焼酎を置いてもらう、タバコは吸えたほうがいい。
「人生長くない。」 1000番地で自分ひとりで店をやろうと思った。

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