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目指せ「嚥下食の街」 室蘭で始まった挑戦

  • 2023年5月23日

高齢になっても、障害があっても、みんな一緒に同じ食事を楽しんでほしいという願いから、室蘭市で新しい取り組みがスタートしました。食べやすさだけでなく、見た目や味にもこだわった嚥下(えんげ)食を、飲食店で提供することになったのです。目指すのは、「嚥下食の街」です。 (室蘭放送局 篁 慶一


誰もが一緒においしいものを

取り組みのきっかけは、室蘭市でデイサービスなどを行う介護施設の所長を務める波方元希さん(41)がかつて目にした出来事でした。
米寿を迎えた男性利用者をお祝いしようと、家族や親戚が食事会を開き、テーブルにはごちそうが並びました。
しかし、その男性はかむ力や飲み込む力が弱かったため、いつもと同じ嚥下食しか食べることができませんでした。
嚥下食は、食べやすさや栄養を重視し、細かく刻んだり、ペースト状にしたりした食事です。
他の人たちと同じものが食べられず、悲しそうな表情を浮かべた主役に参加者が気づき、食事会は早々にお開きになったのです。

昨年(2022年)末、波方さんがこの話を行きつけの料理店で店長の音喜多哲朗さん(49)に何気なくしたところ、「じゃあ俺が嚥下食の料理を作ってみようか」と予想外の提案が返ってきました。
そこから話は一気に広がり、今年2月、波方さんや音喜多さんをはじめ、介護や医療に携わる人たちが参加して、「健摂楽(ケセラ)ネットワーク」という団体が設立されたのです。
団体では、誰もが「同じ食事を楽しめる」環境を整えることを目標に掲げ、音喜多さんを中心に見た目や味にこだわった嚥下食の開発に取り組み始めました。

音喜多哲朗さん
「健常者がおいしいと思ってくれるような食事を、介護度の高い方や障害がある方も同じように食べられることが正解だと思っています。誰もがおいしいものを『おいしいね』って言い合いながら食べられるような食事を仲間と一緒に目指したいんです」


初めての嚥下食の料理は

今年3月、団体の取り組みを知った伊達市の和野知恵美さんから、母親の誕生日会の料理を作ってほしいという依頼が寄せられました。
母の郁子さん(80)は、4年半前に脳梗塞で倒れ、病院や介護施設で過ごした後、3年前から在宅で介護生活を続けています。
要介護5で、チューブを通して体に栄養を入れる一方で、口からの食事も支援を受けながら行っています。

依頼を受け、音喜多さんは、団体のメンバーで、食事の介助などを専門とする言語聴覚士の佐々木聡さんたちと打ち合わせを重ねました。
試作した料理を何度も食べてもらい、とろみの付け方や口の動きを引き出す味付けなどについて、細かいアドバイスも受けてきました。
その結果、すりおろしたレンコンを使った「精進うなぎ」やズワイガニを細かくすり潰して混ぜ込んだカニクリームコロッケなど、あわせて6品が完成しました。

5月20日、郁子さんの誕生日会が音喜多さんの店で開かれました。夫や娘、そして孫、あわせて6人が参加しました。テーブルに並んだ郁子さんと家族の料理は、すべて同じでした。
家族や音喜多さんが見守る中、担当の言語聴覚士が料理をすくったスプーンを近づけると、郁子さんは口が開け、しっかりと食べてくれました。その後も、次々と料理を口にし、いつも以上の食欲を見せて家族を驚かせました。

実は、長女の知恵美さんは、これまでずっと母の前では食事をしないようにしてきました。口から食べることが難しい母を気遣ってきたのです。今回、久しぶりに同じ料理を一緒に食べることができた知恵美さん自身も、食事会で特別な時間を過ごすことができました。

和野知恵美さん
「母と一緒に食事をすることができて、すごくうれしかったです。食事も見た目がいつもの介護食とは異なり、感動しました。母が食べている姿を見ると、来年はもっと元気になって、もっと食べられるようになるんじゃないかという気がしました」


『嚥下食』を広げる

嚥下食の料理に手応えを感じた音喜多さんたちは、室蘭市内の他の店でも提供してほしいと考えています。
そこで考案したのが、豚肉を使う室蘭名物のやきとりの嚥下食です。
豚肉の仕込みでは、まず、ミキサーにかけたタマネギ、ショウガ、そして炭酸水を混ぜ合わせ、豚肉を1日以上漬け込みます。そうすることで、分解酵素が作用し、肉が柔らかくなると言います。その後、豚肉は2時間ほど蒸して、さらに柔らかくします。

このやきとりを地元のショッピングセンターで試食してもらったところ、高齢者からも「食べやすくておいしい」と高い評価を多く得ました。そこで、地元の焼き鳥店に話を持ちかけたところ、事前に注文が入れば取り扱ってくれることになったのです。

焼き鳥店  盤木一也店主
「中途半端な出来だったら断ろうと思っていました。でも、本当においしくてびっくりしたんです。舌でもかみつぶせるんじゃないかというほど柔らかく、味付けもしっかりしていました。高齢になって今は我慢したり諦めたりしている方も誘って、みんなが一緒にやきとりを楽しんでくれればうれしいですね」

音喜多さんたちは今、嚥下食のから揚げの開発にも取り組んでいます。完成すれば、市内の飲食店で提供してもらえるようにしたいということです。
団体の目標は、室蘭を「嚥下食の街」にすることです。室蘭に来れば、嚥下食を食べられる飲食店がたくさんある。そんな高齢者にも障害者にも優しい街を目指しています。

音喜多哲朗さん
「嚥下の障害がある人とその家族が、『室蘭に行きたい』、『この嚥下食を食べるために室蘭に旅行に行きたい』と思ってもらえるような街を作ることが夢です。まずは地元の料理屋さんとどんどんつながって、誰もがおいしいものを一緒に食べられるような店が増えてほしいです。嚥下食が室蘭の文化になったらうれしいです」


取材後記

私も試食させてもらいましたが、口の中に入ったやきとりは、しっかりと豚肉のうまみを残し、とけるように崩れていきました。焼き鳥店の盤木店主が太鼓判を押した嚥下食のやきとりは、想像以上のおいしさでした。高齢になって歯などが衰え、やきとり店から足が遠のいた人たちにとっても、昔を思い出す特別な一品になるのではないかと思いました。

年をとっても、障害があっても、みんなと同じものを一緒に食べたい。そうした願いを叶えようという今回の試みは、室蘭の多くの人たちが力を合わせて始まりました。音喜多さんが「嚥下食を室蘭の文化にしたい」と語った時、私は「話が大きすぎるのでは」とも思いましたが、寝たきりの高齢者が嚥下食の料理を次々と食べる姿や家族の喜ぶ姿を見て、今後の大きな可能性を感じました。誰もが暮らしやすい「共生社会」を目指す熱い思いが、高齢化の進む室蘭に新たな文化を根付かせるのか、これからも注目していきます。

2023年5月23日

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