ページの本文へ

ひろしまWEB特集

  1. NHK広島
  2. ひろしまWEB特集
  3. 東日本大震災13年 福島県浪江町から広島へ避難 故郷への思い

東日本大震災13年 福島県浪江町から広島へ避難 故郷への思い

  • 2024年04月18日

東日本大震災から13年がたちましたが、今なおふるさとに戻れない人は少なくありません。そのうちの1人、福島県浪江町から坂町に避難を続ける女性の思いを取材しました。

(NHK広島放送局記者 藤原宇裕)

福島県浪江町から坂町に避難を続けている渡部恵子さん。広島の自宅で黙とうするのも、今年で12回目です。

渡部恵子さん
「長いような短いようなそんな感じですね、忘れられないですね。語り継がないといけない」

あの日、津波が沿岸部に押し寄せる中、夫・洋行さんは渡部さんを車に乗せ沿岸部に住む親族の元へ向かおうとしました。

渡部さん
「『運転して迎えに行くから乗れ』と、津波に向かっていくんだから、私もどなって途中でハンドル握って動かないようにして『引き返せ』ってすごくけんかした。行っていたら大変なことになっていた」

そして、福島第一原子力発電所で爆発が起きました。渡部さんは夫と長男と3人で次男が暮らす広島へ避難しました。

渡部さん
「すぐ福島に帰れると思っているからね、みんな。私らもそう思ったけど、収まったら帰れるだろうなんて思っていた」

いずれふるさとへ帰ろうと、定期的に浪江の自宅へ戻っていました。しかし、周辺の放射線量は高く、2016年に自宅を解体しました。
その後、南相馬市の復興住宅に移ろうとしましたが、洋行さんが認知症を発症。次第に体調を崩すことが多くなった洋行さんは、4年前、76歳で亡くなりました。

渡部さん
「『福島に帰りたいね、帰ろう』とずっと言っていたね」

夫を亡くし、県営住宅で暮らす渡部さん。子ども2人は広島で家庭を築き、親しくしていた友人たちの多くも地元を離れて避難を続けています。1人、福島へ戻ることは諦めるしかありませんでした。

渡部さん
「基盤ができているし、今更もどれないよなって。悔しいよね、つらい。電話では話しはするけれど、やっぱり会って話したいよね、お茶を飲みながらね、食事をしながら」

渡部さんは3月9日、福島県などから県内に避難している人たちでつくる団体の集まりに参加しました。今年1月、東北の被災地を訪れた崇徳高校の新聞部の生徒たちの報告を聞くためです。

崇徳高校生徒
「まず始めに感じたことは復興が想像以上に進んでいなかったことです。13年前から時が止まったままの福島を目にしました。まだまだ空き地が広がる浜通りの光景をみるとむなしい気持ちでいっぱいでした」

生徒たちが福島に関心を持ち、自分の目で現状を見てくれたことに感謝を伝えました。

崇徳高校生徒
「現地の人の見てほしいポイントをまとめられたかなって」

渡部さん
「あとでゆっくり見るから、ありがとう、涙流すくらいうれしいありがとう」

この日、渡部さんは生徒たちに「なみえ焼きそば」をふるまいました。渡部さんが慣れ親しんだ、ふるさとの味です。
あの日から13年。ふるさと浪江に心を寄せ続けながら、広島での暮らしを大切にしています。

渡部さん
「いろんな方々から支えられて13年あるんですよ。お礼を申し上げたいという気持ちです。ありがとうございます。頑張らないように、無理しないようにやっていこうかなと思っています。能登の人たちにも言いたい。頑張らなくていいんです。成り行きで、前に向かってやっていけばいいかなと私は思う。私もそうやってやってきたんで」

避難者の支援活動などをしている団体によりますと、2023年3月末の時点で東北や関東から91世帯299人が広島県内で生活しているということです。さまざまな理由でふるさとに戻れない人たちがいることを忘れてはいけないと思います。

ページトップに戻る