前北 海

生きるのが苦しいと感じたとき

中学生のときに不登校をしていて、それでお父さんとお母さんが自分の不登校で悩むわけですね。母のほうは先に、自分の不登校のことを理解してくるんですけども、おやじは僕の不登校を受け入れられなかったんでしょうね。ある日、中学校の2年生か3年生ぐらいのときに、一緒に食事に行きまして。普段は、おやじは僕に学校に行ってくれとか言えないんですね。そこでご飯食べて、酒に酔っぱらったおやじに、急に、「学校ぐらいは行ってくれよ」と言われてですね。それが、僕は耐えきれなかったわけですね。
一方で母親は、自分の不登校は、まあ行かないこともあるんじゃないかと。自分としてもいろんな葛藤を抱えながら、これでいいのかな、駄目なのかなと思いつつも、不登校である自分を受け入れ始めてきたころに、「学校ぐらいは行ってくれよ」と言われ、とてもショックを受け、その日帰ってきて、一晩中泣き続け、その日の晩、死にたい、死のうと思ったというところですかね。

「不登校のきっかけ」

不登校の理由というのは、なかなか一言では難しいんですけども、燃え尽き症候群というんですかね。いろいろ重なって。そのとき、一番直近にあったのは、中学校1年生の中間テストがあって、それをやり切ろうと。やり切ったところで体が動かなくなって、休み始めたということなんです。
よく考えると、その前に、担任の先生と合わなかったり、なんで制服着てるんだろうとか、なんでこんな授業やるんだろうなとか、そういうぶつかり合いもいろいろあったりだとか。いわゆる「中1ギャップ」。急に制服になったり、急に部活になったり、急に去年までは同じ小学校に行っていた友達を、先輩って呼んだりだとか。そういうのがなかなかなじめなかった。そういう生活の変化もあったし、忙しさ、まあ合わなさですよね。その生活に合わない。
そのとき先生たちに、校則だとか、なんでどうしてとかってかなりやってたんですね。例えば、白い靴下じゃないと駄目、意味分かんないと思ってですね。先生に、なんで白い長い靴下じゃないと駄目なのと。別にそんなのどうでもいいじゃないかと。なんでって聞いたんですけど、「中学生らしいから」って言われて。そういうので、どんどんすり減ってくるわけですよね。
ルールだから、決まりだから、校則だから。いわゆる、出るくいは打つみたいな。生意気言ってくることだとか、まずそこで否定から入るっていうその態度だとか、そのやりとりに疲れていたんですよね。僕が欲しかったのはきっと対話なんですよね。そこがないから、ぶつかるし、こっちが消耗するだけだしっていうのが続いている。一生懸命それを、「なんで分かってくれないんだ」とか、「なんで言っても通じないんだ」っていう中で、どんどん自分がすり減っていく繰り返しですかね。

「父親との関係」

中学校の前は少年野球もやっていたので、おやじは練習にはさすがに来ないけども、試合の前に子どもたち何人か乗せて車出すとかそういうこともやってくれてたし、普通に家族旅行、キャンプに行ったりだとか、そういう普通のおやじでしたね。だから、すごい悪人だというイメージでは全然ないです。例えば手上げたりだとか、時代が時代だったので、悪いことしたらげんこつとかね、そういうのはあったけども、理不尽に虐待といわれるようなことはないので。キャッチボールしたりとかね、休みの日は。なんかそういう普通の親子関係ではあったかなと思います。
まあ人的には悪くはないんですよ。しっかり仕事もしてたし、家族を養うために頑張って働いてくれていたけども。一方で、働いて家族を養うっていうことに一点集中してしまったんじゃないのかな。だから、子どもが学校に行けないだとか、しんどいことがあるっていうところまで、タッチできなかったんじゃないかなと思うんですね。対応ができなかった。おやじもおやじで、心配はしてたんだけども、仕事で忙しいからとかっていうことで、全部、母親に任せてたんだと思うんですね。自分でこういうふうにしたいとか、ああいうふうにしたいというのはあるのに、僕と向き合わない。そこが、きっと僕とうまくいかなかった。僕とおやじとに必要だったのは対話だったんですよね。

「決定打となった父親の一言」

学校というのが僕にとっては敵になっているので、味方であるはずの親から、「学校に行ってくれ」っていわれたときに絶望するんですね。これからどういうふうに大人になっていいかも分からない。大人になるまで手助けしてくれるはずの親が、学校に行ってくれ。じゃあ僕はいったいどうしたらいいんだろうかっていうことなんですね。さらに問題なのが、この学校行ってくれっていう言葉は、善意であり、正論なんですね。善意であり正論は言い返せないんですよ。「学校なんて行けないよ」とは言えないんですね。「そうだよね」って。で、「そうだよね」は自分の内側に入ってきてしまうので、じゃあ自分がいなくなってしまえばいいっていうほうにつながるんですよね。善意や正論っていうのは、むげに、 「うるせえ」とか「どっか行ってしまえ」とか「ばか野郎」とかって言えないんですね。そこが問題なんですよね。だから、自分のことを責めるんですよね。
不登校になってから死のうって思うまで、1年間ぐらいはたってたんですよ。学校に行ってくれよっていう言葉はすごいショックだったけども、なぜそれを、1年間ぐらい何も話さず、何も相談せず、いきなりそれを言うかと、今となって。そこがかなりしんどかったんだと思いますね。別にいつもは学校行けとかも言わないし、おまえが駄目だとか、行ってないと大人になれないとかね、なんかそういうようなことを言う人ではなかったので、まあショックですよね。ようやく学校に行けない僕がどういうふうに生きていこうかっていうのを考え始め、自分なりの違う道を探そう、学校行ってないことを認めて、学校行ってない自分でなんとかするしかないなと。ようやく自分の下地ができ始めたかなってときに、それを一気に覆すような言葉が、その「学校に行ってくれよ」なんですよね。
なので、もうこれは生きられない。死にたいというか、どっちかというと、生きられない。生きていけないんじゃないかというような感覚のほうが近いかなと思うんですよね。絶望ですよね。生きていくことにね。

それでもいま生きている理由

「自分の中から父親の存在を消してみた」

そもそもの悩みのスタートは、自分がどうやって生きるかっていうことだったので、冷静になって考えると、じゃあどういうふうに生きていこうかっていうスタートがまた始まりました。で、もう完全に父親という存在を自分の人生から消し去ろうと。消し去ろうっていうのは、殺してやろうとかじゃなくて、影響されるっていう考え方をやめようと思ったんですね。そこからは「おやじ」というよりも、「彼」とか、そういうような感覚。「あの人」はこう思っているとか、そういう感覚になりましたね。
おやじのことを考えて、影響されて、死にたくなるっていうことが起こる。苦しかったことが再来するっていうことが、僕がどういうふうに生きようかっていうときに非常に邪魔になったので、そこは捨てようと。もうあの人の価値観によって、自分がどういう選択をするかっていうことはやめてしまおうとなった。僕の場合は、全部捨てて考え直そう、ということでしたね。簡単に言うと、まったく話さないとか、なんか言われても、右から左に聞き流す、聞かない。

「10年後の父親の言葉」

実は、おやじに同じようなことを大人になってからも言われているんですよ。僕が高校卒業して、NPOを仲間たちと一緒につくって、そこで今でも働いているんですけど。最初のころは全然お金もなかったので、家にお小遣いもらいに行ったり、ご飯食べさせてもらったりだとか、そういう時期もあったんですけども。で、どのタイミングだったか忘れたんですけども、「ちゃんとした仕事に就いてくれよ」って言われたことがあって。
一緒ですよね。学校に行けなくなった僕に、「学校ぐらい行ってくれよ」っていうことと、今頑張ってやっている仕事に対して、それはちゃんとした仕事じゃないからちゃんとした仕事に、ちゃんとした大人になれよっていうような意味合いですよね。そのときもご飯食べてたと思うんですよ。中学2年生のときの僕は、食べてたカルビがロウのような味になったんですけど、そのときは普通に食事をそのまま続け、「ああそう、だから?」みたいな感じで、流しましたね。だから、同じことを言われても、僕にとって影響力がないと思っていれば大丈夫。

死にたい気持ちに対処するための考え方

「“ちょっと待つ”ことの大切さ」

よく死にたい人たちに、なんて言葉を掛けてあげたいですかっていうことを問われたときに、僕は、「ちょっと待ってほしい」っていうことを言っているんですね。死にたいって思っててもいいし、行動に移そうっていう計画も持っててもいいけども、その行動っていうのを1回ちょっと待っていてくれよっていうことをよく言うんですね。
それは、その実体験もあるわけです。中学2年生のころの僕が、死んでしまおうと思った。おやじの一言でね。大人になってみて、10年間たって、同じような、自分がどういうふうに生きていくかっていうところに触れられても、まったく何も感じない。僕が大人になっているからこそっていうのもあると思うし、状況もだんだん変わってきている。世界も広がっている。仲間も増えているし、自分がどういうふうに生きていこうかっていう経験も知識も増えてくると、そんなことを言われても、「だから?」みたいな。「そんなことまた今も言うのね」みたいな感じで受け流せるわけですよね。
だからこそ、まず、ちょっと待って、自分の状況の変化っていうのは必ず起きるものだから、今そこと戦わなくても、2年後、3年後の自分に任す。今はそのことから逃げてもいいし、ばっさり切ったりとか。「もう自分の人生に関係ない」 って無理にしなくてもいい。今はほっとく。今はその状況から自分が逃げるっていうぐらいでいいと思うんですよね。たぶん2年も3年もすれば、自分が必ず成長している、必ず今の状況とは違う自分になってるから、そのときにもう1回チャレンジしてみたらいいんじゃないかなと。そのときまたチャレンジしてみて、駄目だったら、また2年後の自分に渡していく。真正直に向き合わなくても、全然、生きていけるんですよね。
「死ぬ」っていうところと、「死にたい」って思いは、本当に遠いんですよ。もう 思っているより遠い。「自殺未遂になるか」っていうところと、「死にたい」っていう思いも遠いんです。だから、まずはちょっと待っといてほしいなと。死にたいって思いは全然持ってていいので、まずは、そこの遠くまで短絡的にすっといかずとも、まず待ってみて、状況が変わって、自分が変わっていく、周りが変わっていく、そして、仲間を探していくっていうことに時間を使ってもいいんじゃないのかなと思うんです。

「待っている間の過ごし方」

ちょっと待って、といって待っている間、別に、何もしなくていいと思います。そのままいればいいと思うし、逆に、頑張んなくてもいいんですよね。頑張らないといけないことはあるかもしれないけど、頑張れる時間って限られてるんですよね。しんどい思いをしたりとか、自分が我慢したりだとか、適応したりだとかっていうことは一切考えなくて良くて、自分が楽しいと思ったりだとか、面白いって思ったりだとか、『進撃の巨人』の続きが読みたいとかそんなんぐらいでいいんですよね。そういうようなことで生きてればいいんじゃないですかね。なんか、あしたが楽しみだなって思えるようなぐらいでいいと思います。

しんどいときとかつらいときって、今しんどいとか今つらいって思いがちなんだけど、実はそうじゃなくて、あのときああいうことがあったから今つらい、しんどいってことなんですよね。で、これは完全に、過去を見ている気持ちのつくり方だと思います。それはちょっと、難しいですよね。過去は変えられないしね。それよりも、今楽しいとか、楽しい予定があるとか、おいしいケーキを食べるでもいいんだけど、そういうことで、今が楽しいからこそ未来をつくっていくってことのほうがいいと思う。どういうふうに過ごしたらいいかっていったら、自分が楽しくなること、しんどくならないことを考えてたほうが、実は未来をつくる、自分が生きていくことをつくっていることなんだろうなって思います。

「恩返しのために生きる」

これはこのNPOをつくったきっかけでもあるんですけども、僕は死んでいたかもしれない、でも、そのあと生き始めるんですよね。僕はなんで死ななかったのか、そして、どうしてもう1回、死のうとか思わなかったのかっていうことにつながるんですけども。そのとき、母が不登校の親の会に行って、自分のことを認めてくれるような、投げ掛けをずっとしてくれたわけですよね。僕の存在の価値も、「学校に行ってようが行ってなかろうが一緒じゃないの?」とか、そういうヒントを与え続けてくれたのが親の会なわけです。
そしたら、僕はなんで生きているのかってなると、その人たちへの恩返しだって思うわけですね。そうしたときに、僕が還元できることはなんだろうと。自分のしんどかった話を伝えるっていう、役目とまでは言わないんだけども、そういう立場にいるんだろうなと。「学校に行け」っていう、その一言だけで命の問題にもなってくるんだよってことを知っておくことは大事だと思っているし。この「学校ぐらい行ってくれよ」っていう言葉はですね、不登校の2次被害なんですね。自分が学校に行かなくなるとか、ここじゃ合わないかもなって思ったりだとか、どういうふうに生きていこうとかね、誰もが思うわけですよ。でも、たまたま不登校になったことによって、「大人になれない」とか、「学校に行ってくれ」って言われて死にたくなるっていうのは、もう2次被害、3次被害の話なんですよ。それは止められるだろうと。自分の力や自分の体験を話すことで止められるって思ったんですね。

しんどいときに実践しているセルフケア

これもね、いっぱいあるんですけど。例えば、飲みに行くということもあるんだけど、僕そんなに1人で飲むのも得意じゃないので、コンビニに行って、いわゆるコンビニスイーツっていうものをいっぱい買って、1人でむしゃむしゃ食べています。普通のおいしいケーキ屋さんもあるんですけど、僕の仕事は普通の時間には終わってあんまり残業もないので、仕事終わりにおいしいケーキ屋さんにも行けるんだけども、でも、コンビニスイーツなんですよね。いいとこのお母さまたちが、「甘くないわね」って言うようなやつだと、満足できない。たっぷり甘いのを食べて、よしっていう。
「ちょっと待って」っていう中には、実はそういうのもあるんですよ。子どものときってお金も自由に使えないし、どっか遊びに行くのもできないし。でも大人になれば別にどこに行ったっていいし、別にコンビニでケーキ買うとか、シュークリーム買うなんていうのは、いくらでもできるわけで。自分が死にたいとか、もういなくなりたいって思ったときに、そういう逃げ場みたいなのをつくれるんですよね、つくろうと思うとね。

前北 海

1984年5月生まれ。不登校を経験。19歳のときに仲間とNPOを立ち上げ、千葉県で、不登校やひきこもりの人たちのサポートを行う。

PREV

NEXT

Page Top