アルタイル

生きるのが苦しいと感じたとき

「はじめて死を意識した中学時代」

僕が初めて、死にたいなって考えるようになったのがたぶん中1辺りからだったと思うんですけど。中1の冬は、部活とかでも正直、人間関係が形成できてなくて。小説を読んでいたときに、その主人公が最初に自殺をして、そこから物語が動いていくっていう小説で、そのときに自殺っていう選択肢が初めて自分の人生の中に入ってきて。自分でどうこうってことはなかったですけど、本当に一番最初の、死にたいとかそういう選択肢ができたのは中1の冬だったと思います。そういう選択肢とか考えとかもあるのかっていうのを、わりとこう、真に受けちゃった感じかなって思います。でもそのときは正直、本当に明確な理由とかも特になかったので、本当になんとなくというような、深い理由も特になかった感じです。

中学校は、どうしても合わない人とも接しなければいけなかったり、やっぱり空気を読むじゃないですけど、周りと合わせたりとか、単純に苦手な人がちょっかいを出してきたとか、そういうのも結構あったので、そこでちょっと精神的に疲れてたのかなって今思うんですけど。

例えば何かを隠されたとか、誰かに常に暴言を吐かれているとか、弱い立場にいるとか、そういう感じではなくて、一応少なからず友人みたいなのもいましたし、でもなんかその友人同士でのやりとりも楽しいだけじゃなかったというか、自分の中でストレスに感じたり、嫌だなって思うようなやりとり、場面も多々あって、疲れてたのかなっていう感じですね。
冗談とかからかいとかが、自分の中で行き過ぎてない?っていうことがあったりとか、本当にしつこいような人もいて、僕がいらいらしたりしてるのを見て楽しんでるような人間もわりといたので、それが結構ストレスだったというか、本当に嫌だったなって思いますね。

「ターニングポイントは高校1年」

僕の場合、高校1年生が良くも悪くもターニングポイント、たぶん一生引きずっていくようなものだと思うんですけど。中3のときに受験勉強、本当にすごい頑張って、自分が入りたかった高校に頑張って入ったんですけど、そこで結構、燃え尽きてしまった。

本当に自分の中で仲が良かったり、大切な人たちと離ればなれになってしまって、新しい環境で頑張っていくぞとは思ってたんですけど、もともと人間関係をうまくつくれるような人間、どこでも話し掛けたりできる人間ではないので、あまり人間関係を築けなくて。
あと部活も本当に大変で、僕は電車で1時間以上掛けて通わなきゃいけないんですけど、朝練に行くために5時に起きて急いで電車に乗って、自宅でやってると間に合わないので電車の中で課題をやったりして、朝練でへとへとになって授業を受けて、授業後は部活でもう本当にしごかれて。夜までしっかりやって、そこから電車に乗って1時間以上掛けて自宅に帰ってっていう生活を毎日送ってると自分の中で体力っていうものがどんどん減っていくというか、疲れていってしまう状態で。

でもそこで楽しいこと、友達とかがいてくれたら良かったんですけど、そういう人物もいなかった。わりとからかわれて、いじられてた。僕自身不器用だったり要領がよくない部分もあるので、先生に怒られたりしょっちゅうして、そういう生活でのストレスがどんどん重なっていってしまって。
たぶんどこかで逃げてればよかったんですけど、ちょっと逃げる勇気が正直なくて、本当に自分がぎりぎりになるまで、高校にひたすら通い続けていたので、気付いたときにはもう心身共にもう起き上がることも大変だったり、どう死ぬか、みたいな、そういうことばっかり考えてしまう状態になってたなって思います。

「上と下という意識」

僕、中学生のときは、スクールカーストじゃないですけど、実力で全部判断しちゃってるような人間で、例えば足が速くて運動ができて頭がいい人、委員会とかもできる人が人として上位の人間で、そういうものがなく、運動ができないとか勉強が苦手っていう人は、人として下なんだろうなって、そういう狭い考え方を持っていて。
高校に入って、勉強をしなくなったり、できなくなったりしたときに、自分が下の人間、ビリから数えたほうが全然早いってなってしまったので、そのゆがんだ考え、狭い、実力でしか見てない価値観が、自分に突き付けられてしまったので。「あ、自分がばかにしてた人間になっちゃったんだな」っていうのがあったなって思います。
自分はあくまで直接誰かに言ったり、誰かを笑ったりとかしてないですけど、上を見て努力しようっていうよりは、下を見てちょっと優越感に浸ってるような、そういう人間だったんですけど、今度、高校に入って自分が下になったときに、自分って今こういう低い地位にいて、なめられてるじゃないですけど、高校ではそういうのが結構強かったというか。

「死にたいという気持ち」

僕が死にたいって思い始めたのは、たぶん2学期辺りから、9月、10月辺りからですけど、そこで例えば高校を休んで、ちょっと休養してっていう選択肢もないわけではなかったんですけど、高校も行けなくなっちゃったら、本当に進路とかもう駄目というか、人生終わっちゃうんじゃないかなってその当時すごく考えてて。大学にも進学できない、高校も行けない、そのままやめてニートとかになるって、そういう人生終わってない?みたいなことをすごい深刻に考えてしまって。本当に頑張って頑張って、例えとか比喩じゃなくて命懸けで高校通ってましたね。もう通わなきゃ、通わなきゃっていうのを毎日、毎日、自分の体に異常が出ても無理やりやってたら、本当に糸が切れるというか、もう本気で死んでしまおうっていうときが来た感じですね。
もういよいよ、自分の中で追い詰められたときに、ああもういいかな、みたいな。もう駄目だと思って、何月何日に学校行くふりして、電車でここまで行って、そこから死んでしまおうっていう計画も結構、綿密に立てたり。死にたいとか消えたいっていう感情とか、思いとか、そういうものが本当に自分のすぐ隣にあった感じですね。

例えば、いろいろつらいことがあるけど本当は楽に生きたいんだ、でもそれができないから死にたいっていうよりは、自分はもう駄目なんだろうな、みたいな。もうここから先、生きてても落ちぶれていって、人にもすごい迷惑を掛けて、笑いものにされるようになっちゃうんだろうなって思って。本当に、死にたい、消えたいっていうのが、裏の意味がなかった。死にたいけど、できれば笑っていたいとか、そういう感じよりは、なんかもう本当に死にたい、消えたいっていうのを純粋に思ってたな、と思います。
諦めというか、もうやりたいことも特にないし、何をしても何も感じないし、物を食べてもおいしいって感じないし、息をして意識があるだけで、すごいつらい。言葉では難しいというか、経験した人にしか、たぶん分からないと思うんですけど、本当につらい、生きて息をしているだけでつらくて。

それでもいま生きている理由

「漫画とバンドと占いと…」

死ぬのと生きるのどっちが楽かってなると、生きてるほうがたぶん楽だなっていうのが、今、僕はそう思ってて。死ぬっていう行為って、本当に自分の中で覚悟とかエネルギーとかが要る行為なので。準備とか、覚悟を決めたりとか、そこまでできるほど今の生活に対して絶望しきってるわけではなくて。
かといって、もう未来は明るいとか前向きなことを言えるわけでもない。常に僕はネガティブというか、基本的にあまり期待せずに生きてるんですけど、すごい頑張って自殺するよりは、生きるほうが今は楽かなっていうのが1つ。

あと、単純に好きな漫画があったり、バンドとかもあるので、そういうものを今は追ってたいかなって。例えば、僕が聴き始めたころにはもう活動休止をしていたアーティストがいるんですけど、その人が去年の12月に活動再開をして、本当につい最近、新曲が出たりして、それがすごい良くて、本当にいい面でも悪い面でも何が起こるか分からないっていうのをすごい思ってて。
当然悪いこともたくさん起きると思うんですけど、少なくとも今は、どうしようもないくらいの悪いことっていうのは、今はたまたま起きてなくて。だから、わざわざ覚悟決めて、自分で手を下すこともないかなっていうふうに思ってて。

あと、しょうもないことなんですけど、占いに行ったときに、あなたは22歳でこういうことが起こって、23歳でこういうことが起こって、24歳でこういうことがっていうのをわりときっちり言われたんですよ。まあしょせん占いって言われてしまえばそれまでなんですけど、それ本当に合ってるのかな、みたいな。自分の中では、答え合わせというか、幾つ合ってるんだろう、幾つ間違ってるんだろうみたいな、そういうこともあるので。

「立ち直ったつもりもない」

なんだろう。僕の場合は運が良かったって思ってて。本当にどん底にいたときに、本当にたまたま自分を気に掛けてくれる人がいた。あと、例えば通信制高校に入学して卒業して、今度は大学に入学して、自分の努力が報われてくれたのがすごい運がいいことだったと思っていて。たぶんそのどれか1つが欠けてたら絶対に折れてたので。全然立ち直ったとは思ってないというか、そういうことがあって、その延長線上で今があるっていうふうに思っているので。
僕は、10代のうちに不登校と引きこもりとうつ病っていう3つを経験してるんですけど、それに対してすごい隠したいことでもなくて、かといって、私はこういう人間ですって胸を張って言うことでもなくて、なんか結果としてあるというか。そういうことがあったから今こういう生き方をしているという感じなので。克服とか立ち直ったとか、そういうポジティブな言葉にはどうしてもできなくて。起きたことに対して、たまたま自分の努力が報われて、たまたま自分のことを気に掛けてくれる人がいて、なんか、気が付いたらこういう生活を送ってるっていう感じです。

しんどいときに実践しているセルフケア

僕は、死にたいと思ったり、そういうのを嫌というほど経験してるので、自分の中で分かったことは、どうあがいても無理なときは無理だなって。もう無理だなって思ったら、なるべくあがかない。今は駄目な状況なんだっていうのを、なるべく心を落ち着かせるように自分に言い聞かせて。
あとは、僕の場合は本当にすごい暗い音楽、例えば、死にたいと歌ってるような音楽とか、自分なんていてもしょうがないよって歌っちゃうような、普通に元気な人が聴いたら、「なんでそんな暗い曲聴くの?なんかもっと明るい曲聴こうよ」って言われると思うんですけど、僕はそういう曲をいっぱい聴いて、どうにかやり過ごしていたので。励ますとかそういう曲ではなくて、死にたいよとかもう駄目だよっていうような暗い音楽を聴きながら、横になるっていうのをやったり。

もうどうしようもないときは早めに寝る。取りあえず、あしたに全部丸投げしよう、みたいな。つらい気持ちとかしんどい気持ちを取りあえずあしたに丸投げして。で、あしたになったらまた丸投げって。そういうふうにごまかしごまかしで生きていくというか。そんな焦ることないなって思ってて。
あまり生きることに執着してるわけでもないので。生きていたいとか、生きてこういうことをして、もっともっとっていう感じでもなくて、今努力をしなくてもなんか生きてるというか、心臓は動いてて。意識もある状態でっていう感じなので。じゃあ今はこのままでいいかな、みたいな。勝手に動いてるし、勝手になんか意識があるし、勝手に息してるし。じゃあ今は頑張って死ななくていいかなみたいな。その程度です。

いま伝えたいこと

うーん、なんだろうな。なんか、自分に対してだったらどうにでも言えるなって僕は思ってるんですけど、会ったことのない他人に対して、みんなに効くような言葉とかって絶対ないと僕は思ってて。例えば僕が、まあ思ってもないですけど、大丈夫だよ、なんとかなるよとか言ったことで傷つく人もいるだろうし、それでまあそうかもって思う人もいるんじゃないかな、みたいな。そういうふうに思ってるので、めちゃくちゃ難しいんですけど。

これを見てる人に対して言えること、僕から伝えたいことは本当に思い浮かばない。ただ、過去の本当にしんどい、つらくてしんどくて、もう本気で死にたいって思ってる自分がもし目の前にいて、うずくまってて、声を掛けなければいけないとしたら、「あなたがやらなければいけないことは、未来の自分がやるから。未来の自分が努力をするし、どうあがいても、死ぬことは残念ながらできてないから。取りあえず、まあご飯を食べて寝てればいいよ」みたいな感じ。うん。「やらなきゃいけないことは、先の自分が勝手にやってくれるから、今苦しい自分はまあご飯食べて寝てな」ぐらいしか言えないかなって思います。

アルタイル

1999年生まれ。大学生。2017年放送のNHKの番組「#8月31日の夜に。」に、10代のときに出演し、抱えてきた生きづらさを語った。

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