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2020年10月14日(水)

ALS 当事者たちの声

ALS 当事者たちの声

今年7月。難病ALSを患う女性から依頼を受け、薬物を投与し殺害した疑いで医師2人が逮捕されました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、意識は明瞭なままで、全身の筋力が徐々に機能を失っていく難病。亡くなった女性は9年前に発病、24時間の介護サービスを受けながら独り暮らししていました。視線でPCを操作し、SNS上で生きる苦しみを綴っていた女性。事件を受け、同じALSで闘病生活を送る当事者たちの間には戸惑いが広がっています。女性が抱えていた苦しみをどう受け止めれば良いのか、ALS当事者の皆さんと共に考えます。

出演者

  • 川口有美子さん (NPO法人さくら会理事)
  • NHK記者
  • 武田真一 (キャスター)
<番組の内容>

ALS当事者たちの声

亡くなった林優里さん。アメリカの大学で学び建築関係の会社で働いていました。

9年前にALSを発症。次第に手足が動かなくなり、24時間ヘルパーの介護を受けて1人暮らし。目の動きでパソコンを操作し、SNSに思いをつづっていました。

“笑おうとしても筋肉が引きつって、もう笑顔にならない。”

“人の手を借りないと生活できない。この身がつくづく嫌になった。
死ぬ権利を認めてもらいたいです。”

新しい治療に期待する書き込みもありましたが、次第に生きることに否定的な発言が増えていきます。切実な書き込みを見た人たちからは、さまざまなコメントが寄せられていました。中には、ALS当事者からのメッセージも。

“自分の未来と重ねながら、読んでいます。”

メッセージを送ったのは、長崎県に住む、平坂貢さん。

首と指先の動きでパソコンを操作し、思いを伝えてくれました。

平坂貢さん
「(事件は)衝撃でした。悲しい気持ちと、彼女の願いがかなって良かったという気持ちが入り混じっていました。」

韓国の釜山(プサン)大学で数学を教えていた平坂さん。異変があったのは4年前、44歳のとき。つまずく回数が増え、声も出しづらくなったといいます。大学を休職し、家族で実家のある長崎に戻りました。

「今、お父さんのマネをしてます。」

平坂さん
「給食は何を食べたかな?」

「スープと野菜と。」

平坂さん
「残さず食べたかな?」

「残さず食べてなかった。」

現在は車いすでの生活。心のうちを川柳でつづっています。

“付きまとう ハエを払えず 悲鳴上げ”

“父らしい ことが出来ない 行楽地”

“安楽死 気持ちはわかる 辛いもん”

今後、どんな症状が出てくるのか。調べるうちに出会ったのが、林さんのSNSでした。平坂さんが送った「自分の未来と重ねている」という言葉。林さんからの返信は意外なものでした。

“なぜか他の患者さんには治る希望を持って欲しいと思う。勝手なものですね。”

平坂さん
「やさしい方だなと思いました。」

取材班
「メッセージを聞いて希望を持とうと思えた?」

平坂さん
「昔は白血病は不治の病でしたが、今は治療可能です。ALSもいずれはそうなると思いますが、(自分に)間に合うかどうかは分かりません。期待しないで待っています。」

今回の事件を林さんだけの問題ではないと考える人もいます。ALS当事者グループの岡部宏生さん。

日本ALS協会 前会長 岡部宏生さん
「ALSのような過酷な病気だと(誰もが)“生きたい”と“死にたい”を繰り返しているのです。」

病状が進行すると、呼吸に必要な筋肉も弱っていくALS。岡部さんも11年前、呼吸困難に陥りましたが、人工呼吸器をつけたことで一命を取り留めました。その一方で、呼吸器をつけずに亡くなっていく多くの当事者を見送ってきたといいます。

岡部さん
「左端の人は呼吸器をつけないで亡くなりました。『動けなくなって生きていたくない』と。もう一人は『毎日、生きるかどうかを考えた』と言っていました。私が『生きてよ』と言うと、笑っているだけだった。」

当事者の多くは、発症後2年から5年で呼吸器が必要になるとされています。しかし、厚生労働省の調査では、呼吸器をつける選択をした人は全体の3割。残る7割は、介護や経済負担など、さまざまな理由から呼吸器をつけることを選ばず、亡くなっているといいます。

岡部さん
「人工呼吸器をつけるかどうかは、まさに“生きるか” “生きることを諦めるか”という決断です。それを自分でしなければならないことがALSの過酷なところです。」

亡くなった林さんとやりとりをした平坂さん。発症以来、呼吸器をつけるかどうか考え続けています。

平坂さん
「(現時点では呼吸器を)つけないで自然にまかせようと思います。」

取材班
「その理由はなぜ?」

平坂さん
「父親に求められるのは経済力です。今の自分にはその役割ができませんからね。」

取材班
「呼吸器をつけると困ることは?」

平坂さん
「24時間、誰かが介護することになるということです。」

主に家族の介護を受けて暮らす平坂さん。呼吸器をつけると、夜中も、たんの吸引が必要になるなど、介護の負担が増すといいます。

取材班
「サポートできる体制があったら(呼吸器を)つけてもいい?」

平坂さん
「状況次第ですね。」

取材班
「子どもの成長を見たい気持ちは?」

平坂さん
「そうですね、迷惑をかけない範囲で。」


ゲスト 川口有美子さん(NPO法人さくら会理事)

武田:“生きるか” “生きることを諦めるか” その決断を自分でしなければならないという言葉は本当に重いものだと思います。その問いに私たちはどう向き合えばいいのか考えていきたいと思います。
ゲストは、ALS当事者だった母を10年以上にわたって介護して、現在はALS患者専門のヘルパーを育てるなどの支援を行っている、川口有美子さんです。
亡くなった林優里さん、そして当事者の皆さんの葛藤はどういうものなんでしょうか?

川口さん:林さんのことは本当に私もショックで残念だったと思います。患者さんは、やはり日々の日常のいろいろなことで気持ちが大きく揺れ動くんですけれども、それが生死の選択にどうしてもつながってしまうという病気です。

武田:どういうことをきっかけに揺れ動くんですか?

川口さん:例えば家族とたわいもないことでけんかをしたりとか、ヘルパーさんが自分の思ったとおりの介護をしてくれないということで絶望してしまうことがよくありますね。

武田:一方で生きたいと思うこともあるわけですよね。

川口さん:もちろん子どもがいるから子どもの成長を見届けたいとか、ペットを飼っているとか、本当に普通のことなんですけれども、それが生きる気持ちにつながっているということもあります。

武田:私たちが誰しも感じる日常生活の感情の起伏が、生きるか死ぬかということにつながると。

川口さん:直結してしまうので、そこが残酷なところだと思います。

武田:取材に当たった京都放送局の小山さん。林さんの葛藤はどういうものだったんでしょうか?

小山志央理記者(NHK京都):事件が起きた当時、林さんはすぐに亡くなるような状態ではありませんでしたが、呼吸が苦しくなることはあったようで、周りには「人工呼吸器はつけない。死なせてほしい」と、生きることに消極的な言葉を繰り返していたといいます。
一方で、林さんの治療を続けてきた主治医の方はこのように話していました。「新しい治療法についても最後まで情報収集するなど、生きるための努力もしていた。何があれば林さんが生き続けようと思うことができたのか考えていきたい」。
林さんも生きたいという気持ちと、死にたいという思いの間で気持ちが揺れていたということが伺えると思います。

武田:当事者の7割が人工呼吸器をつけない選択をしているというのが現実だということなんですけれども、皆さん人工呼吸器をつける、つけないの選択をどんな思いを抱えながらしていらっしゃるんでしょうか?

川口さん:多くの患者さんが言われるのは、家族に迷惑をかけるとか、全身が動けないのにどうやって暮らしていけばいいのか想像がつかないとか、1人暮らしなので介護してくれる人がいないということで、呼吸器をつけた後のことが想像できないんですね。それで諦めてしまうという方が大半なんですけれども、中にはインターネットを駆使して、患者さんの書かれたブログなどを読んで、よい情報を集めて前向きに呼吸器を選択する方も最近たくさん出てきています。

武田:そういう方はいろんな情報を調べる中で、こうやったら生きていけるんじゃないかという、何かそういうものをつかむということなんですか?

川口さん:そうですね。周りの状況によって選択が左右されてしまうということは非常にあります。個人の格差が非常に激しく出てしまうのが結構ありますね。

武田:周りの状況だったり、ちょっとした何か情報があれば。

川口さん:いい情報があれば、それをつかむということはありますね。逆に言うと、情報がなければ諦めてしまうことがあります。

武田:みずから選択をしているということだけじゃなくて。

川口さん:自己決定と言われますけれども、自己決定だけではないですね。状況がさっきもおっしゃられていましたけど、状況によるということは大きくあると思います。

武田:悩みながらも人工呼吸器をつけるという決断をした当事者とその家族を取材しました。


宮川秀一さん
「チョキチョキ楽しい?」

「チョキチョキ、楽しい。」

長野に住む、宮川秀一さん。つい1年前まで美容師として働いていました。

しかし、去年(2019年)の夏45歳のときにALSと判明。進行が早く、現在は目以外はほとんど動かせません。呼吸も困難になり、今年(2020年)の春、人工呼吸器をつける決断をしました。

背中を押したのは、父親の存在。宮川さんは珍しい、家族性ALS。亡くなった父親も同じ病気でした。

宮川さん
「父もALSでしたが、気管切開(呼吸器)はしませんでした。残った家族としては(呼吸器をつけて)欲しかったし、生きていて欲しかったし、くじけそうになる時はありますが、それでもやっぱり死にたくない。消えてなくなるのが怖い。寂しすぎる。」

迷った末の決断。呼吸器をつけて病院から戻ると、厳しい生活が待っていました。介護に当たったのは、妻の明日香さん。仕事や育児に加え、夫のケアも。睡眠が1、2時間しか取れない日もありました。

妻 明日香さん
「(いちばん大変なときは)なんで私がこんなにやらなきゃいけないんだろうとか、そういうことを思っちゃうと、こんなにひどい人間だっけ、私こんなにひどい人間だっけっていう。一緒に死んじゃってくれないかなという時はありました。私と一緒にお願いって。」

宮川さん本人も気持ちが落ち込むことが増えていきました。

宮川さん
「どんどん(症状が)進行しています。最近は目が覚めると右目がしばらく開きません。想像してみてください。体もどこも、ひとつも動かない。(もしそうなれば)視線も使えないので、合図を送る手段が何もない状態です。でも感覚と意識はあるんです。」

状況が改善したきっかけは、支援に当たるコーディネーターとの出会い。ヘルパーを長時間利用できる「重度訪問介護制度」を利用できるよう役所に掛け合ってくれたのです。今では週に6日、日によっては24時間介護を任せられるようになりました。

制度の存在を知ったことで、家族の負担は大きく減ったといいます。

ケアマネージャー
「こういう道(重度訪問介護)があると知らずに命を諦めたというか、そうせざるを得なかった方々がかなり多いのではないかと思います。」

呼吸器をつけたことで、息子の小学校の入学式にも出席できました。

宮川さんの息子
「別に、何もできなくてもさ、たまに一緒にどこかに行けるから、うれしいよ。」

宮川さん
「(泣いたのは)うれしいからだよ。」


武田:このALSの症状は人によってさまざまで、宮川さんが恐れていた、完全に目も動かなくなる状態にまで症状が進行する方は一部の方だけだということです。
制度のサポートを受けて、それでご家族に囲まれて暮らしていらっしゃる宮川さんの日常を、川口さんはどういうふうにご覧になりましたか?

川口さん:制度を使えるようになって、宮川さん、本当によかったと思います。
私が母の介護をしていた90年代というのは、そういう制度もなかったですし、コミュニケーションのツールもなかったので本当に大変だったんですけれども、周りから「家族が介護するのがいい」というふうに言われてましたけど、今はもう家族が介護しなくてもいいという時代ですから、遠慮することなく、介護サービスを使えばいいと思うんですね。そういうふうに介護のサービスが整ってきていますから、本当にそれでたくさんの人が入ってくるようになると、またそこでいろんな情報が入ってきますから、介護も明るくなってきています。

武田:小山さん、やはり支援制度の充実というのは必要だと思うんですけれども、これはどうなっているんでしょうか?

小山記者:今お話にあった「重度訪問介護制度」は、重い病気を患った方などが自立して暮らせるようにヘルパーを長時間派遣する、国の制度になります。24時間の介護の支給時間が認められるケースもあって、家族の負担を大きく減らすことができます。
一方で、いくつか課題も指摘されています。まず、各地の自治体が支給時間を決定するため、地域格差があり、申請しても、前例がないと長時間の利用を断られるケースがあるといいます。また、制度自体も十分に知られていないので、申請までなかなかうまくたどり着かないケースもあるということです。最後に、ヘルパー不足も慢性的な問題で、事件で亡くなられた林さんもこの制度を利用して1人暮らしをされていたんですけれども、なかなか長時間担当できるヘルパーを見つけることができずに、いろいろな事業所から合計で30人ほどが数時間置きに入れ代わって介護をされていたということでした。

武田:こういった課題があるわけですけれども、川口さんは、改善していく上で何が大事なことだと思いますか?

川口さん:制度も法律も整ってはきているんですけれども、まだ過渡期で、完全によくなっているわけではないんですね。ですから、当事者が市町村に介護給付を求めるときに、一緒に行ってコーディネートをするとか、そういう人を養成しなければいけないですし、利用者さんも臆せずに、自分の交渉をしに市町村に足を運ぶということ、勇気を出して訴えるということが大変重要だと思います。
当事者の方とサービスをつなぐ役割をする人が今は大変少ないので、その人たちを養成しないといけないと思っています。

武田:最後に、当事者の方、ご家族の方に伝えたいことはどんなことでしょうか?

川口さん:呼吸器をつけて生きていくというのは大変なことなんですけれども、勇気を持って、この病気は亡くなる病気ではなくて、障害が重くなるということで、呼吸器をつけると10年とか20年長く生きることができます。その中で楽しいこともつらいこともいろいろあるんですけれども、それが人生ということで、頑張って生きてほしいと思います。あと、患者さんが生きることによって研究も進みますし、研究者も頑張って新しい薬を開発してくれるということがありますので、大変ですけれども、頑張っていきたいと思います。

武田:私たちは今回、このほかにも多くの当事者や支える人たちを取材させていただきました。どうもありがとうございました。最後にそうした方々の日常をご覧ください。


8月、ALS当事者など200人がオンラインで語り合いました。

東京五輪の聖火ランナーを務める男性
「(聖火ランナーの)応援に行ってもいいという方はお願いします。」

医療技術の進歩に期待する女性
「子どもたちと一緒に始めたバレエを(いつか)またやりたい。」

多くの当事者がつながることで支え合おうという試みです。

イベントを主催 真下貴久さん
「生きづらいと感じている方が悲しい選択をしないように、もっと、つながってほしい。」

新しい技術の進歩に貢献したいという人もいます。
発症して10年以上たつ浅田怜一さん。最近は目が動きづらい日が増えてきました。

いつか、視線に頼らず意志疎通できる日が来てほしいと、脳波を使った研究に協力しています。

母 光子さん
「希望は捨てません。」

京都で暮らす甲谷匡賛さん。ヘルパーとの毎日の散歩が日課です。

ヘルパーの志賀玲子さんは、ALS発症前からの友人。

ヘルパー 志賀玲子さん
「このメガネは甲谷さんが元気だったころ、気に入って買ったもの。」

10年以上、専属ヘルパーとして支える中で気付かされたこともあったといいます。

志賀さん
「『そんな病気になったら死んだ方がまし』という言い方は世間一般によくありますけれど、だけど、死ねないわけですよ、死ぬまでは。死ぬまでは、生きているっていうこと。だったらその中で、何かできることをやれたらいい。甲谷さんと関わったことで、私はそれを知ることができた。」

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