クローズアップ現代

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2018年7月26日(木)
オウム死刑囚 “最期の手紙”

オウム死刑囚 “最期の手紙”

今日、オウム真理教の元幹部たちの死刑が執行された。「地下鉄サリン事件」などの凶悪事件を引き起こした教祖・麻原元死刑囚をはじめとする7人の執行から間を置かない“同時執行”となった。私たちは獄中で元死刑囚が綴った手紙の内容を独自に入手。そこには、今回刑を執行された元死刑囚が、麻原そしてオウムをどう見ていたのか、なぜ凶悪な犯行に及んだのか、そして犯した罪を自らの“死”をもって償うことになったことへの心境が綴られていた。オウムとは何だったのか?獄中からの手紙に綴られた言葉から迫る。

出演者

  • 江川紹子さん (ジャーナリスト)
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

オウム死刑囚“最期の手紙” “次は私の番です…”

麻原彰晃元死刑囚(本名 松本智津夫)
「オウムは反社会・反国家である。どぶ川の中で美しく咲く蓮華(れんげ)のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。」

今日(26日)死刑が執行された、オウム真理教の元幹部たち。この日を迎えるまで、一体何を考えていたのか。私たちは、獄中の死刑囚と手紙のやり取りを続けてきました。そこには、四半世紀に及んだ獄中生活の中で、自ら犯した罪を悔い、死に臨む心境がつづられていました。
地下鉄サリン事件の実行犯の1人、林泰男死刑囚。

林死刑囚の手紙
“被害者の人に対して申し訳なく思っています。おかしな命令や生活に慣れてしまっていた。結果を考えずに行動することに慣れてしまっていた。”

平成7年3月の地下鉄サリン事件。林は、サリンの入った袋を、ほかの実行犯よりも1つ多く持ち込み、8人を殺害。特別手配されました。しかし、逮捕されて以降、終始犯した罪を悔い、裁判では、自らが知る事実を淡々と証言しました。
私たちは、麻原の死刑執行後、林から支援者に宛てた手紙を入手しました。

NHKラジオニュース(今月6月放送)
「麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚ら幹部7人の死刑が執行されました。」

林死刑囚の手紙
“今日のお昼、NHKラジオニュースで、みんなの執行のことを知りました。ちょうど食事中のことでした。井上君とか豊田君とか…、若い人のことを考えると心が痛みますが…、次は私の番です。同僚だったみんなは今頃どうしてるのだろう?今の私と同じように、お別れの手紙をしたためているのだろうか?それとも明日の死をシミュレーションしながら、落ち着いて逝けるように準備しているのだろうか?”

別の日には。

林死刑囚の手紙
“カラスの声で起こされた時には暗かったのですが、すぐに外が明るくなり始め、いつもの鳥たちが朝食にやってきたようです。今日の執行はないのだろうか?”

そして、最後に記したのは、自ら犯した罪への終わることのない問いでした。

林死刑囚の手紙
“なぜ事件は起こされたのだろうか?どうすれば起こさずに済んだのだろうか?といった類いの問いに対しては、どのような答えにも私自身納得することができないので、どうすることもできません。”

オウム死刑囚“最期の手紙” “後悔”の気持ちを記して…

武田:なぜ事件は起きたのか。林泰男死刑囚が、およそ20年たっても、その答えに到達できなかったことに、オウム真理教を巡る問題の闇の深さを感じざるを得ません。

田中:私たちは、刑を執行された死刑囚たちと、これまで手紙のやり取りを重ねてきました。そこに一様につづられていたのは、自らが洗脳され、教祖・麻原に指示されるがままに犯罪に手を染めたことへの後悔です。

武田:13人の死刑囚は、自らの命で罪をあがないました。平成という時代に暗い影を落としたオウムとは何だったのか。死刑囚が獄中で書き残した手紙から、さらにその奥底を探ります。

オウム死刑囚“最期の手紙” “判断力なくした人形でした”

坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の1人、岡﨑一明。

今日、名古屋拘置所で死刑が執行されました。
NHKが、これまで獄中の岡﨑と交わしてきた手紙。そこには、岡﨑がなぜ麻原の指示に従っていったのか、つづられていました。
岡﨑は、高校を卒業してから7年間、健康食品や学習教材など複数の会社を渡り歩きながら、主に営業の仕事をしていました。時代はバブル前夜。経済最優先の空気の中、企業は売り上げ至上主義に傾いていました。岡﨑は営業成績ばかりを気にする毎日に嫌気がさしていたといいます。そんな時、出会ったのが「オウム神仙の会」というヨガサークルを運営していた麻原でした。

“私は仕事でうそをついて物を売ったこともある汚れた人間です。”

そう打ち明けた岡﨑に、麻原はこう答えたといいます。

“そう思った時点から、あなたの罪は消えている。”

岡﨑死刑囚の手紙
“麻原と直接会って、その大きな包容力にビックリした。修行者然としたエネルギーと、謙虚な有様(ありさま)に圧倒された。”

麻原と出会って、まもなく岡﨑は教団に入信します。当時、組織拡大のため、積極的に信者獲得に乗り出していた麻原。営業マンだった岡﨑に、教団をPRする本の販売を担わせます。この時、麻原は、複数の階級を設け、信者どうしを競わせる仕組みを作り上げていました。岡﨑は、同じ時期に出家した新実智光と本の売り上げを競わされていました。

岡﨑死刑囚の手紙
“「これは真理の本です。すごい本でしょう」というくらいの気持ちで回っていたのです。麻原から褒められると一番うれしかった。”

これは、私たちが入手した700本に上る教団の極秘テープ。

生きづらさを感じる若者の心を、巧みにつかむ麻原の声が記録されていました。

麻原彰晃元死刑囚(本名 松本智津夫)
「ここにいるあなた方はほとんどそうなんじゃないか。ほとんど今の世の中で違和感を生じている。あるいは周りの人からおかしいと思われている人じゃないかと思う。それでは数が多いから正しいか。そんなばかな話はない。だから私はあなたたちの苦しみがよくわかる。」

次第に麻原を絶対視するようになっていった岡﨑。教団で、麻原に次ぐ階級にまで上り詰めました。
一方、このころ、強引に信者の勧誘を進める教団に批判の声が上がり始めます。麻原はやがて、教団に都合の悪い人間の命を絶つことが、その人の「救済」になると説き、社会との対決姿勢を強めるようになりました。

麻原彰晃元死刑囚(本名 松本智津夫)
「このAさんを殺したという事実を他の人たちが見たならば、人間界の人が見たならば、これは単なる殺人と。いいかな。客観的に見れば、これは殺生です。しかし『ヴァジラヤーナ』の考えが背景にあるならば、これは立派な『ポア』です。」

岡﨑死刑囚の手紙
“麻原のビジョンや計画が発動されたら、もはやそれ以外のことは眼に入らない。麻原の書いたビジョンに邁進(まいしん)することが、最高の功徳であり、弟子の使命なのです。”

平成元年11月。岡﨑は麻原からある指示を受けました。

坂本弁護士の妻
「龍彦ひとりですべれるか。」

坂本堤弁護士
「大丈夫だよ。」

信者を家族のもとへ帰す活動をしていた、坂本堤弁護士の殺害計画でした。岡﨑は、ほかの弟子たちと共に犯行に及びました。夫妻の首を絞めて殺害。1歳になったばかりの龍彦ちゃんの鼻と口を塞ぎ、窒息死させました。

岡﨑死刑囚の手紙
“傍から見ると「現実感」が無いと思われるのでしょう。でも、当時の私たちは真剣でした。人間味のない無機質な空間で、私たちはまさに判断力をなくした人形でした。”

岡﨑は死刑の確定後、獄中で自分の行為を振り返り、こんな言葉を残していました。

岡﨑死刑囚の手紙
“もし時が戻るのであればと、幾度も慟哭(どうこく)し、我が身を呪ったものでした。被害者の方々や御遺族の貴い時間は、1秒間たりとも癒されることはありません。刑の執行を待つのが当然であると受け止める次第であります。”

オウム死刑囚“最期の手紙” “彼を神と誤解し…”

今日、死刑が執行された中には、一流大学を卒業し、エリートと呼ばれていた元幹部もいます。地下鉄サリン事件の実行犯の1人、広瀬健一死刑囚です。

早稲田大学理工学部で物理学を専攻。大学院に進学したものの、卒業を前に出家しました。
広瀬が獄中でつづった手紙です。

入信した動機は、自分が学んでいる科学が、本当に世の中の役に立つのか悩んでいたことだと打ち明けました。

広瀬死刑囚の手紙
“きっかけは家電商品の価値がすぐになくなり、大幅な値引きをされて売られるのを見たことでした。私が進もうとしていた科学技術の分野の産物だったので、その価値がすぐになくなるなら虚(むな)しいと思いました。そして同様なことが人生のあらゆることにあてはまると思われました。”

当時は、消費をおう歌する風潮が広がっていたバブル全盛期。社会に違和感を持つ若者たちを、麻原は巧みに引き入れていました。

麻原彰晃元死刑囚(本名 松本智津夫)
「オウムは反社会、反国家である。どぶ川の中で美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でならなければならない。」

なぜ広瀬は、麻原を信じ込んでいったのか。初めは、オウムで真理を追究したいという思いだけだったと言います。

広瀬死刑囚の手紙
“当初、私は教義を確認しながら進んでいる感覚でいました。入信直後は、違法行為を指示されても受容しなかったと思います。”

麻原は、非科学的な神秘体験で若者たちを信じ込ませていました。広瀬もまた、1日16時間の修行を続ける中で、麻原には特別な力があると思い込んでいきました。そして、麻原の命令を疑うことなく従うようになったのです。

広瀬死刑囚の手紙
“「神」である彼の言葉は、絶対的な意味を持っていたのです。”

平成7年3月。広瀬は、地下鉄サリン事件の実行犯の1人として、サリンを撒(ま)きます。死者13人、負傷者およそ6,300人。前例のない、無差別テロ事件でした。

広瀬死刑囚の手紙
“地下鉄にサリンを撒く指示も「救済」としてしか受け取れませんでした。「殺人」という常識的なイメージが浮かばなかったのです。”

逮捕直後も麻原を信じていた広瀬。目が覚めたのは、裁判が始まってからでした。

「アイキャン、スピーク、イングリッシュ。私は誘拐されている。」

広瀬死刑囚の手紙
“松本被告人の奇妙な言動が伝わるたびに、彼を神と誤解し、指示されるままに多くの方々を殺傷した自己の愚かさが身にしみました。法廷で被害関係者の皆様の生の声に触れ、手記集や証言の記録も読ませていただきました。私どもが殺傷してしまったのは、社会で誠実に生きてこられた方々ばかりでした。残酷な行為をした愚かさは、悔やんでも悔やみ切れない思いです。”

オウム 中川元死刑囚 明らかになった“最期”

オウムの元幹部13人に対して行われた死刑執行。執行直前、元幹部たちの最期の様子も取材から見えてきました。
今月(7月)6日に死刑が執行された、中川智正元死刑囚。

麻原の主治医を務め、関与した事件で死亡した人は27人に上ります。執行当日の朝、中川は取り乱すことなく、落ち着いた様子で自ら刑場に向かったといいます。今回、明らかになった、中川の遺言です。

中川元死刑囚の遺言
“支援者の方々と弁護士の先生に感謝申し上げます。自分のことについては、誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています。”

刑場では、出された食べ物に手を付けず、お茶をコップで2杯飲んだという中川。執行直前、誰に言うともなく、こう口にしたといいます。

中川元死刑囚
“お世話になりました。被害者の方々に心よりおわび申し上げます。”

オウム死刑囚“最期の手紙” 彼らは何を残したのか

ゲスト 江川紹子さん(ジャーナリスト)

武田:死刑囚たちが獄中で書いた手紙や手記。江川さんは今、どんなことを感じながらご覧になりますか?

江川さん:いくつか手紙を見せていただきましたけれども、その中で、広瀬死刑囚ですね、彼の字が本当にきれいなのにお気付きの方もいらっしゃると思いますけれども、彼は、被害者の方におわびの手紙を出すのに汚い字では申し訳ないということで、獄中でペン習字を習ったということです。このきれいな字の中から、彼の真面目な性格や真摯な態度というのが見えるなと思いました。

武田:今日、オウム事件の死刑囚全員の死刑が執行されたということになりますけれども、このことは今、どういうふうに受け止めていらっしゃいますか?

江川さん:刑が確定しているわけですから、いつかは執行されるというのはしかたのないことだと思います。ただ、この死刑囚、特に弟子たち12人は、程度の差はあれ、裁判などでいろんな事実を語ってきた人たちでした。カルトによる未曽有のこのテロ事件という、そういうものの生き証人でもあったんですね。この事件、刑事事件としてはかなりいろんな事実が解明されています。でも、どうしてこの真面目な人たちが、こんな団体に心を奪われていったのか。あるいは、人殺しの指示まで唯々諾々と従ってしまったのかなど、やっぱり刑事裁判とは異なるアプローチで解明すべき問題というのは、あったような気がするんですよね。それができなくなったというのは残念です。

武田:そういう意味でも、こういった手紙や手記を読むということは、やはり意味がありますね。

江川さん:彼らが書き残したこと、言い残したこと、これは刑事裁判の記録にも細かく出ています。こういったものをきちっと保管すること、裁判記録などは、できるだけ早く公文書館に移管して、多くのいろんな、こういう問題に関心のある人が資料にできるということが大事だと思います。

田中:林泰男死刑囚は、事件から20年以上がたっても、なぜ事件が起きたのかという問いに納得する答えが出せないとしていましたが、このことはどう受け止められますか?

江川さん:だからこそ、やっぱりいろんな専門家によるアプローチというのが必要だと思うんですね。例えばカルト問題に詳しい心理学者が、こういった死刑囚たちの聞き取り調査をやるために面接をさせてほしいという申し込みをしましたけれども、法務省はこれを無視というか、許さなかったんですね。やっぱりそういう人たちの専門的なアプローチがあれば、いろんな問題が明らかになり、教訓もまた知ることができたというふうに思って、それは残念です。

武田:岡崎死刑囚や広瀬死刑囚の手紙からは、生きづらさですとか、生きることの意味に迷った姿もうかがえるんですけれども、それは時代がそうさせたのか、彼らがやはり特殊だったんでしょうか?

江川さん:彼らが特殊ということではないと思うんですね。それから時代背景ももちろんあります。確かに、バブル期には金満社会に反発した人たちが精神世界に傾倒するというような傾向はありました。ただ、やっぱり人生の意味を考えるとか、自分の生きがいを模索するとか、あるいは自分の居場所を探すとか、そういったような問題というのは、この時代だけであるわけではないですし、彼らだけの悩みでもないと思います。そういった非常に難しい問題ですよね、それに対して、オウム、あの麻原という男は、すぱっと回答を与えたんですね、これが絶対正しいと。だけど、それは非常に非現実的であり、独善的な、そういうものだったんですけれども、回答を示されたということに非常に引き付けられた人はいたと思います。

武田:そうすると、これは今もこういった事件は起こる可能性がある?

江川さん:オウムの最大の教訓というのは、人間の心は案外もろいものだということだと思うんですね。やっぱりそういうような、いろんな悩みがあった時に、人はどうするのかということだというふうに思います。今の時代も、やっぱりそういった悩みを持っている人がいて、宗教でなくても、いろんな善悪二元論的なカルト性の高いところに引き寄せられる人はいると思います。

田中:最後に再び、死刑囚たちの言葉です。

坂本弁護士一家の殺害にかかわった端本悟死刑囚
“信じたからとしか言えない気がします。無思考、考えないようにしていた。考えると崩れるのが、わかっていた気がします。”

林泰男死刑囚
“「死」ということについて、観念的な捉え方しかできないような状態になっていたことに慣れてしまった。”

武田:こうした言葉からどんな教訓を読み取るか、今、問われています。