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【福島 川俣町】 “ふるさと”ってなんだろう

田んぼスケートリンクが伝える大切な場所
  • 2024年03月04日

――「ふるさと」ってどんな感覚だろう。
そんな疑問を持ちながら川俣町山木屋地区の田んぼにひたすら水をまいているのは、震災後三重県から福島県に移住した佐々木大記さん(26)。

寒空のもと、作っているのは田んぼに氷を張って作る『田んぼスケートリンク』。
“小さな町でも子どもたちが誇れる場所に”と約40年前に始められ、世代を超えた交流の場として地域に愛されてきました。 

しかし2011年の原発事故による避難指示で一度は休止に。
5年後の避難指示解除を機に再開しましたが、作り手の高齢化もあり存続の危機にありました。

そこで去年制作を引き継いだのが、まちづくりの研究で山木屋を訪れていた佐々木さんでした。
前任者からリンクの継承を打診され、当初は深く考えずに引き受けました。

住民と一緒に作業する佐々木さん

しかし、山木屋の人たちに協力してもらいながら一緒に「田んぼリンク」を作り上げるうち、感じたのは「一体感」。

地元というものに執着のなかった佐々木さんには新鮮に感じました。                                 

【佐々木大記さん】
山木屋の人たちに協力をいただく中で、みんなの「田んぼリンク」にかける思いが伝わりました。それを無視できないなって思うようになりました。

佐々木さんと帰還住民との交流

佐々木さんは県外の大学院に通い、山木屋地区との二拠点生活を送っています。
山木屋での下宿先は、6年間の避難を経験しながらも帰還した吉村さん夫婦のお宅。

吉村さん夫婦がふるさとへ戻る決断の支えになったのは、長い間「田んぼリンク」で培われてきた人のつながりでした。

【妻・弘子さん】
昔、滑ってた子ども達がお父さんお母さんになって子ども連れてきている。

【吉村雅夫さん】
「田んぼリンク」が復活することはうれしいよ。    

佐々木さんは、吉村さん夫婦が抱いてきた「田んぼリンク」への思いを受け止めました。

【佐々木大記さん】
避難を経験して、山木屋の人にとって一層「田んぼリンク」は特別な場所になったと思います。
この人たちの大事なものを一緒に守っていきたいなと思うようになりました。

大切な場所を守る リンクづくりは夜中まで

リンクづくりは例年約1ヶ月かかります。田んぼに散水し徐々に氷を厚くしていきます。
しかし、ことしは暖冬の影響で思うように氷が張りません。佐々木さんに焦りが募ります。

佐々木さんは、より気温の下がる真夜中にも散水を続けました。

【佐々木大記さん】
いつの間にか生活の一部のように自分と溶け合ってきました。山木屋も「田んぼリンク」も自分とは切っても切り離せない存在になっていきました。

迎えたオープン みんなの“大切な場所”

そして1月28日。
2度の延期を経てなんとか完成させました。
オープン初日から大勢の人が訪れ氷上には笑顔があふれます

なかには山木屋を離れて暮らす親子連れの姿も。リンクがことしもオープンしたと聞いて、娘さんがお父さんに「田んぼリンク」に行きたいとお願いしたそうです。

【山木屋を離れて暮らす男性】
自分のふるさとに子どもが遊べる場所があるのは、親として誇りです。

【佐々木大記さん】
人と知り合ったり、助けられたり、困難にぶつかるなかで、どうしてここが好きなのか一言で表せなくなった。だからこそここが『帰りたくなる場所』になっていくのだと思いました。

約40年間「田んぼリンク」が紡いできたつながり。
佐々木さんにとっても、かけがえのない場所になりました。

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