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中央競馬の競馬場 どうして福島市に?

そこには地域の歴史と深い関係が!?
  • 2023年06月08日

暮らしに身近な疑問を徹底取材する「しらべてmeet!」です。6年前、福島県での勤務が決まり、初めて福島市を散策しているとき、市街地に大きな競馬場があることにびっくりしたことを覚えています。競馬場があるのは、もう当たり前の光景となりましたが、改めて「どうして福島市に競馬場ができることになったのだろう?」という疑問を持ちました。徹底取材で見えてきたのは、地域の歴史と誘致のため尽力した人々の姿でした。

(福島局・出原誠太郎)

そもそも福島競馬場って?

なぜ福島市に競馬場が?その答えに行く前にまず福島競馬場のおさらいから。日本中央競馬会のレースが開催される福島競馬場は1周1600メートルのコースを備え、収容人数は3万8500人。春・夏・秋と年に3つの期間でレースが開催されます。全国各地から競馬ファンや観光客が集まり、その数はなんと年間70万人以上。福島市の人口がおよそ27万人ですから、その2倍以上。私は競馬場の近くに住んでいるのですが、レースの開催期間中は周辺の道路が混んでいて、外出のときに困ることもあります。福島市内の宿泊施設の予約がなかなか取れないという話を聞いたこともあります。地域にとって大きな経済効果がある施設なんです。そんな中央競馬が行われる競馬場は全国で10か所だけ。それも東北では福島市が唯一です。どうして福島市にそのような施設が来ることになったのでしょうか?

理由①福島県は昔から馬が大好き!

徹底取材で見えてきた理由は3つ!その1つ目は「福島県民は昔から馬が大好き!」。 実は福島県は古くから馬の生産がさかんだったのです。それを示すひとつのシンボルが三春町の民芸品の「三春駒」。

「三春駒」はもともと江戸時代に三春藩で生産されていた質の高い馬の名前だったのです。三春藩はもともと特産物がなく、貧しかったため、馬の生産を奨励。改良を重ねた「三春駒」は幕府に献上されるほどの名馬だったんです。そのころから現在に至るまで福島県は全国有数の馬の産地です。

三春大神宮に奉納された「三春駒」の模型

相馬地方伝統のお祭り「相馬野馬追」もあるように、昔から「馬好き」な県民性がいまの競馬場にもつながったのかもしれません。

理由②実は競馬が古くから盛ん!

調べてみると現在の競馬場のルーツになるものが明治時代に行われていたことが分かりました!関係者に話を聞こうと訪れたのは、福島市中心部にある信夫山のふもとの福島県護国神社。

当時の歴史を伝えるものがあると宮司に案内された場所にあったのは、「信夫山招魂社」と書かれた看板のようなもの。競馬場とはどのような関係があるのでしょうか?

冨田好弘
宮司

「信夫山招魂社」というのは福島県護国神社の前身の名前なんです。信夫山招魂社の時代、春と秋のお祭りの際に『奉納競馬というものを行っていて、それが福島競馬の発祥と聞いておりました。

冨田宮司によると奉納競馬が最初に行われたのは、いまから100年以上も前の1887年。当時はいまの競馬の形とは違うところがあったそうです。

冨田好弘
宮司

競馬といっても、お金をかけてっていうのは禁じられていて、そのときの勝った人たちにコメ1俵とか野菜ひとやまとか果物ひとやまをもらったって話を聞いてはいました。

こちらは競馬場があったことを示す当時の地図。いまの県立橘高校の近くに競馬場があり、1周800メートルのコースが作られて、レースが行われていたそう。多いときには数千人が集まったそうですが、10年でここの競馬場は閉じられることになりました。

理由③復活に向けて熱心に取り組んだ人たちのおかげ!

ルーツとなった競馬は、一度途絶えてしまいました。でも、もう一度、競馬場で福島市ににぎわいを取り戻したい。その運動の中心になったのが福島市の財界の有力者、大島要三さんです。

大島要三(1859~1932)

大島さんが活動していた1900年代初めごろ、日本は日露戦争など、外国と戦争をしていた時期で、戦地で使う質のよい軍馬を大量に生産する必要があり、政府も競馬を奨励していたため、各地で競馬が行われていました。当時、全国に15の公認の競馬を開催する競馬倶楽部があり、大島さんは地域を活気づけようとそのうち1つの静岡県の藤枝競馬倶楽部の競馬場を買収することを考えました。つながりのあった政府の有力者にかけあうなど交渉の手腕を発揮して、誘致に成功し、1918年にいまの場所に公認競馬場ができたんです。

第1回福島競馬の様子(1918)

実は、福島競馬場にその歴史を伝えるものが残されています。JRAの担当者に案内してもらったのは、競馬場の大型モニターの脇にある「FKC」の植栽。FKCとは?

JRA
高橋周平さん

「FKC」は福島競馬倶楽部の略称です。大島要三さんが作った組織で、この福島競馬倶楽部が福島競馬場を作りました。大島さんたちの思いを継ぐため、100年以上大切に守り続けています。

その後、福島競馬場を作った「福島競馬倶楽部」と全国の同じような10の競馬倶楽部などが集まって、1936年「日本競馬会」が発足。それが1954年「JRA日本中央競馬会」になりました。このような経緯で福島市にJRAのレースが行われる競馬場ができたんです。

JRA
高橋周平さん

競馬ファンの間でさえも、福島競馬場の歴史について知っている人はほとんどいないと思います。歴史をたどっていくと、たくさんの地域の人たちの尽力があったからこそ、いまの福島競馬場があることが分かります!

結論 馬好きの福島県民ががんばったから!

福島競馬場の歴史を見てきましたが、いかがだったでしょうか。取材のテーマ「どうして中央競馬の競馬場が福島市にあるのか?」ひと言でまとめると『馬好きの福島県民ががんばったから!』ということになるのではないでしょうか。私は競馬場で実際のレースを見たことがなかったのですが、歴史を知ると競馬にも興味が出てきました!夏のレースは会場で先人たちに思いをはせながら、レースの熱気を感じたいと思います。

  • 出原誠太郎

    NHK福島放送局 記者

    出原誠太郎

    広島県福山市出身。2018年入局。福島が初任地。いまはまだ小さい息子とお馬さんごっこがブーム。

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