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【今の香港で起きていること④】「大好きな香港」を捨てて旅立つ彼女を見送りながら、涙が止まらなかった私

香港では「どこに移住するのがいいか」という話題で持ちきりだ。初めて会った人に「日本に移住するのはどうすればよいか」と尋ねられることも珍しくない。

「普通の人」が話すのを怖がる

香港から海外への移住で必要となることの多い「無犯罪証明」という公的な証明書を取り寄せた人の数は、この1年間で3万4000人。抗議活動が起きる前の、2018年ごろの1.5倍だ。

香港中文大学が2020年10月に18歳以上の市民737人を対象に行った調査では、「機会があれば海外に移住したい」と答えた人は4割を超えた。

2020年6月に国家安全維持法が施行されて以降、「引き続き海外から声を上げ続けるため」「警察の摘発のリスクを避けるため」などという理由で、民主活動家や政治家、作家やコメンテーターまでが次々と香港を離れていった。連日「誰々がイギリスに渡った」といった記事が紙面を賑わせるようになった。

さらにイギリスや台湾などが香港市民の受け入れ策を次々に打ち出したことで、「普通の市民」の移住が加速しつつあった。私は新聞で伝えられるような活動家たちではないごく普通の人たちが、いったいどんな気持ちで香港を離れようとしているのか伝えたいと思った。

しかし周りを見渡せば移住を計画中だという人はいっぱいいるのに、取材を受けてくれる「主人公」はなかなか見つからなかった。多くの人の反応はこうだ。

「今の香港で何か言うのは危険。わかるでしょ?」

マスコミを通じて何かを発言することがリスクになると考える人は増えていた。ましてや私たちは外国メディア。国家安全維持法の罪に問われる「外国勢力と結託し、国家の安全に危害を加えた」とされるかもしれないと、極端に恐れる人たちは多い。

警察に追われるはずもない普通の市民までがこんなに警戒している、それが香港の現実だった。

支局のスタッフたちと「主人公」を探すため、とにかくいろいろな人に声をかけた。移住をあっせんする仲介業者にも、誰か適当な人がいたら紹介してほしいとお願いしたこともあった。知人の知人、そのまた知人と声をかけ続けて半年、ようやくたどりついたのが「彼女」だった。

香港を愛する「普通の人」の決断

ウィンクルさん(31)は、4歳の男の子と2歳の女の子の母親だ。7年近く勤めていた高級ホテルの仕事を辞めて、夫や子どもたち、それに両親と弟の総勢7人でイギリス中部のマンチェスター近郊に移り住むという。

6月初め、香港の中心部から車で1時間ほどのところにあった彼女のマンションを訪ねた。

香港を離れる準備を進めていた

香港に住む人なら誰もがうらやむ「夢のマイホーム」だが、私が訪ねた時は2LDKの室内にはほとんど何も残っておらず、スーツケースなどが積み上げられていた。家を売却して得たお金が当面暮らしていく資金だという。

ウィンクルさん
「香港の異常な不動産価格のおかげね」

ウィンクルさんは寝室のベッドでぴょんぴょんはねる子どもたちをたしなめながら、苦笑いした。一緒に香港を離れる両親も自宅を売るという。

去年、現地に下見に行き、すでに新たに住む家も購入済みだった。

家財道具の処分や仕事先へのあいさつ、移住先で必要になる証明書類の申請などの準備が着々と進むにつれて、彼女には新しい生活への期待どころか、去りがたい気持ちが増しているように見えた。

長年の友人たちに別れのあいさつをするために、夫の実家近くを訪ねたときのこと。おばあさんからのせん別を手にした幼い子どもたちを見つめながらウィンクルさんは、自分の一番好きな場所で暮らし続けることができればどんなにかいいだろう、と話していた。

ウィンクルさん
「私にとって香港ほど魅力的な場所はありません。どんなに遠くに行っても、海外で長く暮らすことになっても私は香港人で、子どもたちにもそう教えるつもりです」

そんなに香港が好きで、ホテルの正社員という安定した職も家も手放して、離れる決断をしたのはなぜ?

そう尋ねた私に「子どものため」と答えた。

ウィンクルさん
「香港はもう、私が知っている香港ではなくなってしまったんです。子どもたちが大きくなった時、統治者と異なる考えや発言を理由に収監されるかもしれない。香港で起きた社会運動が無かったことにされ、知る機会すらないかもしれない。そんな社会は許せないのです」

旅立ちの日、空港のチェックインカウンターには彼女と同じように大きな荷物を3つ4つと抱えた人たちが長蛇の列を作っていた。あちこちで家族連れを取り囲む見送りの人たちの輪が出来ていた。

ウィンクルさんの友人や親戚たち20人以上が、出発の3時間以上前から空港に集まっていた。何度も抱き合ったり、一緒に写真を撮ったりで時間が過ぎていく。友人たちからは「必ず会いにいくよ」「私もあとを追うよ」といったことばがかけられていた。

ずっとさみしそうな顔をしていたウィンクルさんだったが、最後にみんなで写真を撮った時、いよいよ耐えきれなくなり、大粒の涙があふれ出した。そして絞り出すように言った。

「みんなのことを見捨ててしまうようで、申し訳ない」

大きく手を振りながら、出発ゲートの先に消えていったウィンクルさんと、集まった大勢の人たちの姿を見ているうちに、私も涙がとまらなかった。

【今の香港の「音」:香港国際空港】(2021年10月録音)

若槻支局長の香港取材ノート、次回は「多くの市民に「ありがとう」といわれるメディアがあった」来週月曜日に掲載予定です。ご意見ご感想もお待ちしています。

若槻真知 香港支局長

島根県出身。97年NHK入局。大阪放送局、横浜放送局、

韓国ソウル支局、富山放送局を経て2018年から香港支局長。

地方局時代は主に検察事件や裁判を担当、

海外でも人権や社会問題の取材を続けている。

趣味は山登りと美術・映画鑑賞。香港4大トレイルを踏破。

夜中に果物市場に行くのにハマってます

【香港取材ノート】

【今の香港で起きていること①】規制と統制が進む香港でも市民たちはスマホを掲げて行進した
【今の香港で起きていること②】蒸し暑い拘置所で彼女は「敗北」をどう受け止めたのか
【今の香港で起きていること③】裁判という舞台で共に闘う“共演者”たち
【今の香港で起きていること④】「大好きな香港」を捨てて旅立つ彼女を見送りながら、涙が止まらなかった私
【今の香港で起きていること⑤】多くの市民から「ありがとう」と言われた新聞があった
【今の香港で起きていること⑥】”愛国者”しか議員になれない あの民主化の熱狂からたった2年で
【今の香港で起きていること⑦】「何をしても親中派が勝つ選挙」それは”儀式”なのか
【今の香港で起きていること⑧】“We Are Hong Kong” 香港から日本へ問いかけること
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