ことばウラ・オモテ

「見立て」

郵便割り引き制度の不正利用に関する検察の捜査で、村木厚子さんは、無実の罪を負わされそうになりました。

検察による捜査の検証が行われていますが、新聞報道の中で、「検察の見立て」という表現があります。初めのうちはカッコ付きで使われていましたが、そのうち、カッコがない表現も見るようになりました。

「見立て」とは、こういう刑事事件ではほとんど目にしたことがない語句だったので印象に残りました。

取材の時には耳にしたことがありますが、いわゆる「専門用語」と考えていました。
「概要」とか「構図」とか「捜査内容」などと言いかえられることが多かったように思われます。

今回、「見立て」が紙面に出た背景には,いくつかの理由がありそうです。
原稿が読者に届くまでに、取材段階での語句の修正、校閲での精査など、いくつかの関門があります。これまでは、おそらくこのどこかで、「見立て」が別のことばに置きかえられていたのでしょう。

「構図、概要、捜査内容」などは、どちらかというと中立的な,あるいは客観的な意味をまとったことばです。これに対して「見立て」はかなり主観的なことばだという印象があります。

今回は、「捜査する側の思い込み」という意味を込めたかったのかもしれません。

では、「見立て」はこういう使い方でよいのでしょうか。
『日本国語大辞典』は説明が細かく分かれているのでこういうときに便利です。
「見立て」は9つの意味に分けられています。
1見送ること。2見て選び定めること。3遊里で客が遊女を選ぶこと。4診察、診断。5思いつき、趣向、考え。6似た、別のもので、そのものを例えること。7俳諧で、あるものを別のものになぞらえる作り方。8歌舞伎で、類似のほかのものを連想させて表現すること。9「みたてづくし」の略。

江戸期の芸能、芸事などで多く使われたやや古いことばだということがわかりますが、「見立て違い」などはまだ使われていることばでしょう。
現代では、1や3の意味で使われることはありません。

横溝正史の『獄門島』では「見立て違い」が事件のキーワードになっていましたが、いわゆる「診断間違い」の意味と、7の俳諧用語が混同されて謎が深まるという趣向でした。

2の「見て選び定める」という意味はたまに耳にしますが、使っているのは年配の人がほとんどです。「いいネクタイですね、奥様のお見立てですか?」などの例です。

4の診察、診断は、多くの場合「見立て違い」が使われます。「やぶ医者で、とんだ見立て違いをされて、大変だった。」などの使い方です。

7、8、9は限られた分野のことばですから、一般の人が日常的に使うというものでもありません。
6は「築山を吉田山に見立てて庭を作りました。」とか「月に見立てた卵の黄身をあしらった料理」などに使われ、茶道でも「○○に見立てた道具」などとよく使われています。

こうしてみると、「見立て」は現代社会では「使わなくなった古いことば」ではないものの、「古めかしい」「専門的な分野で使われることが多い」ことばと言えます。

検察関係者は専門用語として、「証拠や供述書に基づいた、論理的に推測できる本当の事件の発端から結末まで」という意味を与えているように思えます。

このような特定の分野で使われることばやその意味は、国語辞典には載りにくいものです。 今回の「事件の見立て」は、国語辞典の5の意味に近いのでしょうが、「思いつき、趣向」よりはしっかりしたものという意味を持っているようです。
例え国語辞典には載っていなくとも、例えごく少数の人々しか使わなくても、「ほかのことばに置きかえられない意味を持ったことばは、しぶとく生き残っていきます。
検察の「見立て」もひょいと表の社会に顔を出した例の一つでしょう。

こういうことばを使う場合には、思い悩むことが多々あります。
病名や物質名など物事を単純に示す一般名詞で、説明を加えれば誰でもが納得できることばは、例え誤解があったとしても、より詳しく説明したり、実物を見せたりすることで、一般の人の理解は一定の幅に収めることができます。

「見立て」は「捜査の常識」、「過去の歴史、実例」など広い知識や経験がないとほんとうにはわかりにくい部類のことばです。

カッコを付けて「普通の意味とは違いますよ」と使ったとしても、本当に理解されたかどうかはわかりません。

こういう場合は、その専門的なことばを使わず、一般の人がどのようにことばを使っているかを考え、普通のことばで表す努力が必要でしょう。あるいは、培ってきたその分野の知識や実例を用いて、全体をゆっくりと説明する「論評」が必要になるかもしれません。

最近の出来事を伝える場合、マスコミだけでなく普通の人々も、その出来事に関係する分野の専門語を安易に借り受けて使う傾向があるように思われます。

「専門分野の一般への拡散」「一般生活への専門分野の関与の増大」などと分析することもできるでしょうが、日常生活を営んでいる内に、突然、ある専門分野に詳しくならざるを得ない状況が、以前に比べ増えてきたことにまちがいなさそうです。

国語辞典に載っていることばで、意味が違うことばは、これからも要注意といったところでしょうか。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)