ことばウラ・オモテ

ことばの裏にある常識

世の中には専門の世界がありますが、業界用語と呼ばれるものもその世界につきものです。

政治の世界で使われる「一寸先は闇」ということばもその「業界用語」の一つのようです。

こういう慣用句を間違って覚えている人もたまに見られます。
よくことばをご存じのかたでも、一つぐらいは覚え間違いに気づくと言うこともあるでしょう。

「一寸先は闇」を「一瞬先は闇」と話している例を聞きました。
音が「す」と「しゅ」でよく似ていることと、「ほんのわずかな先」の距離と「あっという間の」時間という似た意味で覚えてしまったのかなと思いました。

この例のように、単なる覚え間違いなのか、元を知った上でのしゃれなのか判断しにくいこともあって、「間違っているのかしゃれでいっているのか」反応に戸惑うことがあります。

慣用句やことわざは、大げさに言えばそのことばが生まれた背景や文化を知らなければ適切に使うことが難しいものです。

強欲で無慈悲な様を表す「阿漕なことをする」ということばがあります。「阿漕」というのは今の三重県津市の海岸の地名でこれがどうして「強欲無慈悲」になるかというと、長い説明が必要です。

昔、阿漕の海岸一帯は伊勢神宮に献上する魚介をとるために一般には禁漁の海でした。ここでひそかに網を入れている漁夫がいました。名前を平次といったそうです。たびたびの密漁に捕らえられたということで、隠し事も度重なればいずれはあらわれると言うときに「阿漕が浦に引く網も」と古今集に歌われ、太平記にも「さのみ度重ならばこそ、安濃(あこぎ)が浦に引く網の、人目に余る憚り(はばかり)も候はめ」と、記されています。
謡曲や、浄瑠璃にもたびたびあらわれ、人形浄瑠璃、能、近くは三遊亭圓歌師匠の名演「西行」にも登場します。
落語の「西行」では鳥羽上皇に仕えていた佐藤義清(のりきよ)がお染の方とのあいびきで振られたときに「人目を忍んで会うのも度重なれば・・・」という場面で「阿漕が浦に・・・」と演じられています。北面の武士、佐藤義清こそ後の西行法師というわけです。

「度重なれば」という元の意味から「強欲に」と変化してきたことばです。
このように、慣用句では江戸時代までは、浄瑠璃、謡曲、歴史物語などが教養人の一般的な常識だったのです。
今や、この分野の知識は「国語(古典)の時間」の不人気とともに薄れていると思わざるを得ません。

ことばは、文化という大地に根を張った樹木のようなものです。
土が変わったり、水が与えられなければ、健やかなことばの成長は望めません。
謡曲、浄瑠璃、口承文芸などの土壌は現代では何に取って代わられているのでしょうか。 マスコミが使う日本語は情報が主体になってきましたが、「情報」がことばを育てる文化にどのように貢献できるかはまだ十分に考えられているとは言えないでしょう。

一方で、コントや漫才が話術として磨きをかけられています。日常的な会話にも「乗り突っ込み」とか「ボケ」とか素人の話にも応用されています。
しかし、オヤジギャクと言われた「地口」「だじゃれ」が若い女性に排斥されて久しくなります。こういうしゃれも、ことばを育てる一つの要素ではないでしょうか。

終わりに、最近耳にした「言い間違い」をいくつかご紹介します。
「一日(×いちにち)の長」「一矢(×ひとや)を報いる」「矢面(×やづら)に立つ」「(鬼の)雪隠(×ゆきごもり)」
「人の振り見て我が振り直せ」ということばがありますので悪口はここまで。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)