ことばウラ・オモテ

問題はとけるか

中国の温家宝首相の来日でマスコミの各社が振り回されました。

「氷を『とかす』旅」という表現を巡ってのことです。
マスコミ各社は「とかす」を「解かす」「溶かす」「とかす」「融かす」と書いていました。

それぞれに理由があったようですが、NHKを含めテレビ局は放送の時期により違う表記を用いた会社がありました。

「新聞用語集」あるいは各社の「用字用語辞典」があるので、このようにばらばらになるとは考えてもみませんでした。

たとえば、NHKの「新用字用語辞典第3版」を見ると、「解かす・雪を~」「溶かす・絵の具を~。鉄を~。」「解ける・問題が~。緊張が~。雪が~。」「溶ける[▲融]・水に~。地元に溶け込む。」と用例を載せていますが「氷」はありません。
(▲印は使わないという意味)

国語辞典でもさまざまな解釈をしています。

「とける」という自動詞と「とかす」という他動詞では違うという考えもあります。積極的に「とかす」のは「解」、自然に「とける」のは「溶」と言う人もいます。
また、「解」には雪や氷がすべて無くなる意味があり、「溶」は一部でもとければいいのだという解釈もありそうです。

温家宝首相は中国語では「融氷の旅」という表現を使っていたようですが、それが「融」を使う根拠にはなりにくい気もします。

「解氷」は多くの辞書に載っていましたが「融氷」は『大辞林(第2・3版)』にだけ載っています。氷については「とける」場合、「解」「融」両方ありそうです。

これはあくまでも日本語としての漢字の問題だからですが、もともと「とける」ということばは和語(もともとの日本語)で、「解氷」「溶解」などの漢語とは違う性質があるために起きる問題だと思われます。

つまり、「とける」という大きな意味のうち「解」や「溶」や「融・熔(いずれも常用漢字表にないために「溶」に置き換える考えが強い)」がそれぞれ独特の意味を受け持ったり、複数の漢字が受け持ったりするためにこのようなややこしい問題が起きるのだと考えられます。

似たような混乱を起こしそうなことばでは(表外字や表外音訓を含みますが)「飲む・呑む・服む・嚥む・喫む」「超す・越す」「引く・牽く・曳く・挽く」「歌う・唄う・謡う・唱う・詠う」「駈ける・駆ける・翔る」「帰る・返る・還る」「極める・窮める・究める」「答える・応える・報える」「尋ねる・訊ねる」「作る・造る・創る」「飛ぶ・跳ぶ・翔ぶ」「捕る・採る・獲る・穫る」「泣く・涕く・哭く、鳴く・啼く」「羽・羽根・翅」「摺る・擦る・擂る・摩る・磨る」「丸い・円い」「回り・周り・廻り」「見る・観る・看る・視る・診る・覧る」など枚挙にいとまがありません。

漢字の表記の違いはことばの雰囲気を表すと言ってもいいのでしょうが、区別をきちんとつけるのは難しく、奥が深いと言わざるを得ません。多様性と利便性のせめぎ合いがこんなところにもあるようです。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)