ことばウラ・オモテ

サクラサク

花の季節を前に、次のような問い合わせがありました。
「桜の開花をあらわすのに『○分咲き』という表現があるが、『○割』と言うのが適切ではないか」受けたとたんに絶句しました。「桜が3割咲きです」というのは聞いたことがなかったのと、自分でも言わないこと、まさか開花状況を「割」で考えることはないだろうという考えが頭の中を駆け回りました。

よく聞くと、「花の咲き方は満開が10でその割合を示すのだから『割』が正しいのではないか」という理由だそうです。

たしかに、全体の中の割合を示すには『割』が使われます。「桜の開花は昔から『○分』で表しているのが慣用です」と答えてもよかったのですが、少し考えてみました。

「開いた花が全体のどのくらいの割合か」というなら「割」でもよさそうです。

しかし、花はつぼみから一気に開くのではなく、徐々に開いていきますから、オンオフのような2つの状態だけではなく、途中のさまざまな状態が混じっていそうです。

最近の交通信号のように光ダイオードの集合で作られている場合は「○割のダイオードが光っている」と言うことはできますが、「○分が光っている」は言えないようです。

袖の長さを表す「七分袖、五分袖」などは「七割袖、五割袖」とは言えません。

確かさを表す「うまくいくかどうかは五分五分だ」なども「五割五割だ」とは言えません。

「分」も「割」も同じように全体に占める割合を表すことがありますが、どこが違うのでしょうか。

割合を示すのは「割、分、厘、毛、糸」と10分の1ずつになります。「分」は1パーセントに当たるわけです。

「割」の割合以外の意味では「割り当て、損得勘定(「割りが悪い、割を食う」)、仲裁」などの意味があり、「分」には「歩合、江戸時代の貨幣単位(1両の4分の1)、1寸の10分の1、足袋の大きさの単位、体温の単位(1度の10分の1)、形勢(「分が悪い」)などがあり、「割合」では「割」が優勢です。「分」は度量衡の単位に使われていることが多いとも言えそうです。

辞書を見ると、「全体の割合を示す」点では同じに使えそうですが、違いは明確には書いてありません。割合を示すという使い方では「分」のほうが「割」よりも古い時代から使われていたことがわかります。

桜の開花に「割」を使わない理由をよく考えてみることにしました。はじめに立てた考えは「進行状況」は「分」ではないかということでした。しかしこれでは「九分通り完成した」は説明できても、「七分袖」は説明できません。

今のところ考えついたもっともらしい説明としては、「誰もが認める『完成形』に至るまでの割合を示すには「分」が使われ、誰もが『これで全部』だとするものに占める割合は『割』を使う」というものです。

「桜が満開」は誰もが認める到達点です。建物の完成もそうです。長袖の状態が上限、うまくいった状態も誰もが認める到達点。このようになりそうです。

建物の完成や事業(企て)の完了は「これが物理的な全体」という観点からは現在の状態を「割」で示すことも可能になります。

社長「君、先日のお得意先との契約はうまくいっているか?」

社員「はい、九分九厘大丈夫です」

別の社員「そうか。9割1厘はだめってことだな」

こんな会話にならないように気をつけたいと思います。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)