ことばウラ・オモテ

見方を変える

放送用語委員会で、番組やニュースに使われることばを点検することがあります。あるとき「着眼点を変えると、今まで捨てられていたものでも新しい価値を持つようになります」という表現がありました。

「着眼点」を変えるという表現に引っかかりました。あまり聞いたことがない言い回しだったからです。

「視点を変えると…」「見方を変えると…」などが、なじんだ言い方です。

「着眼点」は「目のつけ所」なのでなじまない表現と感じました。「着眼点、視点、ものの見方」と同じようなことばに、「観点、立場、見地、ねらい目」などがあります。

「目のつけ所」とことばは似ていますが「つけめ」という語があります。こちらは「つけこむ所」という意味が含まれるのでやや品が無くなります。「目当て、ターゲット」ということもできます。

一方、見る目のことを「視野、立場、目線、視界、眼界、見地」などとも言います。このうち「目線(めせん)」は「視線」と同じ意味で使われ、多用されています。

比較的新しく登場したことばで、もともとは映画関係者の「業界用語(専門用語)」でした。業界用語と言うだけではなく、「めせん」という読みは湯桶読みなのでしっくりこないと感じる人もいるようです。

「視線を感じる」ではなく「目線を感じる」と言われると特に抵抗を感じる人が多くなります。

「視座」ということばを好んで使う人がいますが、もともとは社会科学の専門用語で1970年代以降よく目にするようになったことばです。

「物事を認識するときの立場」ですから正確に使えば問題はなさそうですが、受け手が本当にわかっているかどうかは保証の限りではありません。

ちょっとおかしいと感じる言い方には「視線を送る」(そそぐがふさわしい)、「視点を裏返す」(目の玉がひっくり返るような感じを受けます)、「視線の先には」(視線はどこか途中で止まるものなのか)、「視界をさまよわせる」(視線がさまようのだろう)、「視界を奪われる」などがあります。

「視線を集める」「注目を浴びる」と混用されているのが「注目を集める」です。多くの人はおかしいと思わないようですが、一部に強い反対があります。

ことばをたとえとして使う場合は、その表現を不快だと感じる人がいないだろうか振り返って考えることも必要です。

大所高所から、広い視野で見ることをおすすめします。

(メディア研究部・放送用語 柴田 実)