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「レストランは扉だ」フードエッセイスト平野紗季子が地域で感じた、食の奥深さ

2022年9月2日(金)

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平野紗季子さんは、小学生のころから食日記を書き続け、「食」に並々ならぬ愛を注いできた。今では、雑誌や文芸誌で多数の連載を持つほか、ラジオ・Podcastのパーソナリティを務め、彼女の番組は「JAPAN PODCAST AWARDS 2020」で大賞を受賞した。フードエッセイストとして「食」と「言葉」を生業とする彼女が、地域へ旅に出た。そこで彼女が感じたこととは?


おいしくて楽しいだけじゃない「食」の世界。

一皿の先にある喜怒哀楽を知れば、人生がより豊かになる。

エッセイの執筆や菓子ブランドのプロデュースなど、さまざまなコンテンツを通して「食」の魅力を伝える平野紗季子さん。彼女は小学生時代の食体験をきっかけに、フードエッセイストとして歩みはじめ今に至る。自らを「365日食べ物のことしか考えていない、食のしもべ」と言うほど「食」の世界にはまった原体験は、家族と行ったレストランでの時間だったそう。

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「給食や家のごはんとは違う宝石みたいなお料理や、自分はお姫様にでもなったのかと勘違いするようなサービス。日常とは違った夢のような体験に心がぐんと動くのを感じて。その幸福感を形に残したいと思い、食日記をつけるようになったのがはじまりでした」。やがて大好きな「食べること」は生業になったが、食に心動かされる感覚は子供のころと変わらない。「レストランの特別な料理も、大失敗した自炊も。どんな食体験にも何かしら心に響くものがありますよね。そのどれもが忘れられない味になっていきます」。それは“おいしい” “幸せ”というプラスの感情だけではない。食べたときに湧き上がる喜怒哀楽が、たまらないのだという。

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そこでちょうど、ロールケーキが運ばれてきた。ふにっとかわいらしい姿に、目を輝かせる。心が動いた瞬間が垣間見えた気がした。さっそくほおばりながら、「”食”ってハッピーな側面がフォーカスされがちですが、それは一面的なもの」と続ける。「掘り下げていくと、食は様々な社会課題と繋がっていることもわかっていきます。悲しい食も、切ない食も存在する。食べることは世界を知るきっかけになるんです。だから、楽しいおいしいのその先まで一歩踏み込んで味わっていきたい、と常々思います」。

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「おいしかった」で終わらずに奥深くへと進めば、新たな世界が見えてくる。そんな考えから、平野さんはレストランという場所を「扉」と捉えている。「レストランは目的地のようでいて、むしろそこから何か始まっていく。ひとつのお皿から、食材や生産者、あるいはその土地の文化や歴史、そしてシェフの哲学や人生まで、新たな気づきや出会いを与えてくれる扉なんです。入り口は”おいしさ”であるかもしれないけれど、その先に込められたメッセージは実に多様です。私は扉の先に広がる物語を丁寧に紐解いて、言葉を通して残していきたい。そしてまた他の誰かと分かち合っていけたら、と思います」。


レストランは、その土地の歴史や人とつながる「扉」

地方を巡って見えてきた、そこにいるからこそ生まれる価値観とは。

そんな平野さんが携わるコンテンツの一つに、NHKの『連食テレビエッセー きみと食べたい』がある。ゲストと一緒にとっておきの食体験を求めて、地方のレストランや生産者を訪ねる同番組は、“味覚エッセー”として楽しむ新感覚の旅ドキュメンタリー。映像には、語り(ナレーション)として平野さんのエッセーがゆるやかに乗る。コンセプトを「レストランは扉だ。その土地の、人に、文化に、歴史に出会うための入り口だ」としたこの番組で、平野さんが伝えたいこととは?

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「一見、女性二人でわいわいおいしそうにものを食べる番組で、実際にその通りではあるのですが(笑)、その“おいしい”のベースにあるシェフの哲学や、生産者さんの自然への関わり方など、その土地に生きる方々ならではの眼差しやそこから受け取ったものを、より多くの方々と分かち合えたら、と常々思っています。ですから、彼らのメッセージをできるだけ丁寧に伝えたい。すっと胸に沁み込むような伝え方ができたらいい。だからこそ音楽や映像にもこだわっていますし、イラストレーションによって想像力をかきたてるような工夫をしています。エッセイについても、レストランで感じたことや旅を通して受けた刺激を一度持ち帰り、その膨大な感動をゆっくりと濾過して少しずつ言語化していくような感覚で書いています」。

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撮影は、コロナ禍にスタート。そのなかで、平野さん自身も新たな気付きがあったとか。「コロナ禍で海外に行けなくなったぶん、ここ数年は日本で育まれている食の魅力を改めて知る機会になりました。この番組では、それを実感するできごとがたくさんあって。例えば第3回目で出会った、北海道・余市町のワイナリー『ドメーヌタカヒコ』の曽我貴彦さん。彼は世界中から注目されるような素晴らしいワインを作られている方なのですが、自分だけが一人勝ちするようなことは一切考えていらっしゃらないんです。「1が100になるよりも、1が100あった方が世界は豊かだ」という考え方なんですね。だからどんどんご自身の技術やノウハウを、仲間や下の世代へと惜しみなく分かち合っていく。私なんか自分の人生の行く先にばかり執着してしまいますが(笑)、曽我さんは持っている時間軸が違う。100年200年と、その土地の未来を見ながら生きているんです。

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「第二回目で出会った、岩手県・遠野市『とおの屋 要(よう)』の店主・佐々木要太郎さんもとても印象的でした。佐々木さんはレストランで出す『どぶろく』を作りながら原料のお米も作り、1次~3次産業までご自身手がける驚異の”ひとり6次産業マン”なんですが、佐々木さんの田んぼは本当に素晴らしくて」

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佐々木さんが行なっているのは、土地を再生させることに重点を置いた稲作。「佐々木さんには、おいしいお米を作ることよりも先に、”いい土を作りたい”という目的があるんです。ゆえに無農薬無肥料で米を育てることを選択されていますが、それは簡単なことではない。それでも自然と向き合い続け、時には諦め、ついに収穫されるお米は、土や自然環境を思って生まれたはずが、不思議なほどにおいしい。私たちは塩おにぎりを頂いたんですが、人に媚びない清潔な甘さがあるというか……解釈さえ拒むようなまっさらな味がして、まるで夕陽を見ているうちに気づいたら沈んでしまっていたみたいに、ただただ心を奪われました」。

そして「富山県・利賀村(とがむら)編」(2022年9月3日放送)でも、忘れられない出会いが。山奥にある小さな村のオーベルジュ「L'évo(レヴォ) 」に出かけた同回。

「谷口シェフは長くフレンチの世界に身を置かれて、もともとは『自分の腕さえあればどんな食材もおいしくなる!』というクラフトマンシップを持ってきた方。しかし、そんな料理への態度が、富山の自然に馴染み、様々な食材と出会い、また利賀村で生きる人々との関わりを通して、少しずつ変わっていったそうなんです。『料理は技術だけでおいしくなるのではない。今は、自分がその土地を知れば知るほど料理はおいしくなる』という風に。それはとてつもない変化ですよね。料理の重心が自分の内側から外へ放たれ、自然を含めた全体の中に自分を置き直していく……。富山という土地にじっくり向き合ってきたからこそ生まれる谷口シェフの言葉に、強く心が動きました。同時に、これ以上地球に負荷をかけられない時代を迎えている今、彼が人生を通して掴んできた自然との関わり方には、学ぶべきことが多くあるように思えました」。

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くわえて、利賀村の住人の話も印象的だったという。「村に住む方が『山奥という土地柄をネガティヴに捉えていたこともあったけれど、このお店ができたことで、地元にはすばらしい食材をはじめとする多くの魅力があることに気付かされた。今はこの村が好きだと思える』と話されていて。料理は、その土地の誇りを取り戻すこともできるのだ、とはっとしましたね。レストランには本当に大きな力があるのだと思います」。

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こうした体験を通して、レストランは「扉」だと再確認していく。「地方のレストランは、食材の流通はもちろん、あらゆるものがスムーズに手に入りづらい環境だからこそ、作り手たちが『ここで自分は何ができるだろう』と深く考え、結果的に利便性が高い場所では巡り会えない唯一無二の食体験が生まれているのだと思います。そして、それを求めて人が集まる。まさにレストランは『扉』なんだと、撮影を通してひしひしと感じています」。

「おいしかった」で終わらずに奥深くへと進み、新たな世界が見えてくる「連食テレビエッセーきみと食べたい」。その根っこにあるメッセージが味わい深さとなり、一度見ると おかわりしたくなるのである。

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コンテンツは、人生の一コマにもなりうる。

最近刺激を受けた、とあるテレビ番組の話。

そして、テレビエッセーというコンテンツは平野さんにとっても初めての試みだった。きっかけはNHKの番組プロデューサーからの声かけだったそう。「NHKは小さいころから馴染みがあるメディアなので、声をかけていただいたときはうれしかったですね。NHKの番組は年末の『紅白歌合戦』をはじめ、風物詩のように人生に寄り添う番組もたくさんあって。おそらく人生で初めて見た番組は『おかあさんといっしょ』ですし。それから時が経ち、近年は『ねほりんぱほりん』(不定期放送)にはまっています(笑)」。

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『ねほりんぱほりん』は、聞き手の山里亮太とYOUがモグラの人形に扮し、顔出しNGなゲストから普段はぜったいに聞けない話を“ねほりはほり”聞き出す新感覚のトークショーである。

「さまざまな職業の実態を探ったり、ときにはセンシティブなテーマも扱っていて。おもしろく、かつ深く考えさせられることもある、その緩急も楽しいでんすよ。なかでもグルメガイド本の調査員の方が登場した回は衝撃的でした。こうした刺激や食からもらった幸せを、誰かの心にそっと火を灯すようなコンテンツとして還元していけたら。『連食テレビエッセー きみと食べたい』もまだスタートしたばかりですが、誰かの人生のひとコマになっていたらうれしいですね」。

そして今、テレビエッセーをきっかけに新たなやりたいこともあるという。「日本の素敵なレストランを世界に発信する、ローカルガストロノミーの本を作りたくて。そのためにも食の世界をより深く探求していきたいですし、そこにゴールはないから、その瞬間瞬間に出会うモノゴトに全力で心を動かして、しっかり噛みしめていきたいですね」。

身近で深い、食の世界。笑ったり悲しんだりしながら食をこよなく愛するからこそ、彼女が作るコンテンツにはほかにない豊かさがあるのかもしれない。

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平野紗季子(ひらの・さきこ) 1991年福岡県生まれ。小学生から食日記をつけ続け、大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題に。雑誌・文芸誌等で多数連載を持つほか、ラジオ・Podcas番組のパーソナリティ、菓子ブランドの代表など、現在の活動は多岐にわたる。

写真:川原崎宣喜 文:金城和子