「少」年たちのゼロ年 廃墟で見つけた希望

太平洋戦争は、12万もの子どもたちから家と家族を奪った。戦災孤児となった子どもたちは、屋根がある場所を求めてさまよい,上野駅の地下道にたどり着いた。凍てつく冬には、連日のように死者が出る極限状況。廃墟の中で取り残された子どもたちが見つけた生きる希望とは?

再生

全てを奪った大空襲

行くとこ行くとこ、爆弾攻撃。家族の消息も分からなくなった

昭和20年3月の東京大空襲以来、全国を襲った米軍の無差別爆撃。命からがら生き延びたものの家族を失った少年たちは、焼け跡に投げ出される。たった一人、生きるための戦いが始まった。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん爆発で目覚めると家には誰もいなかった
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん火の海になった原宿を逃げ惑う
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん背負われた赤ん坊を直撃した焼夷弾

孤児たちの8月15日

遊廓の女郎さんは泣いて喜び、軍隊は逃げ出した

少年たちが目の当たりにした、ゼロになった日本。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん兵隊はトラックで逃げ出した
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん焼け跡のラジオが告げた終戦
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さんヤンキーを見たら女 こどもは逃げろ

進駐軍との遭遇

こんな美味いもの食ってる国に、かなうわけがない

生きる糧を得るために、アメリカ兵に近づいた少年たち。豊かな食糧、最新鋭の武器や戦車に、目を奪われた。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さんあの日のコーラの味は一生忘れられない
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん大型トラックに自動小銃 ケタ違いの装備
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん収容所の米軍捕虜がMPに

上野地下道の暮らし

隣で仲間が餓死していても、何も感じなかった

1000人を超える人々がひしめいていた上野駅の地下道では、餓えや寒さで連日のように死者が出た。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん餓死寸前 枕元に置かれていた握り飯
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん起きてこない人たちはみんな餓死していた
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん駅員に水をかけられ地下道を追われる

闇市で生きる知恵

残飯シチューの味は、一生忘れられない

焼跡を駆け回り、煙草の吸い殻を拾い集めて売ったり、靴みがきをしたりして日銭を稼いだ少年たち。命をつなぐためにあみ出した、驚くべき知恵と工夫とは。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん靴みがきの道具を手に入れた意外な場所
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん忍び込んだ最終列車、通称「沼津旅館」
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん残飯シチュー 「おいしいから みんな並びよる」

「狩りこみ」からの脱走

鉄格子がイヤで、みんな逃げるんですよ

政府や自治体は、浮浪児を保護するためとして、施設に強制収容する通称”狩りこみ”を行った。しかし、鉄格子に囲まれた収容施設を嫌って、子どもたちは繰り返し脱走した。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん食事がもらえても奪われたくなかったもの
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん鉄条網に囲まれて強制的に労働

優しかった「パンパン」

お姉さんだけが「坊や、今日は何か食べたか?」と聞いてくれた

進駐軍相手の夜の女たちは、「パンパン」と呼ばれ世間の冷たい視線にさらされていた。その女性たちと戦災孤児が助け合って生きた知られざる秘話。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん身体を売って食べ物を買ってくれた
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん客引きを頼まれ米兵に声をかけた

「ママ」との出会い

お風呂、ご飯、布団。何もかもが温かかった

終戦直後、上野駅にあふれた孤児を私財をなげうって救ったひとりの主婦がいた。女性の名は石綿さたよ。上野駅で子どもたちが野良犬のように扱われている様子に衝撃を受けたことが、孤児院「愛児の家」を始めるきっかけだった。

  • 証言再生

    石綿裕さん
    母・さたよが昭和20年9月から始めた孤児の保護を手伝う。自宅を開放し、最大106人の戦災孤児と共同生活を送った。

    石綿裕さん女手一つで始めた孤児院 「男は腰抜けちゃった」
  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん初めて知ったせっけんのにおい
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さんママとの出会いは人生の出発点
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん失敗を笑い飛ばしてくれたママ

進駐軍のアルバイト

人生を再出発する起源をくれたのは、アメリカだった

孤児院「愛児の家」を始めた石綿さたよは、年ごろの子どもたちのために働き口を探した。その中の1つが、GHQ民間検閲局(CCD)のメッセンジャーボーイの仕事だった。

  • 証言再生

    冨本勝義さん
    昭和10年(1935)、東京生まれ。東京大空襲で浅草の家を焼け出される。家族の消息を探しながら、上野駅の地下道で暮らし始めた。

    冨本勝義さん日系2世がくれた新しい夢
  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん一人前に扱ってくれた米軍将校
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さん一等車で味わった戦勝国の特権

少年たちの戦後70年 地下道から始まった長い道のりを経て、今。

  • 証言再生

    大加戸正喜さん
    昭和8年(1933)、東京生まれ。幼くして母親を病気で失い、親戚や知人の家を転々とする。東京山手空襲で焼けだされ、上野駅の地下道などで暮らし始めた。

    大加戸正喜さん年金記録に残る原点
  • 証言再生

    筒井利男さん
    昭和8年(1933)、大阪生まれ。大阪大空襲で家族の消息が分からなくなり、同じ境遇の仲間と列車に乗って上野駅の地下道にたどり着いた。

    筒井利男さんよい夫、よい父、ママに喜ばれる人に
  • 証言再生

    冨本裕司さん
    冨本勝義さんの長男。仕事人間だった父親と長く疎遠だった。
    18歳の時、浮浪児だった過去を初めて聞かされた。

    冨本裕司さん居場所を探し続けた父 やっと休める