東京の商業学校に通っていた昭和20年、東京大空襲で家族を失う。上野駅地下道での浮浪生活を経て、有楽町を根城にする街娼たちの元締めとなった。昭和22年、19歳のとき、NHKアナウンサーのインタビューによるラジオ番組「街頭録音」で、街娼たちの社会復帰を受け入れようとしない世間を痛烈に批判し、大きな反響を呼んだ。お時自身も、夜の世界から足を洗おうと工場の事務員に就職するが、その後消息が途絶える。
「パンパン」とは
終戦直後の昭和20年8月26日、政府の閣議決定を経て「特殊慰安施設協会」(RAA)が発足。進駐軍兵士による婦女暴行を未然に防ごうと、慰安婦の仕事に就く女性を全国で募った。性病が蔓延し、翌年GHQの指示によってRAAが閉鎖された後も、女性たちは路上に立って客をとり続けた。進駐軍兵士を客とする街娼は、いつしか「パンパン」と呼ばれるようになった。