発掘ニュース

No.304

2022.01.21

音楽

松崎しげるさん熱唱!昭和歌謡イベント開催

2022年、今年は番組発掘プロジェクト10年目に入ります!引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

今回の発掘ニュースは、先日埼玉・川口で行われた『ザ★昭和歌謡セレクション あのヒット曲は時代とともにあった!』のご報告です。

2019年にロザンナさんばんばひろふみさんをゲストにお招きし第1回を開催して以来、ようやく2回目を開催することができました。前回の様子はこちら

新型コロナウィルス感染防止対策を十分とったうえでご参加いただきました。
皆さま、ご協力ありがとうございました。

今回もMCはこのお二人!進行役のフリーアナウンサー・今村明子さんと昭和歌謡にめちゃくちゃ詳しいタブレット純さんです。

歌手であり芸人でもあるタブレット純さん。昭和歌謡の人気ラジオ番組でDJも担当されています。また昭和歌謡の本も出版、週刊誌で昭和歌謡に関するコーナーも連載中です。

昭和の有名人のモノマネをはじめ、ギターとハーモニカを同時に演奏しながら『戦争を知らない子供たち』『あの素晴らしい愛をもう一度』を歌ったり、ピンクのドレス姿で渡辺真知子さん『迷い道』を披露したりと大活躍!

◆1971年と1977年のお宝『昭和歌謡』映像!

『昭和歌謡』イベントのお楽しみの一つは、NHKアーカイブスに残る“お宝映像”の上映。
今回はゲストの松崎しげるさんのヒット曲「君は何をおしえてくれた」「愛のメモリー」がリリースされた1971年1977年にスポットを当ててご覧いただきました。

その中でも、発掘された映像にこだわっていくつかご紹介!

●1971年ヒット

タブレット純さん「渚ゆう子さんは、(私がメンバーの一人でもあった)マヒナスターズと関わりが深いんです。和田弘さんに誘われて上京、もともとは沖縄民謡などをやっていた方なんです。…芸名を付けたのが松平直樹さんというマヒナスターズのメンバーです。…私(タブレット純)の本名はハシモトヤスユキ。ヤッチャンって呼んでください(笑)」

タブレット純さんの『昭和歌謡』に関する情報がトークの随所に登場します!

もともと森繁久彌さんが作詞・作曲、自ら歌っていた『知床旅情』。森繁さんと、加藤登紀子さんお二人の歌唱をそれぞれお聴きいただきました。
タブレット純さん「森繁さんが、映画の撮影で訪れていた羅臼の人たちのために作った、『さらば羅臼よ』というのが元の歌なんです。…加藤登紀子さんのコンサート、このまえ行ってきました。すばらしかったです。歌というのはこういうものなんだと。」

はしだのりひことクライマックスが歌った『花嫁』。1971年の紅白歌合戦にも出場。今回は、はしださんがソロになってから「歌はともだち」で歌った映像をご覧いただきました。

●1977年ヒット

会場でご覧いただいた17の映像のうち、10の映像が視聴者の皆さんや番組関係者から提供いただいた“発掘映像”でした。本当にありがとうございます!

さてイベントの後半はいよいよ…

◆松崎しげるさん登場!『愛のメモリー』秘話&熱唱!

「一番最初、僕のデビューは1968年のグループサウンズ『ミルク』っていうバンドです。…僕らお金が無かったので夜中にスタジオを借りて、今と違って夜中は3分の1くらいの値段で借りられたんです。朝方まで練習してスタジオの前が牛乳屋さんで、3倍入った“3合瓶”というのがあって栄養補給にいつも皆で牛乳を飲んでいましたね。それでバンド名を決めるときに、俺たち牛乳好きだから『ミルク』っていいんじゃないかと。」

タブレット純さん「夏場はアイスミルクにして、冬場はホットミルクにしていたとか?」
「そう、それを考えたのが僕のマネージャー」
タブレット純さん「木村修司さん」
「そう木村修司、今の“宇崎竜童”っていう人が2年間僕のバンドのマネージャーをやってくれて。そのころから若い人たちの統一を取るのがすごくうまい人でした。自分で一生懸命曲を書いて我々に歌え歌えって…こんな変な曲歌えないよっていつも断っていたのに、あんなに有名になっちゃって!」

松崎しげるさんの秘話とともに、タブレット純さんの知識にも驚きです!

タブレット純さん「ミルク時代の写真がこちら…美少年ですね!」
「ものすごく化粧してたんですよ~!純ちゃんのように、バンドは化粧バッグを持つのが当たり前で。ヒゲが濃い人はいつもファンデーションを塗っていて、私も完全に化粧してました。」

「このころは18、9歳で、野球部を辞めて音楽の道に入って…背中で女の子のワーワーキャーキャー言うのを聞いていたのが、前からワーワーキャーキャー言われて。硬派な自分が軟派男になってしまったという(笑)」

『昭和歌謡』のスペシャリストであるタブレット純さんならではのコレクション、今回もいくつか登場しましたが極め付きがこちらのレコード!

松崎さんの代表曲『愛のメモリー』。実はもともと『愛の微笑』というタイトルで、この曲がB面に入ったプロモーション・レコードがあったというお宝情報!松崎さんもビックリです。

「なるほどプロモーションのレコードなんだ!すごいの持ってるね~…そうだカップリングなんだ、
『愛のメモリー』じゃなくて。『愛の微笑』だったんだ。」

松崎さんご自身も徐々に思い出してきたようでした。

タブレット純さん「高校球児として甲子園には行けなかったけれど、この曲が入場曲に…」
「イイこと言うじゃん!もう俺はねホントに野球で甲子園に出たかったの。でも練習はしたけどガキの頃の夢は果たせないし、ケガをしてダメだったし。…出たかったな~という思いが大人になってもずっと。するとあるとき、『第50回選抜高校野球、入場行進曲“愛のメモリー”に決定しました。』うわーー!だもんね。今日はNHKだから何ですが、紅白に出るより何十倍もうれしかったです(笑)。紅白はおやじ、おふくろ、それから親戚のためのような感覚があったんですが、甲子園だけは…バックネット裏でNHKのアナウンサーと一緒にしゃべったときに涙がボロボロ止まらなかった。ガキの頃の思いが、自分の仕事の歌で果たせたっていう、それは感極まることでした。」

松崎さんのミニライブでは、「君は何をおしえてくれた」と2012年に亡くなった友人・尾崎紀世彦さんの代表曲「また逢う日まで」、そして最後に「愛のメモリー」を熱唱してくださいました!

『昭和歌謡』はまだまだヒット曲があり、奥が深い世界です。次回のイベントをどうぞお楽しみに!松崎しげるさん、MCのお2人、どうもありがとうございました。

思い出・コメントはこちら

ページTOP