発掘ニュース

No.268

2020.06.19

趣味/教育

追悼、『ピアノのおけいこ』井内澄子先生ご逝去

先日、番組発掘プロジェクトに悲しい知らせが届きました。
このホームページで何度もご紹介してきた『ピアノのおけいこ』で先生をつとめた、
ピアニストの井内澄子(いのうち すみこ)さんが6月5日、永眠されました。
89歳、まもなく6月に90歳を迎えられるところでした。

写真は今年1月22日放送の『ひるまえほっと』「発掘!お宝番組」のコーナーにご出演いただいたときのものです。亡くなられる4か月少し前のことで、元気に楽しいおしゃべりを聞かせてくださいました。

井内澄子さんは、東京芸術大学卒業後、ドイツの音楽大学に留学、ピアニストとして第一線で活躍していました。その井内さんが、人生で初めてピアノを教えることに挑戦したのが『ピアノのおけいこ』です。

井内さんが録画していた1/2オープンリールのビデオテープを多数ご提供いただきデジタル化した『ピアノのおけいこ』。もう一度、井内さんのレッスンの様子をご覧ください。

井内さんの個性的なキャラクターと斬新かつユニークなレッスン。テレビを通じてたくさんの生徒さんが全国に生まれました。1月に放送した『ひるまえほっと』では、ユニークなレッスンをいくつか紹介しながら、何十年ぶりにテレビ出演した井内さんにお話を聞きました。

「音に表情があることを見つけて欲しいんです。音が高くなれば自分の気持ちも高くなるということを感じて弾いてもらう。例えばオクターブを弾くっていうことが、どんなに気持ちの中で高揚するか感じてくれればだんだん面白くなってきます。音に表情があるってこと、ただ叩くんじゃなくて音を作っていくということです。やっぱり感じて欲しいです。」

89歳になっても全国各地から音楽大学の先生やプロのピアニストの皆さんが指導を仰ぎにご自宅まで訪ねてきていたという井内さん。番組でも、ピアノを教えるうえで一番伝えたいことを語っている姿が何よりカッコよかったです。

『ひるまえほっと』にもご出演いただいたお嬢さんのモニカさんからのお話しです…。
「母は、4月に転んで体調を崩すまでは、一日も欠かすことなくピアノのレッスンや自分のための練習をしていました。週に何回かは自分で車を運転してジムに行きプールでの運動をしたり、タブレットの使い方の練習も欠かさないという非常に元気な日常を過ごしていました。前にも転んでちょっとケガをしたことはあったのですが、今回は残念ながら回復できませんでした…。」

当時『ピアノのおけいこ』を見てピアノのレッスンをしていた子供たちは全国にいました。ホームページへの書き込みをはじめたくさんの反響をいただき、井内先生の偉大さを改めて実感いたしました。世界中に、ピアニスト・井内澄子さんの訃報に悲しみを深くしている皆さんがいらっしゃることと思います。

『ピアノのおけいこ』に生徒として出演していた鈴木(香取)柄美さん、そして“マー坊”こと小川昌久さんからのメッセージを最後にご紹介いたします。

この度の井内先生の突然の訃報に、驚きと寂しさで一杯です。
私とマー坊こと小川さんは、生徒の中で最年少、先生のお嬢様モニカさんとも同じ小学校1年生でした。収録は週に1度、学校が終わってから母と渋谷のNHKに1年間通いました。

当初はリハーサルと本番の区別もついておらず、スタジオは室内遊園地のような感覚でした。先生がユニークな練習法を通して最も伝えたかったのは「正確に弾くことより心で音楽を奏でること」。先日の放送でも、そう語っておられるお元気な姿と、約47年ぶりに観るお稽古の映像は懐かしく、感動で涙が溢れました。

ピアノは続きませんでしたがテキストや最終回で着た服は大切に持っています。
「ピアノのおけいこ」は私の人生の宝物です。
そして当時は全くわかっていませんでしたが、自分が50代になってみると、
それが井内先生はじめ制作に関わった方々や両親からもたらされたものだったと、
今は感謝の気持ちが尽きません。
井内先生、どうか天国でも美しいピアノを弾き続けてください。
本当にありがとうございました。

鈴木(香取)柄美

井内先生の訃報をお聞きして一瞬言葉を失いました。
テレビを通してではありますが先生のお顔を久しぶりに拝見して喜んだ矢先の出来事でしたし、「次は『ピアノのおけいこ』の卒業生を集めて同窓会を」というお話も出ておりましたので、非常に残念です。

番組で先生にお世話になり始めた時、私はまだ小学1年生で、ピアノどころか人として右も左も判らない教え子でした。番組開始当初はカメラが回っている最中もそれを意識できず、毎週先生がご用意された「遊びをふんだんに取り入れたレッスン」を只々楽しんでいたと記憶しております。
周りの方達からは子供らしくて良かったと言っていただいていたようですが、大人になって番組を見返させていただきますと、あまりに勝手気ままに動き回る自分の幼い姿に顔から火が出る思いでした。

そんな私が1年後に気持ちを込めてピアノが弾けるようになったのは、ひとえに、子供達の無邪気な振る舞いを温かく見守られ続けた先生のご指導の賜物であり、この場をお借りして感謝申し上げるばかりです。

余談ですが、先生のレッスン以外に楽しみだったのが、他のお兄さんやお姉さんの生徒さん達に遊んでいただく時間で、収録の合間に過ごす楽屋や食堂での休憩時間には本当にお世話になりました。このような先生やスタッフの方達が作り上げた生徒達同士の関係性の良さも、1年間飽きることなくレッスンを受け続けることができた理由の一つのような気がいたします。

私が生徒としてお世話になったことを始め、姉は先生との出会いがきっかけでピアノ留学生としてドイツに渡航し、今もそのまま同国で音楽人生を継続。父親は先生のご主人様とたまたま仕事で関わりがあった等、家族ぐるみでご縁が深かったと思います。

天国でも大好きなネコちゃん達と一緒に音楽を奏でられますよう、先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

マー坊こと小川昌久より

(※井内澄子さんからの発掘に関する過去の「発掘ニュース」はこちら)
発掘ニュースNo.242
発掘ニュースNo.257

思い出・コメントはこちら

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