発掘ニュース

No.113

2016.07.08

スポーツ

初めて!東京パラリンピックのカラー映像発掘!

リオデジャネイロ五輪まで1カ月を切りましたが、
今回の大発掘はこちら…!

52年前、東京パラリンピックの映像です!
NHKでは白黒フィルムで撮影した記録映画が一昨年発掘され、貴重な資料として様々な番組で紹介されていますが、カラーは初めて!

看板の色も、空の色もこんな色だったんだ!と新鮮な感動です。
パラリンピック東京大会は1964年10月の東京オリンピック直後、11月8日~14日まで、東京の織田フィールド(代々木公園陸上競技場)で行われました。


参加した国と地域は22。鮮やかな旗がひるがえっています!

およそ8分半の映像、提供して下さったのは東京都にお住まいの船津英夫さん、80歳です。
当時8ミリフィルムでの撮影に熱をあげていた船津さんがご自分で撮った映像です!仕事の関係で東京オリンピックには行けず、11月のパラリンピックの撮影に行ったそうです。


昭和35年頃の船津英夫さん

写真のカメラはパラリンピックを撮影した手巻き式の8ミリカメラです。 入場券などを買った覚えもなく、運動会のようなユルイ雰囲気だったことが記憶に残っているそうです。

さて、船津さんが撮影したフィルム映像をさらに見てみると…

こちらは開会式、アメリカ代表の入場行進です。
今は広く知られている「パラリンピック」という名前ですが、その由来は『パラプレジア<下半身麻痺の人たち>のオリンピック』という意味だったとされています。現在はパラレル<平行>から『“もう一つの”オリンピック』という意味合いで使われています。

フィルムには、センターポールに掲げられた旗が「日の丸」の他に2つ映っています。

1つ目は“SMG”と書かれた旗。これは“Stoke Mandeville Games<ストーク・マンデヴィル ゲーム>”の略で、パラリンピックの原点となった「国際ストーク・マンデヴィル競技大会」のシンボルマークです。ストーク・マンデヴィルとは、この大会が始められたイギリスの病院の名前です。

もう一つの旗にはオリンピックのように5つの輪、よく見ると車いすの車輪をデザインしています。当時のパラリンピックのシンボルマークだったのでしょうか?このマークに関しては色々調べましたが分かりませんでした。ご存知の方、教えてくださーい!

日本選手団です!女性2人を含む53人。年齢は20歳から49歳、北海道から九州まで全国各地から選ばれました。ユニホームの色もカラーだからこそ分かります!

スタンドを埋めた観客は4000人。開会式は秋晴れだったようですが、11月に入って気温も下がってきたのでしょうね…皆さん上着やセーターを着ています。

フィルムには「語学奉仕」や「介添」の腕章を付けた人たちも映っています。東京パラリンピックはボランティアの学生、ボーイスカウトやガールスカウト、自衛隊員など様々な人たちの協力で運営されました。

競技の様子もしっかりと映されています。まずは短距離走にあたる「車いす競争」。60メートルと100メートル、2つの部門がありました。

次も車いすでの競争ですが、分かりますか…?

実は「リレー」です。バトンなどは特になく、前の走者がラインを通り過ぎた瞬間に、次の走者が反対側を向いてスタートします。つまり直線上を交代しながら往復、水泳のリレーのようですね。

こちらはフィールド競技、「やり投げ」です。

地上に描いた円に向かってやりを投げて正確さを競う部門と、どれだけ遠くへ飛んだか距離を競う遠方投げがありました。

同じ投てき競技ですが、手元を見ると短い棒を持っています。およそ400グラムの“こん棒”を投げる「こん棒投げ」です。撮影した船津さんは「こんな競技もあるんだ」と驚いたと同時に、前後に身体を揺らしながら40メートル以上投げる迫力に「スゴイ!」と思ったそうです。

そして今と同じく、当時も花形競技だった「車いすバスケットボール」!

スピードや迫力など、いまや見るスポーツとしての地位を確立した車いすバスケットボールですが、この頃はまだ穏やかなプレーでした。(激突などはありません。)東京パラリンピックが契機となって日本全国にも普及していきました。

現在の車いすバスケットボールとの一番の違いは、車いす自体。今のような機能性を追求したスポーティーなものではなく、日常生活で使われている車いすをそのまま競技でも使っていたようです。

スタンドには看護師が待機している様子も…。

パラリンピックが“リハビリテーション”を一番の目的にした大会であった時代…
あれから50年余りがたち、“競技スポーツ”としてどの種目も魅力的なスポーツに進化をつづけています。車いすバスケットボールはその代表と言えるかもしれません。

撮影者の船津さんは…
「フィルムをまわしていた当時は、今の車いすバスケットボールのように人気のスポーツになるとは思いませんでした。自分が撮影した映像が時代の“記録”として役に立てば嬉しいです。」

船津さん、貴重な映像を本当にありがとうございました!今年9月のリオデジャネイロ、そして2020年の東京パラリンピックに向けて、NHKの放送の中で数多く登場する映像になるかもしれません。皆さん、注目です!

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