発掘ニュース

No.112

2016.07.01

音楽

黒柳徹子さん「ステージ101は忘れない!」

今回は『トットてれび』で話題になった黒柳徹子さんへの発掘インタビューです!
“伝説の音楽番組”『ステージ101』の新たな情報を得るため、一時期司会を担当していた徹子さんに、じっくりお話をうかがおうという企画です!

『ステージ101』は発掘ニュースNo.110でもご紹介したとおり、残されている映像が極めて少ないのが現状です。ベータやVHSが発売される前で、家庭用録画機がまだほとんど出回っていない時期だけに発掘も困難を極めています。

一方で、今も根強いファンが多い番組であることも事実です。先日の発掘ニュースへの反響の多さにもプロジェクト一同驚いています!

さて、インタビューに当たって私たちが用意したのは、写真や台本などの思い出グッズの数々!

徹子さんにできるだけたくさんのことを思い出していただければとの思いです。というのも『ステージ101』は今から40年以上前の放送、しかも徹子さんが司会を担当したのは1970~71年の1年間だけ…。

徹子さんにとって『ステージ101』はどんな番組だったのか?はたして番組の録画テープをお持ちなのか??プロジェクトメンバーは興味津々です!

いよいよ当日、インタビューの部屋に入って来たとたん、徹子さんは…

「うわー、懐かしい!これすごい!
こんな懐かしい写真!すごいですね。よくとってありましたね。」

45年前の黒柳徹子さんです!

席に着き上着を脱ぐ間も無く、写真を見始めた徹子さん。特に目に留まったのがこちら…

出演者やスタッフの記念写真。徹子さんがどこにいるか分かりますか??
真ん中に立っているメガネをかけたパーマのおばさんがそうです!

「この頃、『ステージ101』と連続テレビ小説『繭子ひとり』と両方やってたんですよね。みんなの中に『繭子ひとり』の格好でまざって…。」

「これすごく重要な写真で。私が『繭子ひとり』やった時にあんまり風体が変わるので…圧倒的にすごい東北弁だし。黒柳徹子って名前が書いてあるけど、どこに出てんだ?って、NHKに問い合わせが来たんですよ。どうしてかっていうと、これを(ステージ101)をやってたから。同じ人とはみんな思えないんですよ。私、『ステージ101』に出てて、髪の毛あんなことしてブーツなんかはいてたからしょうがないですけど。このおばさん誰だかわかんないって、皆さんからNHKに問い合わせがあったみたいです。」

『ステージ101』の司会と同時に、朝の連続テレビ小説『繭子ひとり』で下宿のおばさん・おケイさんを演じていた徹子さんは、1971年の秋、どちらもすっぱりと辞めて、以前から固く心に決めていたアメリカ留学に行きます。

その1年後、『ステージ101』のメンバーやスタッフが書いた文集の中に、徹子さんの文章がありました!

「私がニューヨークに行くっていう時にね、みんなが泣いちゃうって。“きょう黒柳さん、まつ毛付けないで来ました”ってみんなが言ってくれて。当時、まつ毛付けて目を描いていると、泣くと目の周りが真っ黒になっちゃうんですよ。だから、なるたけ泣かないようにするってことだったんですけど、みんな泣いちゃってね。 別れが辛いって言って。あんなにみんなが心から泣いてくれたのは初めてじゃないかと思います。“黒柳さん早く帰ってきてね、忘れないでね”とか、色んな事をみんなが言ってくれて…。私あんなにね、一緒に出演した人たちから別れが辛いって言われたこと無いぐらいだったのよ。」

わずか1年間でしたが、『ステージ101』の仲間は徹子さんにとって特別な存在になったのですね。その後のアメリカ留学の話は『トットてれび』でも楽しく描かれていました!ご覧になりましたか?

さて徹子さんに懐かしんでいただいた資料、続いては台本です。

この台本は、『ステージ101』を立ち上げたディレクター、末盛憲彦さんが使った台本です。末盛さんは『夢であいましょう』『ばらえていテレビファソラシド』など数々の名番組を生み出した“伝説のディレクター”です。

「最初は“スタジオ101”っていう大きなスタジオが出来たので、何か大きな番組をやったらどうかということだったんですね。
アメリカに歌や踊りをやるヤング・アメリカンズってあったんです、100人くらいの。それで末盛さんが日本中をかけずり回って、同じようなグループを作ろうと。ホントにどうやって探したのって私が聞いたら、バーでも小さいところでも歌ってる上手い子、全部連れて来たって。末盛さん自分で探して来たみたい。あの子たち、聞いてみるとみんなバラバラなところから来てると思いますよ。“スタジオ101”でやるってことで『ステージ101』って。それでみんな稽古をして、どういう風に作っていくかって、だんだんああいう形になっていったの。」

ここで今回の取材のとっておき企画!最近発掘されたばかりのビデオ映像を見ていただきました!

「45年前ですものね。ちょっとでも残ってるだけですごい。 あっ、彼、清須くん!懐かしい…」

わずか10分ほどの白黒映像ですが、徹子さんが映っている『ステージ101』はこれが初めてです。しばし歓声を上げる徹子さん!

「あれセンター私?ほんとだ。みんな私より大きいかと思ったらそうでもないんだ。
ミニスカートに白いブーツ、みんなのあこがれだったんですよね。
あんなに足出してたのね。

やっぱりあるのとないのでは、ビデオがね。話しだけじゃ分からないものね!」

ここでさらにサプライズ・タイム!
“ヤング101”のメンバーの一人とのご対面です!来ていただいたのは、今回貴重な文集を提供してくださったいづみ朱子さん。久しぶりの再会です!

いづみさん「嬉しい!会いたかったです~。」
徹子さん「いまも歌ってるの?」
いづみさん「たまにですけど~」

上の映像で、一人だけ濃い色の衣装を着ているのがいづみさん。徹子さんと2人で司会を担当していた時期もあります。

いづみさん「姉貴分みたいに徹子さんのことを思ってるから、みんなは甘えましたよね。
必死になってやってる時に、徹子さんが大丈夫よ!って声をかけてくれたり。道筋を作って下さるから感激で泣きそうになって…。みんなものすごく頼りにしてたから。アメリカにいらっしゃるっていう時はすごいショックで。」

徹子さん「みんなワーワーワーワー泣いてくれてね。ほんとにあの時は嬉しかったですよね。そういう中に友情みたいなものが芽生えるとは思っていなかったので。他の番組ではそんなことが無いですから。」

いづみさん「ステージ101が徹子さんの中でどれくらいの存在感なのか、みんな気になってるんです。」
徹子さん「まつ毛のお別れのこととか、帰ってきてからはみんな少し違ってたけどもう一回『ステージ101』に出演できたこととか。そういうこと全部忘れないですよね。
それからなんといっても、“俯瞰で”みんなと歌ってたのが自分で見えてる。当時生放送で自分では見てないでしょ、放送はね。でもみんなで歩いてたり色んな事をしているのは良く覚えてます。あなたと一緒に司会をやってたこともね。白いブーツ履いてミニスカートというのも…(笑)」

そして私たちがどうしても聞きたかった質問!
Q 徹子さんご自身は、録画テープをお持ちではないでしょうか?

「無い!」
あっさりと一言で答えてくださいました。
涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙・涙…
ここで事務所の方が補足説明。
「事務所でも録ってないです。ベストテンと、徹子の部屋がところどころで…。」

「『夢であいましょう』もNHKにいくつか残ってるでしょう?九ちゃんの上を向いて歩こうとか、渥美さんと私のコントとかあるんですけど、あれはたまたま末盛さんが、ビデオが無いのでキネコ(フィルムでテレビ画面を撮影する方法)で、みんなで見て“反省して下さい”っていうために録ってたんです。

でも私たちは自分たちで映像を見たことが無いんで、生放送ですから。反省なんかしないで、九ちゃんが“徹子ちゃんほら内またになってるよ”とか言って大笑いして。結局、末盛さんが亡くなったあとロッカーからでてきたとかそういうことで、末盛さんが本当に残しておきたかったものではないんです。反省用だったんです。」

私たちも知らなかったエピソードが次々に出てきて、発見の多いひと時でした!最後に徹子さんが口にしたのは…

「そう、番組を作ってちょうだい!『ステージ101』のメンバーみんな集まれるだけ集まって。みんなで稽古して歌を歌って、コーラスして、そして会うの。良いんじゃない。懐かしい人はすごくいると思いますよ。

でも、このビデオの映像の人たちがみんな70歳とかそういうふうになったと思うと、驚くね。でも世の中ってそうなんですから。やっぱり、そういうことが昔あったって言う。」

いづみさんも「徹子さんが時間を作ってくれたら、みんな飛んできますよ!」

45年ぶりに集まっての『ステージ101』の再現、そして発掘された映像を再びご覧いただく番組…面白そうですね!今回徹子さんに見ていただいた発掘映像は現在整理中で、出来るだけ早く皆さんにご紹介できるよう作業を進めています。

徹子さんから大きな宿題をいただいてインタビューは終わりました。1時間半ほどの間しゃべり続けてくださった元気な元気な徹子さん、本当にありがとうございました!

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