発掘ニュース

No.066

2015.07.24

ドキュメンタリー/教養

“碧素”って?ユニーク歴史番組「スポットライト」発掘!

今回ご紹介する「スポットライト」は1972(昭和47)年から6年間にわたって放送。
教科書などでは語られない出来事に“スポット”を当てたユニークな歴史番組です。

司会者はフランキー堺さん⇒永六輔さん⇒米倉斉加年さん⇒赤塚不二夫さん⇒鈴木健二アナと、個性豊かな皆さんが代々つとめました!

今回発掘されたのは米倉斉加年さん司会の一本。「スポットライト」全体でも数本しか保存が無く、米倉さんが司会を担当した「スポットライト」は初めての発掘です!
「日本史探訪」や「歴史への招待」をはじめ、歴史番組の数々を手がけた番組関係者から提供されました。

タイトルは「碧素誕生」。碧素??…“へきそ”と読みます。
実は、世界で最初に発見された抗生物質『ペニシリン』のことです。

『ペニシリン』は、イギリスのフレミングが青カビの一種から発見した抗生物質です。第2次大戦中になってアメリカとイギリスが製品の開発に乗り出しましたが、日本では全く知られていませんでした。

タイトル音楽の後、まず現われたのは潜水艦…、米倉さんのナレーションが始まります。

太平洋戦争のさなか昭和18年の暮れ、ドイツから一隻の潜水艦、Uボートが多くの機密を携えて、はるばる日本へやってきました。
この時、Uボートがもたらしたものの中に、ドイツの医学雑誌がありました。そしてこの中の、つい見落としてしまいそうな短い記事に、ペニシリンに関する論文があったのです。

その後、多くの命を救うことになるペニシリン。この論文に目を留めて、日本版ペニシリン“碧素”の開発にたずさわった元陸軍軍医学校の稲垣さんという男性の証言を中心に、番組は展開していきます。

稲垣さんはじめ、次から次へと出演してくる皆さんが、太平洋戦争中に行われていた『ペニシリン』開発の秘話を自らの言葉で語ってくれます。

“当時の証言者が生きている”…戦後70年がたった今では極めて少なくなったことですが、こうした証言が映像に残されていることに感激します。

“碧素”という名前がつけられたいきさつについても、“名付け親”の後藤さん、ご本人が語ってくれます。

「“レコード”も“音盤”というような時代、ペニシリンにも日本名を付けろと言って、私たち第一高等学校の学生に募集されました。」

「青カビから作るというので青カビにちなんだ名前が多く、一時は『アオカビン』という名前になりそうだったそうです。…ところが審査するのは軍医学校の偉い方。兵隊さんというのは大体頭がハゲてますから、『ハゲチャビン』と似ているということで落第しました…。たまたま私が紺碧の“碧”が綺麗な字だなということで書いておいたら当たっちゃったということで…。」

昭和19年2月に開発を始めた“碧素”はわずか1年足らずで大量生産にこぎつけます。
そして初めて一般の人々に投与され、その効力を実証したのが…

昭和20年3月10日の東京大空襲…。
実際に救護隊の一員としてペニシリンの接種に当たった久保田さんという方はこう語ります。

「当時、肺炎の患者に真っ先に使いました…。効くということは聞いてはおりましたが、これほどの威力を持ったものとは、その時初めて実感しました。」

しかし“碧素”の量は限られ、救えた命には限りがありました…

「薬というものは非常に大きな意義があり価値を発揮するんですが、戦争によって一挙に起こる何十万という殺りくに比べると非常に悔しい…。

無数に隅田川を流れる死者、道路に無数に横たわる黒こげの死体、こういうものを見た時に、ペニシリンの開発の意義は大変に大きいことを感じながらも、これほどたくさんの人を殺したという戦争に対しては憎む気持ちが…。」

番組の最後には、奇跡的にペニシリンで命が救われた男性がサプライズで出演します。

終戦間際、静岡県沼津にすむ男性が、敗血症で死にそうな甥っ子のために空襲の中、東京へ…。碧素を探し求めたが見つからず沼津に戻ってきたところ、バスの中で軍医の稲垣さんに会い、偶然持っていた碧素を分けてもらったそうです。

一命をとりとめた甥っ子さんも出演。30年ぶりの対面に、皆さん感極まります。

歴史番組でありながら、教科書などには載っていない人たちの功績にも“スポット”を当てた「スポットライト」。

なにより、今では“歴史”となっていることを当事者本人が語る、そのことに説得力の強さを感じます!

ただ、保存されている本数が少ないのが何とも残念です…。皆さんからの情報をお待ちしています。そして新たな発掘がありましたら、またご報告いたします!

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